栗山英樹監督
WBC侍ジャパンの栗山英樹監督には、小学生の頃から付け続けている「野球ノート」がある。日々のプレーの振り返りに加え、監督ならではの“哲学”が書き込まれているものだ。
栗山監督は球界きっての読書家で、日本ハムの監督に就任してからは、経営者や企業家の言葉にヒントを求め、古典の教えにも学ぶようになったそうだ。本を読んで気になった言葉をノートに書き綴り、その都度考えをまとめていったのだという。
どのような言葉に刺激を受け、どのような考えのもと指揮をとってきたのか。ノートにはその思考法のすべてが綴られている。それを書籍としてまとめたのが『栗山ノート』(光文社・2019年)である。
どうしても勝てない相手、田中将大投手との試合後に何を考えていたか。選手たちと接するときにはどんなことに気を付けていたのか。自分自身で考えて、唱え続けている言葉とは――。その思考の足跡は、多くの人にとって励みになり、また参考になるのではないだろうか。(全2回の2回目)
※以下は『栗山ノート』を引用し再構成したものです。
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「霜を踏みて堅氷至る」
古代中国の書物『易経』のなかでも有名な言葉です。
寒さが増して霜の張った道を歩くようになると、そろそろ堅い氷の張る季節がやってくるなと予想が立つ。物事には予兆があり、それを見逃さないで対処するべきだ、というのが本来の意味でしょう。
霜の上を歩くと、ミシミシとかサクサクという音がします。翌日の朝も、その次の朝も同じ音を聞けば、そろそろ氷が張るなと誰もが考えるでしょう。
大切なのは、予兆を行動へ生かせるかどうか。
「まだ霜で氷じゃないから、長靴を用意しなくてもいいだろう」ではなく、「明日にはもう氷が張ってもいいように、今日のうちに準備をしておこう」と考えて、下駄箱にしまっておいた長靴を出しておく。「これぐらいでいいや」という安易な判断が積み重なると、本当に大きな問題が起きたときに迅速に対応できない。大きなミスを犯してしまった過程を振り返ると、兆しを感じ取っていたのに甘く見ていた、ということが多いものです。油断が元凶になっているのです。
(中略)
現在はニューヨーク・ヤンキースでプレーする田中将大投手は、メジャーリーグへ移籍する前年のシーズンに、東北楽天ゴールデンイーグルスのエースとしてレギュラーシーズン24勝無敗というとてつもない記録を残しました。ファイターズは8度対戦して、一度も勝てなかった。
彼に完璧なピッチングをやられたら、どうしたって勝てない――対戦した相手チームの監督も、選手も、13年シーズンの田中投手には脱帽したでしょう。私もそのひとりでしたが、「プロとして負けることに納得していいのか」という気持ちもありました。
「田中投手がいかに大エースだとしても、ウチの大事な選手たちが抑えられて、しょうがないと思っていいのか。ウチの選手はもっとできるんじゃないのか」と自分に問い質しました。
試合内容は決して悪くなかったけれど、結果はついてこなかったという試合後、選手たちには「いいからすべて忘れよう」とか「明日からの試合に、今日の負けを生かせ」と声をかけます。「切り替えも大事だ、もうスッキリ忘れろ」と話したりもしますが、監督は切り替えなくていい。悔しいなら悔しいままでいい、というのが私のスタンスです。
「この内容で負けるならしょうがない」ではなく、「この内容なのにどうして勝てないのだ?」という方向で、試合を振り返ったほうがいい気がします。それこそ「霜を踏みて堅氷至る」の考えかたで、「まあ、いいか」とするのではなく改善の兆しを察知したい。
「これぐらいなら、まあいいか」という思考は、私たちの生活にプラスをもたらしません。「まあ、いいか」を繰り返していくと「良くないこと」に疑いを持たなくなり、やがては「まあ、いいか」が習慣化されてしまいます。
(中略)
うまくいかないことがあったら、自分に矢印を向けてその原因を探る。他人に押し付けるよりも、そのほうが気持ちはスッキリします。原因が明らかになれば、「明日からもっと頑張ろう」というエネルギーが湧いてきます。
「感動は推進力だ」栗山英樹
先人や偉人の言葉ではなく、私自身がずっと心のうちで唱え続けている言葉です。
「感動する」とは「心を動かされること」や「心を奪われること」を意味します。映画やドラマを観たり、絵画などの芸術に触れたりしたときに、私たちは心を動かされます。
選手たちの心を動かしてあげたい、といつも考えています。
心が動くというのは内発的な動機を得ることで、自分がそうしたい、そうなりたいという願いが勇ましく立ち上がる。簡単に言えば、苦しくても頑張れると思うのです。
私が自分の感動を選手にぶつけていけば、選手も「感」じて「動」いてくれる。感動の連鎖というか、響き合うことができます。
選手の感じかたはいろいろあります。
私は普通に指示をしたり指摘をしたりしたつもりでも、選手は怒られていると感じることがある。チーム状況が芳しくない、選手自身の調子が良くないといった状況では、そもそも神経が乾燥している。言葉の受け止めかたが変わってくるのでしょう。猜疑心や邪心が、幅を利かせてしまうのかもしれません。
言葉は語調やトーンなどでも、意味が変わっていきます。自分では冷静さと丁寧さを意識した口調が、相手には冷たさとして受け止められた、などということもありました。
言葉の遣いかたは本当に難しい。言葉は空間に残るとも言います。
誰かの悪口を口走ったり、愚痴をこぼしたりしたら、その場の空気が濁るような気がしませんか? 言葉が空気に張り付いて、残ってしまっているのです。
相手の奮起を促すために、語気強く語りかけるのはありだと思います。モヤモヤとした気持ちを抱えている選手を、吹っ切らせるようなイメージです。「言いたいことがあるなら、とにかくやって見せてみろ!」とか。私自身はそういったアプローチはほとんどしませんが。
2019年7月12日に開催されたオールスターゲーム第1戦に、私はパ・リーグのコーチとして参加しました。この試合では阪神タイガースの原口文仁が9回に代打で登場し、2ランホームランを放ちました。
1月に大腸がんを患っていることを公表した彼は、手術とリハビリを経て6月には1軍に戻ってきました。
それだけでも驚くべきことなのに、オールスターゲームでホームランを打つとは! タイガースの本拠地・甲子園球場での第2戦でも、原口はレフトスタンドに打球を放り込みました。
感動しました。闘病生活を送られている方はもちろん、いろいろな方に勇気と元気を届けてくれたと思います。ひたむきに頑張っている選手には、野球の神様が力を与えてくれるのだな、と改めて感じました。
ファイターズの監督に就任して、19年シーズンで8年目になります。長く付き合ってきた選手も多くいますが、彼らの本心に触れることができているか……。
「たぶんいまは、こんな感じなのだろうな」という想像はできますが、「でも、本当は違うのかな」と思ったりもします。人間の心はとても大きくて深くて、なおかつ繊細な変化を見せていきます。「いまの彼はこうだな」と一方的に決めつけると、心が響き合えません。
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- 栗山ノート
- 価格:1,430円(税込)
私心が入り込んだら、選手はすぐに気づきます。「監督としての名声を得るために、この選手をこうしたい」などと考えたら、相手の心を動かすことはできません。その選手の将来につながるかどうか、それこそが唯一無二の行動規範となります。
心の表現は素直に、恥ずかしがらない。還暦が見えてきた自分が、高卒ルーキーの前で泣いたっていい。恰好を付けたり体裁を整えたりするより、そのほうがよほど自分らしいはずだ、と思います。
感動して涙を流すことは、力を蓄えること、力を爆発させることにつながっています。ファイターズのフロントスタッフには「人前で泣かないでください」と言われていますが、感動の涙だけは許してもらいたいものです。
***
WBCという大舞台の後、「栗山ノート」にはまた新たな知見が書き込まれるに違いない。
●栗山英樹(くりやまひでき)
1961年生まれ。東京都出身。創価高校、東京学芸大学を経て、1984年にドラフト外で内野手としてヤクルトスワローズに入団。1年目で1軍デビューを果たす。俊足巧打の外野手で、1989年にはゴールデングラブ賞を獲得。1990年のシーズン終了後、怪我や病気が重なり引退。引退後は解説者、スポーツジャーナリストとして野球のみならずスポーツ全般の魅力を伝えると同時に、白鴎大学の教授として教鞭を執るなど多岐にわたって活躍。2011年11月、北海道日本ハムファイターズの監督に就任。監督1年目でパ・リーグ制覇。2016年には2度目のリーグ制覇、そして日本一に輝き、正力松太郎賞を受賞。2018年には監督通算1000試合、500勝を達成。2019年時点の監督で最長の就任8年目を迎え、同年5月、監督として球団歴代2位の通算527勝を達成。
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