「いっそ死んだ方が……」プロ選手時代に絶望し苦しんだ侍ジャパン「栗山監督」を支えた4文字の言葉とは?

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栗山英樹監督

WBC侍ジャパンの栗山英樹監督は、小学生の頃から「野球ノート」をつけて日々のプレーを振り返っていたという。成長するにつけ読書にも親しみ、日本ハムの監督に就任してからは経営者や企業家の言葉にヒントを求めることも。気になった言葉は、ノートに書き出して読み返していた。

自身は「弱い人間」で、つい自分を甘やかしてしまう。そうならないようにノートを付け続けてきたのだ、という。

この栗山監督の野球哲学や人生観が詰まったノートは、『栗山ノート』(光文社・2019年)として出版されている。WBCでの名采配が日本中を沸かす栗山監督は、どのような言葉を胸に、逆境を乗り越えてきたのか。

今回は、プロの世界で味わった挫折や「死」を考えるほどの苦悩、大谷翔平選手の二刀流を後押しした時の逆風との向き合い方、さらにはSNSについての考え方などを紹介しよう(全2回の1回目)。

※以下は『栗山ノート』を引用し再構成したものです。

 ***

「一燈照隅(いっとうしょうぐう)」安岡正篤

 私の人生は阻まれてばかりです。山あり谷ありどころか、エベレスト級の山が眼前にそびえたち、とびきり急峻(きゅうしゅん)な谷間に立ち尽くしたりしました。

 テスト生でヤクルトスワローズに入団した当初は、プロのレベルの高さに戦慄(せんりつ)を覚えました。ここは自分がいるべき場所ではない、自分などいてはいけないとの絶望が心のなかで重い塊となり、いっそ死んだほうが楽ではないかとさえ考えたことがありました。

 周囲の励ましや支えによって1軍でプレーできるようになると、メニエール病に襲われました。三半規管に原因のあるめまいが予告もなしに襲ってきて、しかも原因不明なので完治はできない。全力でプレーできない自分を許すことができず、29歳で現役を引退しました。

 監督としてグラウンドに戻ってからも、挫折の繰り返しです。パ・リーグ優勝や日本一も経験しましたが、山頂にはほど遠い感じです。

 いまもなお、懸命にハードルを飛び越えようとして、足が引っ掛かって倒れたりしています。

 膝についた泥をはらいながら、私は安岡正篤さんの「一燈照隅」の4文字を心のなかで唱えます。「大きなことを口にするよりもまず、自分がいるその場所を明るく照らす」という意味で、自分自身に落とし込むと「一生懸命にやったことが誰かのためになり、それを一度ではなく二度、三度と続けていく。一人ひとりがそれぞれの役割を果たすということが、生きざまとして素敵なのだ」ということになります。

 安岡さんはこうも言います。

「環境が人を作るということにとらわれてしまえば、人は単なるもの、単なる機械になってしまう。環境に左右されてはいけない」

 人間が環境に左右されてたまるか、人間が環境を作ってやる、というメッセージとして受け止めています。

 ファイターズは戦力補強にたくさんのお金を投資するチームではありません。それでも勝ち切れる環境を作るのが私の仕事です。

 知恵を絞って、工夫を凝らす。移動距離が長い、日程がキツい、などといったことも理由にしないで、自分たちで勝てる環境を作る。負けたときの理由を、あらかじめ用意したくない。「優勝したチームとは環境が違うから」と、言い訳をしたくない。やってやるぞ、と自分を奮い立たせています。

「深沈厚重(しんちんこうじゅう)」呂新吾

 中国の儒学者である呂新吾が、名著『呻吟語(しんぎんご)』で語っています。頭が切れて雄弁であるよりも、無口でどっしりと落ち着いている人のほうがいい、と。

 日本人の男性の評価として、古くから当てはまる人物像ではないでしょうか。私自身は無口でいられるタイプではないので、かなりかけ離れていますが……。

 自分の評価、評判、噂などを気にすると、人間は集中力を欠いてしまいます。プロ野球選手ならば、メディアの批判に一喜一憂する選手は、プレーに波があります。自分の進むべき道を、ひたむきに真っ直ぐ歩いている選手が成功をつかんでいる。

 私たちが生きる世界は、SNSで誰とでも気軽につながることができます。一見するととてもオープンな交流が広がっているように感じられますが、他人からどのように見られているのかを気にしている人が多いのかもしれません。自分の投稿に対する「いいね」の数が少ないと、ふさぎがちになってしまう人もいるとか。

 他人の評価や視線を気にするな、とは言いません。上司や友だちに認めてもらいたいという承認欲求は、誰の心のなかにもあるものでしょう。

 そのうえで言えば、誰かからもらえる「いいね」を気にするのは、本当に大切なのでしょうか? SNS上の「いいね」が、あなたの心を豊かにしてくれるのでしょうか?

 たとえば、何百年、何千年前に書かれた古典が、現代で読まれている。たくさんの人たちの役に立っている。冷静に考えてみれば、ものすごいことでしょう。

 自分が生きた証を形として残すことができたら――あなたが残したものは、あなたの知らないところで、きっと誰かの役に立っているはずです。あなたが天命を全うしたあとも、あなたの功績として生き続けるかもしれない。

 自分の投稿がたくさんの「いいね」を集めたら、何だか少し誇らしげな気持ちになるのかもしれません。けれど、「いいね」と言われない仕事も、きっと誰かの役に立っています。一人ひとりの小さな営みによって、社会は成り立っているのですから。

 監督になったばかりの私は、「栗山ごときがなんで監督をやるのだ」との批判を受けました。選手としての実績は心もとないのですから、これはもうしかたがありません。

 2013年に大谷翔平が入団し、彼を二刀流で起用すると、猛烈な向かい風を受ける日々がやってきます。身体ごと吹き飛ばされそうな批判を全身に浴びたことも、一度や二度ではありません。

 記憶に刻まれた出来事があります。

 13年6月1日のファイターズ対中日ドラゴンズ戦で、大谷翔平がプロ初勝利をあげました。試合後、吉村浩チーム統轄本部長(当時)が、「監督、何十年後かにこういったことを評価してくれる人が、必ず野球の世界にいるという風に思いますから」と言ってくれたのです。

 大谷はピッチャーに専念させるべきだ、いや、バッターとしてのほうが大成するといった二刀流への批判は、1勝したぐらいでは消え去りません。1敗すればまたすぐに大火のように燃え盛る。「これからも様々な批判はあるでしょう。でも、いつかきっと、野球界のためになる決断だったと評価してくれる人が現われますよ」とも、吉村GMは言ってくれました。

 誰かが「これは良くない」、「これは悪だ」と言うのは、その人の感覚に左右されているところがあります。感覚ではなく客観的材料をもとに評価を下す人は、相手が納得できる材料を提示できるはずで、単に「これはダメだよ」と指摘するだけの人は自分の感覚や価値観にそぐわないから否定をする――そうやって考えると、周りの意見が気にならなくなりました。文句を言われても落ち込む必要はない。「どうしてそういうことを言われたのか」について想像力を働かせて内観して、そのあとは深く苦しまなくてもいいのだと、いまは感じています。

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メディアでは、元気で明るいイメージが強かった栗山監督にも、死を思い浮かべるほどの絶望や、批判に身体ごと吹き飛ばされそうになった経験があった。それを一つずつ乗り越えてきた思考法は野球に関わっていない人々にも染み入るものがあるのではないか。

もちろん他人の言葉を引くばかりではなく、栗山監督自身が考えて、心のうちでずっと唱え続けている言葉もある。次回ではそれをご紹介しよう。

【「人前で泣かないで…」と言われる「栗山監督」が恥ずかしがらずに涙する理由(2)】に続く。

●栗山英樹(くりやまひでき)
1961年生まれ。東京都出身。創価高校、東京学芸大学を経て、1984年にドラフト外で内野手としてヤクルトスワローズに入団。1年目で1軍デビューを果たす。俊足巧打の外野手で、1989年にはゴールデングラブ賞を獲得。1990年のシーズン終了後、怪我や病気が重なり引退。引退後は解説者、スポーツジャーナリストとして野球のみならずスポーツ全般の魅力を伝えると同時に、白鴎大学の教授として教鞭を執るなど多岐にわたって活躍。2011年11月、北海道日本ハムファイターズの監督に就任。監督1年目でパ・リーグ制覇。2016年には2度目のリーグ制覇、そして日本一に輝き、正力松太郎賞を受賞。2018年には監督通算1000試合、500勝を達成。2019年時点の監督で最長の就任8年目を迎え、同年5月、監督として球団歴代2位の通算527勝を達成。

Book Bang編集部
2023年3月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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