大切なのは「選手たちをよく見てあげること」 甲子園常連校の監督を30年以上務める原田英彦が明かす「指導哲学」

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甲子園の強豪校として有名な・龍谷大平安高校の低迷期に監督に就任した原田英彦さん。、誰よりも熱く、愛情をもって選手一人ひとりと向き合い、再び甲子園常連校へ引き上げることに成功しました。著書『「情熱」の教え方 龍谷大平安・原田流「がんばれる人」を育てるために大切なこと』では、自身の指導に対する考え方を余すところなく紹介しています。
30年以上にわたり監督を務めてきた原田さんが語る「令和の今、指導で大事にしていること」とは。

※以下は『「情熱」の教え方 龍谷大平安・原田流「がんばれる人」を育てるために大切なこと』の一部をもとに再構成しました。

 ***

出場するたびに課題を突きつけられる甲子園

2023年3月21日、第95回選抜野球大会において、4年ぶり42度目のセンバツ出場を決めていた龍谷大平安高校は、初戦の長崎日本大学高校に4対3で勝利し、春夏合わせて甲子園104勝目を挙げました。試合終了後に一塁側のベンチ前に整列し、センターのバックスクリーン後方に母校の校旗が掲げられたのを見つつ、場内を校歌が流れると、

「やっぱりここで聞く校歌はええな」

と私は喜びをかみしめていました。

しかし、続く仙台育英戦では、相手バッテリーの術中にはまってしまい、7回まで二塁すら踏むことができずに防戦一方。結果は1対6の完敗でした。相手は昨年夏の全国制覇をした優勝候補でしたから、試合前から苦戦は覚悟の上でしたが、相手が一枚も二枚も上手でした。

「相手がすべてにおいて上でした。夏、また出直してきます」

敗戦後の共同インタビューで記者を前に語った、私の偽らざる本音です。甲子園は出場するたびに毎回違った課題を突きつけられ、帰路に就きます。

チャンスの場面でクリーンナップが打てなかった──。
味方の守備の綻びから相手に得点の機会を与えてしまった──。
味方のバッテリーが相手打者の裏をかこうとしたところを、配球をことごとく読まれてしまい痛打された──。

このように、負けるときの典型的なパターンがありますが、こうしたことはしょっちゅう試合のなかで起こります。こうした失敗を課題ととらえて、私たちは甲子園から帰ってきた翌日から、新たな気持ちで練習をスタートさせるのです。


監督として甲子園通算31勝。2014年には春の選抜を制した(撮影/上野裕二)

選手を叱るとき、叱らないとき

私は積極的にトライして起きてしまった失敗を叱るようなことはしません。何がダメだったのかをきちんと反省し、また新たな気持ちで日々の練習に取り組み、技術不足を補っていく。そうして2ヵ月、3ヵ月と自分自身を追い込んで鍛えぬいた結果、さらなる進化を遂げてくれればいい──そう考えているのです。

けれども消極的な逃げの姿勢であったり、小手先だけのテクニックで難局を乗り越えようとしたりする失敗があれば、選手たちを叱ります。同じ失敗をするのでも、逃げの姿勢から生まれる失敗は、「アイツらビビっていたで」と思われるだけでなく、今後も同じ相手と対戦したとき、心理的優位に立たれてしまうからです。

そうしたときには得てして相手が勝利をつかむ可能性が高い。それならば、思い切って正々堂々と勝負を挑んで失敗したほうが、後々プラスにつながることが多いのです。このことを高校生である彼らの戦い方から学び取ることができたことは、今でも私の監督人生において大きな財産となっています。

ふと気づけば、私自身は平安野球部の監督に就任してから30年以上の月日が流れました。毎年、意気揚々とした表情で野球部に入部してくる部員たちを見ていると、私も「鍛えてやらなアカン」と指導に熱が入ります。同時に、「昔は許された指導」と「令和の今の時代では許されない指導」とに目を向けなければいけないと、常日頃からアンテナを張り巡らせています。

この1年だけでも、近畿のいくつかの強豪校で監督による不祥事が起こりました。監督が選手に手を上げることは、今の時代はもってのほかです。理由はどうであれ、選手に手を上げた時点で、その指導者は言葉による己の説明能力不足を認めなくてはいけません。

ただし、「叱る」ことは止めてはいけません。「昔の指導法はダメだ」という点を誤解して、叱ることもせずに伸び伸び育てることを良しとする風潮が世間にはありますが、私は「それは違う」と声を大にして言いたいのです。

考えてもみてください。やっていいことと悪いことの違いを知らずに学生時代を過ごして、いざ社会人になって恥をかいたり呆れられたりするのはほかならぬ子どもたちです。「教えられてきていないから知りませんでした」というのは、大人の世界では通用しません。

大事なのは「選手一人ひとりの表情を見ること」

監督として選手たちを見続けていて、最も気づかされることは「考え方の視野の狭さ、稚拙さ」についてです。私自身、選手たちに対して「こんなことも注意せなあかんのか……」と思うことも一度や二度ではありません。

それでも注意するところはする。叱るところはきちんと叱る。そのとき大切なのが、「選手たちをよく見てあげること」です。今の選手たちは、幼少の頃から親に大事に育てられてきました。「親は叱らないのは当たり前」というのと同時に、「親が見守ってくれるのは当たり前」という意識が、彼らの心のなかのどこかに必ずあるものです。

けれども高校はそうはいかない部分もあります。1学年に20人から30人、3学年で合わせて100人近い部員がいる世界では、指導者が平等に見てあげることはなかなかできないものです。それでも私は、選手をできるだけ平等に、毎日の生活のなかで表情に変化がないか、見続けなければいけないと考えています。

選手は我々が考えている以上に、指導者が自分をどう見ているのか、あるいはどう評価しているのかを気にしているものです。そうした考えを知らずに、指導者が一人ひとりの選手のことをよく見てあげないようでは、「オレは監督から評価されていないんだ」と一方的に判断してしまうのが、今どきの選手が持ち合わせている気質です。それだけに今の高校野球の監督は、昔に比べてやらなければならないことが多くなった時代でもあると言えるでしょう。

今の若い監督たちは現場で試行錯誤しながら相当がんばっています。「あれはダメ、これもダメ」といくつもの制約があるなか、自分の指導のノウハウを構築しようと必死に勉強している姿勢には、私も頭が下がる思いです。

高校野球は年々変化を遂げています。選手の体調を考慮した球数制限や大会を勝ち進んでいくにつれ休養日を設けるなど、昔にはなかった取り決めのなかで運営が行なわれています。変わりゆく時代においても、変えてはいけないこと、それが指導法にあるというわけです。

しかし、常に選手たち一人ひとりの顔を見続けて、叱るときは叱り、しっかりフォローをして、うまくいけばほめてあげる。そうするなかで、いつの間にか選手たちの自主的なやる気が芽生え、熱い気持ちになっていく──それが指導の醍醐味だと私は感じているのです。


WBCにも出場した高橋奎二(ヤクルト)など多くのプロも育てた(撮影/上野裕二)

2023年6月
龍谷大学付属平安高等学校 硬式野球部監督 原田英彦

原田 英彦(はらだ ひでひこ)
1960年5月19日生まれ。京都府京都市出身。龍谷大学付属平安高等学校硬式野球部第27代監督。子どもの頃から平安野球部に強く憧れ、平安に進学。高校時代は足の速さを生かして中堅手として活躍。3年夏の京都予選では3回戦で京都商業に2対6で敗退。甲子園出場の夢を果たせなかった。高校卒業後は社会人野球の日本新薬に進み、都市対抗野球に10度出場。1993年8月より平安硬式野球部監督に就任。秩序が乱れた野球部再建のため、情熱と信念を持った指導で選手を育て上げ、平安野球部の再興を果たした。1997年には川口知哉(オリックス、現・龍谷大平安コーチ)を擁して第69回選抜高等学校野球大会に17年ぶりに出場、チームを準々決勝進出に導く。同じ年の夏には第79回全国高等学校野球選手権大会に出場して決勝に進出。智弁和歌山に3対6で敗れたものの、見事に準優勝を飾り、多くの高校野球ファンに平安復活を印象づけた。2014年には高橋奎二(現・ヤクルト)を擁して第86回選抜高等学校野球大会に出場して決勝に進出。履正社を6対2で下し、学校として初めての春の優勝を飾った。監督として甲子園の通算成績(2023年6月現在)は、春夏通算して31勝18敗。春は11回出場して19勝10敗、勝率6割5分5厘。優勝1回(2014年)。夏は8回出場して12勝8敗、勝率6割。準優勝1回(1997年)。主な教え子には、岸本秀樹(広島)、赤松真人(阪神、広島)今浪隆博(日本ハム、ヤクルト)、炭谷銀仁朗(現・楽天)、髙橋大樹(広島)、酒居知史(現・楽天)、岡田悠希(現・巨人)らがいる。

原田英彦(龍谷大学付属平安高等学校 硬式野球部監督) 協力:日本実業出版社

日本実業出版社
2023年6月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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