実はリア充こそ「みじめ」だった!? 東大・京大生に1番読まれた本にあるパスカルの主張とは

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陽キャでリア充だからこそ…(※画像はイメージ)

 もう夏も本番だけど、休み中の予定は特にない。“リア充”の友人は、旅行先のホテルやきらめく海辺、仲間で集まってキャンプを楽しむ写真をインスタに次々と投稿している。そんな世界とは縁遠く、今日も一日部屋でじっとしている自分が、なんだか「みじめ」に思えてくる……。

 もしあなたがそんな日々を過ごしていたとしても、落ち込む必要はない。むしろ、じっとしていられず気晴らしに熱中する“リア充”のような人こそが「みじめ」だと断じた、超有名な思想家がいるのだ。著作『パンセ』で人間を「考える葦(あし)」とした名言を残し、天才数学者としても名を馳せた、ブレーズ・パスカル(1623-1662)だ。

 しかも、このパスカルの「みじめ」発言などを紹介した哲学書の『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎、新潮文庫)は、2022年に東大・京大の生協で最も売れた本にもなっている。東大生や京大生がこぞって読んだ本に書かれた、パスカルの意外な主張とは?

 ※以下は『暇と退屈の倫理学』の一部をもとに再構成しました。

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『パンセ』を読むとパスカルのイメージが吹き飛ぶ

  パスカルは17 世紀フランスの思想家である。16歳のときに「円錐曲線試論」を発表した早熟の天才数学者であり、また、二度の「回心」を経て信仰に身を捧げることを決意した宗教思想家でもある。

 とはいえ、彼の名を世間に知らしめているのは、何よりも『パンセ』というその著作、そしてまたそのなかにある「考える葦」という有名な一節だろう。パスカルについては何も知らなくとも、「考える葦」という言葉を耳にしたことのある人は多いのではないか。「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である」。

 この一節だけを読むと、パスカルはずいぶんとヒューマニスティックな思想家のように思われるかもしれない。人間の力を信じる、心熱く、優しい人物と思われるのではないだろうか。

 実際に『パンセ』をひもとくと、そういうイメージは吹き飛ぶ。パスカルは相当な皮肉屋である。彼には世間をバカにしているところがある。そしておそらく、それが最もよくあらわれているのが、 「気晴らし」についての分析である。

人間の不幸は部屋でじっとしていられないから起こる

 退屈と気晴らしについて考察するパスカルの出発点にあるのは次の考えだ。

 人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。

 パスカルはこう考えているのだ。生きるために十分な食い扶持をもっている人なら、それで満足していればいい。でもおろかなる人間は、それに満足して部屋でゆっくりしていることができない。だからわざわざ社交に出かけてストレスをため、賭け事に興じてカネを失う。

 それだけならまだましだが、人間の不幸はそれどころではない。十分な財産をもっている人は、わざわざ高い金を払って軍職を買い、海や要塞の包囲線に出かけていって身を危険にさらす(パスカルの時代には、軍のポストや裁判官のポストなどが売り買いされていた)。もちろん命を落とすことだってある。なぜわざわざそんなことをするのかと言えば、部屋でじっとしていられないからである。

 部屋でじっとしていられないとはつまり、部屋に一人でいるとやることがなくてそわそわするということ、それにガマンがならないということ、つまり、退屈するということだ。たったそれだけのことが、パスカルによれば人間のすべての不幸の源泉なのだ。

 彼はそうした人間の運命を「みじめ」と呼んでいる。「部屋にじっとしていられないから」という実につまらない理由で不幸を招いているのだとしたら、たしかに人間はこの上なく「みじめ」だ。

國分功一郎(こくぶん・こういちろう)
1974年千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程に入学。博士(学術)。専攻は哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。2017年、『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)で、第16回小林秀雄賞を受賞。23年『スピノザ 読む人の肖像』(岩波新書)で第11回 河合隼雄学芸賞を受賞。

Book Bang編集部
2023年8月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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