都市で暮らし、行き交う人びとに言葉遊びで想像を膨らませる 『僕には名前があった』(オ・ウン)評・友田とん

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“韓国で最も忙しい詩人”といわれる人気の詩人がいる。1982年生まれのオ・ウンだ。大学一年生だった2002年に文壇にデビューをして以来20年に渡って詩を書き続け、朴寅煥文学賞・具常詩文学賞・現代詩作品賞・大山文学賞など数々の賞を受賞した。
詩作以外に新聞の連載コラムを含めエッセイなどの原稿執筆、ポッドキャストやブックトークの司会、テレビ・ラジオ出演、詩に関するイベントでの藝術監督も務めるなど、多方面で活躍している。

そんなオ・ウンの日本で初めての翻訳作品となるのが、『僕には名前があった』(オ・ウン著、吉川凪訳、クオン)だ。「人」から始まり「人」で終わるこの32篇の連作詩集を読んだ友田とんさん(出版レーベル「代わりに読む人」代表)が、オ・ウンの詩の言葉の魅力を語る。

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韓国語で紡がれた同時代の詩のことばを贈るシリーズ「セレクション韓・詩」の第2作

 折り目正しく働く日々の通勤でふと「橋の上に上がろう」と「決心した人」、大勢が集められた講堂で自分は人なのだろうかと自問したり、罵り合いながらも、やはり人でありたいと願う人(「望ましい人」)、そうかと思えば、挫折を知らず「この世で最も背の高い家を建てよう」と決断した途端に、目の前を高い壁に阻まれる「凍りつく人」。オ・ウンの詩集『僕には名前があった』には、都市で暮らすいろいろな人が集まっていた。その日常の身近な言葉で綴られた詩はエッセイのようでもあり、また突如少ない字数で語られる人の一代記のようでもある。どの人にもどこか心当たりがあり、目を瞑って適当に本を開いて読めば、それは占いかおみくじのようでもある。ユーモアのある言葉の中でそれぞれの人はみな、存在の岐路に立っている。これだけの人、人、人。であれば、ひょっとして私自身もこの詩集の中にすでに書かれているのではないか。そんな冗談を思い浮かべながら読み進めていくと、一篇の詩「読む人」を発見し、「あった!」と声を出してしまった。

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「ところでご趣味は? 彼は今までこの質問を一番たくさん受けた 趣味は何かという質問の前にはたいてい、ところでという言葉がついていた 話題を変えるための言葉だったから彼はいつも無防備な状態でその質問を迎えなければならなかった そうですねえ ところでを受ける言葉としてはそうですねえ以上のものはなかった 時間を稼ぐための言葉だったがその言葉に神秘を感じる人もいた 多趣味なんですね 趣味を持つ時間がないんでしょう?
 たいていの人は皮肉を言った 友人たちは彼の顔が白いからだと言った 大根スープみたいだと言った 牛肉の入ってない大根スープみたいだと言った友人もいた ところで実際のところ趣味は何なんだ? 友人たちが口を揃えて尋ねた 本当に彼の趣味が知りたいと言った」
(「読む人」冒頭部分/『僕には名前があった』所収)

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 「読む人」では、人と話題が途切れると決まって「ところで趣味は何ですか?」と問われた人が悩んだ末に、読書を趣味にしようと思い立つ。熱心に本を読むうちに、世の常として文字なら何でも読むようになる。「牛乳パックの後ろに書かれた」成分表示まで読む活字中毒者になってしまったと語られる。だがまず詩人は(そして私も)この問われる時に決まって発せられる言葉「ところで」に引っ掛かる。実のところ、「ところで」のような言葉が、あるいはそこに引っ掛かることがこの詩集を読む鍵になっているのではないか。「ところで」は魔法の言葉で、行き詰まった時、自分でも理由もわからずに無関係な話題へと転じるための免罪符である。「ところが」ではこうはいかないだろう。ただ、本当に無関係なところに抜け出すことは思いのほか難しい。一見わかりにくいだけで、時間が経ち振り返ってみれば、「ところで」の前と後で結局同じ辺りをうろついていたと気づくことがある。話題を転換してはいても同じことをただ別様に語っていたのだと悟るのだ。「ところで」の代わりに「そして、そして」と継いで行ったのでは、こうした納得感は得られなかっただろう。一度は離脱を試み、別様に語ってみることが必要だったのだ。

 それは散歩にも言える。「歩いていった 知らない道だった」。昨日はあっちへ、今日はこっちへ。「何もわからないから歩いていった」。知らないところを歩いているつもりが、「歩いていった 道があった 歩いていった 知っている道だった」。別の道を一度は歩いていったからこそ、知った道を「最後まで言えなかった言葉のように歩いてい」くことができるようになる。(「散歩する人」)

 「落ちた人」は満たされない心を満たそうと学校をサボり図書館へ行く。図書の分類コードの順に並ぶ本棚を歩いていく。テキストも図書分類も直線的な順序を強いるが、読む人はそこから妄想したり、脱線したりすることで抜け出すことが可能になる。本書で繰り返される言葉遊びや勘違いもそうだ。

見る(ポダ)/用を足す(ポダ)
手を挙げた(トゥロッタ)/花を持った(トゥロッタ)
人類(イルリュ)/一流(イルリュ)
ボール(コン)を蹴る(チャヌン)/空(コン)を打つ(チヌン)

 言葉遊びは辞書の中で、隣合っている本来関係のないもの同士を結びつけることで別なイメージを立ち上げる。しかも、韓国語の辞書では、言葉と言葉の距離感が日本語話者の私とはまったく異なっている。だから、そうした言葉遊びを読めば、これまでに一度も思い描いたことのない不思議な風景が現れる。それほど強い力を持ちながら、言葉遊びは人に何も強いることがない。遊んでも遊ばなくても構わない。そういう自由がある。オ・ウンはあえて言葉に敏感に反応して遊んでみる。言葉と言葉をほどいて、編み直す。むしろ、新たな言葉同士の絡まりを作り出してすらいるのかもしれない。そうすることで、直線的な文脈にいては叶わない感情を作り出した空間に解き放とうと試みる。その言葉遊びは、韓国語で繰り広げられるあやとりのようである。読者にもその自由が委ねられている。今度は日本語話者の私が読み、そしてあやとりして返す番なのかもしれない。

友田とん(ともだ・とん)
作家・編集者。ひとり出版社・代わりに読む人代表。著書に『ナンセンスな問い』、『パリのガイドブックで東京の町を闊歩する』、『百年の孤独』を代わりに読む』などがある。『地下鉄にも雨は降る』(WEBマガジン・かしわもち)を連載中。

協力:クオン

CUON
2023年6月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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