アムンセンと同じ船で極限の苦難を共にした男

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

人類初の南極越冬船 ──ベルジカ号の記録

『人類初の南極越冬船 ──ベルジカ号の記録』

著者
ジュリアン・サンクトン [著]/越智正子 [訳]
出版社
パンローリング
ISBN
9784775942819
発売日
2022/12/19
価格
2,200円(税込)

アムンセンと同じ船で極限の苦難を共にした男

[レビュアー] 角幡唯介(探検家・ノンフィクション作家)

 十九世紀から二十世紀にかけては英雄的な極地探検家が活躍した特殊な時代だ。多くがひどい目に遭い、海氷の圧力で船が難破し、隊員のほとんどが死亡した隊もあった。この世の地獄から生還することで、隊長は英雄として祀り上げられたわけだ。

 このベルジカ号もおなじ道をたどりかけた。隊長の野心が無理な前進を引き起こし、氷にかこまれ、人類初の南極越冬を強いられる。隊員は壊血病に苦しみ、正気を失う者もあらわれ、破滅一歩手前まで行った。それを救ったのがクックという米国人医師だ。独創の才と観察力で隊の壊血病を克服し、氷原に運河をつくるという奇抜な策で脱出の道筋をたてたのである。

 じつはこのクックという男、のちに人類初の北極点到達を主張し、それが虚偽とされ、最後は詐欺師として皆から見放される。ところが不思議なことに、英雄中の英雄、大探検家アムンセンだけは彼の肩をもった。じつは若きアムンセンもこのベルジカ号に参加し、クックの高い能力と人間性を目の当たりにしていたのだ。

 極限状況の描写にくわえて、この二人の関係も大きなテーマだ。二人とも英雄となる素質が十分にあったのに、一方は詐欺師に落ち、一方は英雄として人類史に名を刻んだ。人生のわずかな道行の差が決定的な分岐を生んだのだと思うと何ともやるせないが、どんなに境遇に差が出ても、アムンセンからクックへの敬慕が失われることは終生なかった。そしてこの探検隊の最大の遺産はたぶんそこにある。なぜなら極限の苦難のなかであらわれる人間性にこそ、その人物の最大の価値があり、アムンセンはクックという人物をその一点のみで判断していたからだ。

 ほかのことは関係ない。私は本当のあなたを知っている。この態度を貫くのは難しいが、アムンセンはそれをやった。私は二人の関係に救われたけれど、それは友情の最も正しい姿がそこにあったからだと思う。

新潮社 週刊新潮
2023年2月2日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク