こがけんの元相方、ずっと手取り13万円で生きてきたピン芸人、ピストジャム。
慶應卒、吉本所属、芸歴20年。いまだブレイクを果たせぬ芸人が、やむにやまれず生業としてきた数多のアルバイト遍歴を綴るエッセイ集。
極貧生活を招いた時給90円の深夜バイト、笑いが止まらない超絶ラクな自治体仕事、金髪NGを突破する裏ワザ、二度と経験したくない飛び降りの後始末、宅配ピザチェーンをかけもちしたばかりにミスを連発した話など、彼の記憶に刻まれたエピソードが赤裸々に綴られます。
今回はその中から「僕たちの受験勉強」を公開します。
***
僕たちの受験勉強
下北沢のバーでバイトしているときに、高校生のころから聴いているバンドマンのかたが飲みに来た。僕は、すぐに気がついた。なぜなら、その人の見た目は特徴的すぎるからだ。
ピンクのモヒカン頭に、たっぷりのひげ。こんないでたちの人は下北沢でもそうそう見かけない。服装も個性的で、ゆったりとしたチェックのシャツに、まるでスカートのようなシルエットのパンツをはいていた。僕からすると、もうおしゃれをとおり越して、傾奇者だ。
話してみると、見た目とは裏腹にとても気さくなかただった。そののちも何度か飲みに来てくださって、連絡先を交換する仲になった。
それから、しばらく会わない時期が続いたが、僕から連絡することはなかった。向こうからしたら、僕はただの売れない芸人だと思われているだろうから、自分から連絡するのはなんとなく申し訳ない気がしてできなかった。
会わなくなって何年か経ったある日、ライブ終わりに後輩数人と下北沢を歩いていたら、道端でばったり再会した。僕は、深々と頭をさげて「ごぶさたしてます」と挨拶した。一緒にいた後輩は、みな驚いていた。そりゃそうだ。いままで「何食べる?」「居酒屋もいいけど王将もいいな」とかだべっていた先輩が、突然目の前に現れたピンクのモヒカン頭の人に急にお辞儀し出したのだ。後輩も僕に釣られて、一斉に「おはようございます」と挨拶していた。その人は、「しばらく見ない間に売れたなあ。こんなに後輩連れてえ」と言った。僕は、「いや、たまたま。ライブ終わりだったんで。本当に」としどろもどろになりながら答えた。「連絡先、変わってない? 今度誘うわ」と言って、その人は去っていった。後輩たちは「いまの誰?」「他事務所の人?」「なんか俺見たことある」などと口々に言い合っていた。
それから、頻繁に飲みに誘ってもらうようになった。バンドのライブや打ちあげに呼んでもらったり、飛び入りでライブのステージにあげてもらったこともあった。
家に呼んでいただいて飲むことも多かった。その人のお宅には、いつも大勢の後輩バンドマンやミュージシャンが集まって、深夜まで酒盛りしていた。奥さんは、たいへんだったとは思うが、後輩が増えるたびにかいがいしく席を立ち、手際よくつまみをつくって出してくれた。娘さん二人も、「今日は誰々来ないの?」とか「この前、誰々と買いもの行った」と、そんな生活を楽しんでいる様子だった。
僕は、なんだかうらやましい気持ちになった。芸人でも、こんなにしたわれている先輩はなかなかいない。その人のあけっぴろげな性格にひかれて、みんな集まって来る。ただ、家にやってくる後輩の人たちが、飲んだあとに平気で家に泊まっていくのにはびっくりした。
その人の家族が家を空けているのに、後輩だけが家で寝ているなんて日常茶飯事だった。なかには、2日続けて泊まっているから自分の家には帰っていないという人もいた。芸人でも、こんなことはさすがにない。これを許せる懐の深さが、この人の魅力なんだなと改めて感心した。
それは、いつものように家にお邪魔して飲んでいるときだった。下の娘さんが、春から中学3年になるという話題になった。初めて会ったのは彼女が小学6年のときだったので、もうそんな歳になるんだと思いながら話を聞いていた。
翌年には高校受験が控えているから、最近塾に通わせてみたらしい。そしたら、授業料が高すぎてまいったという。聞くと、確かに高い。月に4万円以上。僕は、それを聞いて「高いですねえ。僕なら半額でやるのに」と言った。すると、「そういえば、早稲田だっけ?」と言われた。僕は「いや、慶應です。でも、慶應卒って履歴書に書いても、いまはバイトの面接で、嘘書くなって言われるくらい誰にも信じてもらえないですけど」とおどけて答えた。
「じゃ、週に1回でいいから家庭教師やってよ」と言われた。「え? 本当に?」。奥さんからも「お願いします」と頼まれた。二人とも顔がマジだ。そして、僕は週に1回、日曜の夜に3時間、家庭教師をすることになった。
教える科目は数学と理科。娘さんは数字が苦手らしく、その2教科だけが極端に成績が悪かった。僕は、高校のころ理系を選択していたので、なんとか教えられるかなと思った。
僕に託された目標は、志望校合格。だが、聞いているかぎり、いまのままではかなり厳しい戦いになりそうだった。
数学と理科は、暗記科目ではないので、まず基礎をきちんと理解することが必要不可欠だ。そして、それができて初めて応用編に移ることができる。一朝一夕で成績をあげることは不可能だ。まだ受験まで1年の猶予があるが、それでもぎりぎりだ。こつこつやっていくしかない。
くわえて、娘さん本人は、そもそも高校に行く気がないという。志望校は、もし行くとしたらここがいいかなという感じで選んだらしい。本人は、中学を卒業したらバイトして働くと言っている。だから、勉強にはまったく興味がないし、身も入らない。
これは奥さんから聞いたのだが、彼女は幼いころ少し体が弱く、小学生のときは学校を休みがちだったらしい。それが原因で、数学と理科にはついていけなくなったという。
僕は、まず彼女と仲よくなるところから始めた。
彼女は、父親の影響かバンドが好きだった。僕もハードコア・パンクが好きなので、意外に話が合った。「マキシマム ザ ホルモンのCD持ってる? 今度貸して」と言われて持って行ったり、「フジロック行ったことある? どんなんやった?」と訊かれて話したり、「今度HEY-SMITHのライブ行くねん。めっちゃいいやろ」と自慢されたり。最終的には、「今日めっちゃ足くさいねん。ほら」と足のニオイを嗅がされそうになるくらい仲よくなった。
彼女は、実はめちゃくちゃ頭のいい子だった。本人は小学生の勉強からやり直さないと何もわからないと言っていたが、全然そんなことはなかった。
僕は、いったん受験のことは忘れて、いま学校でやっている授業の復習からやろうと提案した。結果はすぐに出づらいだろうけど、まず1学期の中間テストと期末テストに、いままでとは違う感覚で臨んでほしいと思った。「いままでと違う感覚」というのは、数学と理科はいつもどおりのことをやればいいんだ、別にテストだからといって、特別な勉強をする必要ないんだということを肌で感じてほしかった。
数学と理科は、一夜漬けの勉強はできない。しかし、裏を返せば、ふだんからやっていれば数学と理科は試験直前に時間をさいて勉強することなんてほとんどない。たとえば、試験範囲で使われる公式をチェックしたり、出題される問題のパターンを確認するだけでテスト勉強は終わりだ。これが、数学と理科のいいところだ。いままでテスト前に焦って、むやみやたらに勉強していた時間を、ほかの暗記科目などに使うことができれば、ほかの点数もきっと自然とあがるはずだ。
1学期の中間テストはまだまだだったが、期末テストにはもう結果が少し出てきていた。数学と理科の点数も、平均点に近くなった。夏休みも、彼女は文句の一つも言わずに僕の言うとおりに勉強してくれた。その結果、2学期のテストでは数学も70点以上取ることができた。あれだけ苦手だった数学が、いまは確実に点数が取れる教科にまでなった。
奥さんは「先生のおかげです」と言った。僕は、「いや、ふだん先生なんて言わへんやん。急に恥ずかしいわ」とツッコんだ。彼女も、両親も笑顔だった。このままいけば、志望校合格も夢じゃない。しかし、受験を数か月後に控えた冬に事件が起きた。
いつものように家庭教師に行くと、家には彼女以外誰もいなかった。訊くと、ささいなことから奥さんと口論になり、気がつくとつかみ合いの大げんかになったらしい。最終的に、彼女はやっぱり高校なんか行かない、受験なんかしないと言い放ち、両親はあきれて外に出て行ったという。
僕は、それを聞いて反省した。彼女がそんなにナーバスになっているとは考えもしていなかった。僕は、結果もついてきているし安心しきっていた。受験前は、誰でもそうなるとわかっていたのに、なんでもっとケアしてあげられなかったんだろうと悔やんだ。
彼女は、両親を驚かせるほどの結果をちゃんと出した。それは、彼女が地道にいままで頑張ってきた証拠だ。人生で、こんなに勉強したことはないというくらいやったはずだ。数学と理科への苦手意識も、やっと克服してきたところなのに。ここでやめてしまうのは、あまりにももったいない。
僕は、なんと声をかけるのがいいんだろうと考えたが、何も言葉が浮かばなかった。口もとに手をやり、考え込んだまま黙ってしまった。すると、彼女は机の上に置いた問題集とノートをおもむろに開いて、いつもの勉強の態勢に入った。そして、「今日はどっからやんの?」と言って、指でペンをくるるとまわした。
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彼女は、それからさらに勉強に励んだ。模擬テストではC判定だった。でも、大丈夫。確実に合格に近づいている。合格率は60%まで来た。
受験まで1か月を切ったとき、僕は再び彼女に提案した。状況としては、受かる可能性もあるけれど、落ちる可能性もある。半々だと伝えた。ただ、もう新しく勉強しなければならない分野はない。この1か月間が、僕たちの受験勉強だ。一般的には、入試前は苦手な分野を克服するために時間を費やす人が多い。が、僕はそれよりも、得意な分野で確実に点数を取るための勉強をするほうがいいと思うと言った。でも、これをするには勇気がいるとも。なぜなら、本番の入試で苦手な問題ばかりが並んだら終わりだからだ。
彼女は、それでいいと即決した。僕を信用してすべて任せてくれているのか、落ちたら働くと覚悟を決めているのか。どちらにせよ、彼女は勇気がある。
僕は、数学のテストの構造を説明した。だいたい最初は、計算問題が出る。配点は20点。ここは全部取ろう。次は、穴埋め問題か選択問題が出るはずだ。出題される分野は、絞られる。だから、この分野とこの分野は復習しよう。ここも配点は20点。全部取れる。あとは、大問が三つか四つ。ここまで来たら、いったん手を止めて、残りの問題に目を通そう。もし、苦手な分野の問題があったら、それは捨てていい。手をつける必要はない。解けそうな問題だけやればいい。ここで20点取れれば、もう60点だ。もし時間が余れば、計算ミスがないか見直そう。
最後の1か月間は、ひたすらこのテストの解きかたを練習した。週1回と言われた家庭教師だったが、この1か月はそれ以外の日も会って一緒に勉強した。やれることは全部やった。僕も彼女も、胸を張ってそう言えた。
入試が終わり、彼女に感想を訊いた。「まあまあ」と返ってきた。上出来だ。全然できなかったわけではないんだから。その言葉が聞けただけで、もう十分だ。あとは、結果を待つのみだ。
合格発表は、奥さんと二人で行ったらしい。僕も一緒に行きたかったのだが、バイトが入っていた。結果がわかったら奥さんから電話をもらえることになっていたので、前の晩から携帯電話の音量をいつもより大きく設定したり、ずっとそわそわしていた。
その日、バイトは午前11時からだったので、電話が来たときにはまだ家にいた。奥さんは泣いていた。
「先生、ありがとうございます。受かりました」
僕は声をあげた。思わず握り締めた拳は震えていた。奥さんは、鼻をすすりながら「番号を見つけたとき、二人で抱き合って喜びました」と笑っていた。言葉が見つからない。ただただ、涙が止まらなかった。
3年後、彼女は無事に高校を卒業した。卒業式には僕も参列したかったのだが、コロナ禍ということもあり、それは叶わなかった。後日、卒業祝いのケーキを持って彼女の家にうかがった。
僕が来るということで、いまは都内でひとり暮らしをしている上の娘さんも、わざわざそれに合わせて帰って来てくれていた。家庭教師が終わってからは、なかなかタイミングが合わず、彼女の両親と会うのも久しぶりだった。みな元気そうで安心した。
そして、彼女はピンクのおかっぱ頭になっていた。やっぱり、この家族は最高だ。
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