又吉直樹、新作「劇場」の掲載誌編集長が語る“作家・又吉”の凄味

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「劇場」のゲラに手を入れる又吉直樹さん

「火花」で第153回芥川賞を受賞した又吉直樹さんの新作小説「劇場」が3月7日発売の文芸誌「新潮」(新潮社)4月号に掲載される。第2作目となる今作は原稿用紙300枚からなる“恋愛小説”だ。又吉さんは今作について「自分にとって書かずにはいられない重要な主題でした」とコメントしている。

 お笑いコンビ「ピース」で芸人としての活動をしながらの執筆には知られざる苦労があった。2月26日に放送されたNHKスペシャル「又吉直樹 第二作への苦闘」では、多忙なスケジュールのなか新作小説の執筆を続ける又吉さんの姿が放送された。又吉さんが苦悩しながら小説と向き合う姿は大きな反響を呼んだ。同番組にも出演した「新潮」編集長の矢野優さんに又吉さんの作家としての魅力と執筆秘話を聞いた。

■「火花」以前より構想していた物語

――まず新作掲載の経緯について教えてください

【矢野】又吉さんが「新潮」に登場されたのは、実はずいぶん前のことで、2008年に「お笑い芸人が古井由吉を好きな理由」というエッセイをお願いしたのが最初だったんです。ある作家の方にすごく文学好きの芸人さんがいると聞いた「新潮」の編集者が寄稿を依頼したのがはじまりでした。又吉さんのデビュー小説「火花」が発表されたのが2015年ですから、その7年前ですね。

エッセイの内容はまさにタイトルどおり、当時まだ売れる前だった又吉さんが、純文学の巨匠である古井由吉さんの小説といかに出会い、どれだけ深い影響を受けたかを濃密に綴ったものでした。又吉さんの文学の受け取り方の深さや、それを表現する言葉の力に驚いた記憶があります。

担当編集者が又吉さんに小説を依頼したのは2012年頃でした。その後、具体的な相談を経て、2014年夏頃から芸人活動の合間をぬって、書き始めてくださったのですが、冒頭の60枚くらいで一旦止まってしまい、その頃、別の文芸誌から小説の依頼があり、一気に書きあげたのがデビュー作にして芥川賞受賞作の「火花」(文藝春秋)になりました。

又吉さんは最初に書いたその60枚の原稿をとても大切なものだと考え、「こちらは時間をかけて書くべき」だと感じられていたそうです。その後もやりとりを重ねて、約一年前となる去年の春頃より本格的に執筆を再開し、最初にまとまった原稿(まだ未完成でしたが)を読ませていただいたのは去年の夏でした。

――タイトルが決まったのはいつ頃でしょうか?

【矢野】又吉さんと編集部の間で、作品の魅力にふさわしいタイトルにしたいね、という議論はずっとしていたのですが、最終的に「劇場」というタイトルに決まったのは、ひとまず書き上がった原稿の直しを進めていた今年1月の下旬でした。話し合いのなかで、この2文字が浮かんだ時は「これだ」と思いました。主人公が演劇青年であることだけでなく、主人公と恋人が暮らす小さな部屋を、さらには登場人物たちが懸命に生きていく人生の足場自体を象徴する言葉だと感じたからです。

――「火花」受賞で「劇場」の作品内容に影響はありましたか?

【矢野】芥川賞受賞や大ベストセラー化が「劇場」にどう影響を与えたかはわかりません。ただ、確実に言えるのは、才能を持った書き手であれば、初めての小説を完成させる過程で、実にさまざまなことを学び、書き上げることで飛躍的に成長する、ということです。実際、「劇場」の第1稿を読んだとき、「又吉さん、さらに腕を上げたな!」と思いました。

■又吉作品がもつ魅力

――「劇場」は“恋愛小説”とのことですが、読みどころを教えてください

【矢野】「劇場」はきわめて純度の高い恋愛小説です。主人公の永田も、その恋人の沙希も、先の見えない現在の状況に苦悩しながら、人生を真剣に生きています。そんな二人が恋人という1対1の関係に向き合えば、ただ甘いだけの話にはなりません。それは現実の恋愛関係でも同じでしょう。いま恋をしている人も、かつて恋をしていた人も、きっと誰もが経験したことがある、かけがえのない人を思う気持ちが、ほんとうに切なく胸に迫る小説です。

そういえば、ベテランの校閲者がゲラを読んだあとに「エンディングで泣いてしまった」と教えてくれました。これはめったにないことで、物語に感情移入をせず、冷静にチェックするはずの校閲者でさえ、こころを揺さぶられたという事実が嬉しかったですね。

――NHKスペシャルでは、又吉さんが「劇場」をひとまず書き上げた後も、発表まで改稿に全力を尽くす様子が印象的でした

【矢野】又吉さんと編集チームのあいだで、「この作品はもっと深まる可能性がある。ここからが勝負だから、掲載をあせらないで時間をかけて改稿していこう」という共通認識があったと思います。

それからの過程は、私にとって驚きでした。又吉さんは書き直す力がほんとうに高い。書き上げることがメインの作業で、書き直すことはサブの作業だというのでなく、書き上げて/読み返し/書き直す作業を繰り返すことで、作品がどんどんパワフルになっていくことを実感しました。
改稿をはじめていただくに際し、この小説を恋愛小説として深めていくべきか、演劇に苦悩する主人公たちの青春小説として深めていくべきか、又吉さんと話し合いました。言ってみれば、プランAとプランBがあったのですが、実際に又吉さんがおこなった推敲を読んで、私は自分の考えが浅かったと思いました。又吉さんは恋愛小説としての道と青春小説としての道を同時に掘り下げることによって、それぞれの物語の層の下に広がる、「人間の運命の物語」というべき大きな層に辿りついたと思いました。又吉さんが粘り強くハンマーを振り下ろし続けることで、突然、物語の地層の底にある巨大な岩盤が出現したようで、興奮しました。その結果、「劇場」の恋愛小説としての力は飛躍的に高まったと感じました。

――又吉さんは普段芸人であるということが、他の作家の方々と大きな違いであると思われます。又吉さんの作家としての強みや独自性はどのようなものでしょうか?

【矢野】又吉さんが芸人として長い下積み時代を過ごされたことは、間違いなく彼の作家としての足腰を鍛えただろうと思います。また、舞台上の表現に容赦なくリアクションを突きつけられるお笑いの世界のハードさは、表現者としての彼を骨太にしたでしょう。

でも何より、彼に作家としての強みがあるとしたら、10代のころから芸人として悪戦苦闘しつつ、太宰治から古井由吉までの様々な小説を読み耽り、救済されてきたことだと思います。自分のこころの一番敏感な部分を小説と響かせながら生きてきたことが、彼の作家としての修業になったのだと思います。

――又吉さんは今後も書き続けていかれると思いますが、どのような作品を期待しますか?

【矢野】「劇場」のある場面で、主人公の青年は恋人との間に起きた、ある出来事に強いショックを受けます。主人公はその衝撃を意識下に押し込め、恋人と冷静に向き合おうとする。でも、おそらく、こころの一番深いところは狂おしいほどの激情で燃え盛っています。ここは人間の精神の複雑さが鮮やかに描かれた場面だと思いました。そんな又吉さんなら、人間のありとあらゆる「業」を書けるのではないかと思います。ひとつ確実に言えることは、作家は書くことによって成長する――ですから、又吉さんは「火花」「劇場」を書ききったことで、さらに新しい小説の地平に立つはずです。

 ***

【又吉直樹さんコメント全文】
『劇場』という小説を書きました。演劇や恋愛や人間関係の物語です。大雑把な説明になってしまうのですが、自分にとって書かずにはいられない重要な主題でした。
書きはじめてから完成まで二年以上かかりました。変な話ですが、この小説自体が書いてる僕を鼓舞してくれた瞬間が何度かあって、「ありがとう」とか「ごめんな」とか小声で言いながら書いていました。まずは小説として手にとっていただける形になったことが本当に嬉しいです。

BookBang編集部

Book Bang編集部
2017年3月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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