1回でいいから読んでみて! ノーベル文学賞受賞作、永遠の傑作――ヘミングウェイ『老人と海』試し読み

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人間ってやつ、負けるようにできちゃいない――。

20世紀の文学界や人々の価値観に多大な影響を与えた世界的な作家ヘミングウェイ。その作品は今でも尚高い評価を受け、多くの人々に読み継がれている。そんな著者の代表作である本作は、自然の脅威と峻厳さに翻弄されながらも、決して屈することのない人間の精神を円熟の筆で描き切り、著者にピューリッツァー賞とノーベル文学賞をもたらした。

ヘミングウェイによる文学的到達点であり、世界的ベストセラー。まだ読んでいない方は是非この機会に!!

 ***

 漁師は老いていた。一人で小舟を操って、メキシコ湾流で漁をしていたが、すでに八十四日間、一匹もとれない日がつづいていた。最初の四十日は一人の少年がついていたのだが、一匹もとれない日が四十日もつづくと、あのじいさん、もうどうしようもないサラオだな、と少年の両親は言った。サラオとはスペイン語で“不運のどん底”を意味する。少年は両親の言いつけで別の舟に移り、その舟は最初の一週間で上物を三匹釣り上げた。老人のほうはその後も毎日空っぽの舟でもどってくる。それを見ると少年は悲しくて、いつも浜に降りていっては、老人が巻き綱や手鉤(てかぎ)や銛(もり)などを運び上げるのを手伝った。帆を巻きつけたマストも運んだ。帆には小麦粉の袋で継ぎがあてられていて、マストに巻きつけられた姿は際限もない敗北の旗といった風情(ふぜい)だった。
 
 老人は痩(や)せていた。体は筋張っていて、うなじには深い皺(しわ)が刻まれている。熱帯の海が照り返す陽光で、両の頬には茶色く変色したしみ ができており、それは頬の下のほうにまで及んでいた。両手には、重い魚を釣り綱で引き上げたときにこすれた深い傷跡がある。どれも新しいものではない。魚のいない砂漠に残る浸食作用の跡のような、古い傷だ。

 全身、枯れていないところなどないのだが、目だけは別だった。老人の目は海と同じ色をしていた。生き生きとしていて、まだ挫(くじ)けてはいなかった。

「ねえ、サンチアゴ」少年は先に小舟を引き上げた砂地をのぼりながら言った。「ぼく、また一緒にいけると思うんだ。お金もすこし稼いだから」

 少年は老人から漁の仕方を教わった。だから老人を慕っていたのだ。

「いかん」老人は答えた。「あの舟にはツキがある。乗りつづけていたほうがいい」

「でも、以前、魚が一匹もとれない日が八十七日もつづいたのに、そのあと三週間、二人で毎日大物を釣ったことがあったよね」

「たしかにな」老人は言った。「わかってるとも、おまえが舟を乗り換えたのは、おれに見切りをつけたからじゃないってことは」

「しょうがなかったんだよ、親父(おやじ)の言いつけだから。ぼくはまだ子供なもんで、抗(さか)らえないんだ」

「そりゃそうだろう」老人は言った。「むりもない」

「すぐ気が変わるんだ、うちの親父」

「そうらしいな。だが、おれたちはちがうだろうが。なあ?」

「うん」少年は言った。「ねえ、〈テラス〉でビールを奢(おご)らせてくれない。残りを運ぶのはその後にしようよ」

「そいつはいい」老人は答えた。「お互い、漁師仲間だからな」

ヘミングウェイ
1899年、シカゴ近郊で生まれる。1918年、第1次世界大戦に赤十字要員として参加し、負傷をする。1921年より1928年までパリに住み、『われらの時代』『日はまた昇る』『男だけの世界』などを刊行。その後、スペイン内戦、第2次大戦にも従軍記者として参加。1952年、キューバでの自身の体験を重ねながら描いた『老人と海』を発表。これが大きな反響を呼び、アメリカ文学の権威であるピューリッツァー賞を受賞し、1954年にはノーベル文学賞を受賞。1961年、猟銃で自裁。

新潮社
2023年7月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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