私たちの日々の生活は、意思決定の連続です。特に、お金に関する意思決定は、誰もが大切なものだととらえられていることでしょう。
しかし、お金が関係する場面において、私たちは常に将来のことも考えた合理的な選択ができているといえるでしょうか。たとえば、CMに踊らされたり、レジ横の商品をつい買ってしまったり、衝動買いをしたり……。また、よく考えて行動したつもりでも投資やギャンブルでお金を失うなどして後悔してしまうことは、誰にでもあることでしょう。
『サクッとわかるビジネス教養 行動経済学』の監修者で、東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授の阿部誠さんは、本書のなかで「後悔する機会をできるだけ減らすためにはまず、人間の意思決定のくせを知っておく必要がある」と述べています。では、その“くせ”とはどのようなものなのでしょうか。以下、本書から抜粋・再編集してお届けします。
人は無意識のうちに“動かされている”!?
コンビニやスーパーで会計をする時、レジ前の床に描かれた矢印を目にすることがあります。コロナ禍では客同士の適切な距離を示す線も増えました。それらを見た私たちは、店の人に強制されなくても、長い行列ができていても、並んでいる人たちの後ろに立とうとし、前の人との距離を保とうとします。
でも、矢印や線がなかったらどうでしょう。誘導されることなく各自が勝手に考えて行動するので、割り込んだ、割り込んでいないといった言い争いになったり、密着状態になったりしかねません。つまり、矢印や線を見たことによって、私たちは店側の要望に沿った行動を、知らず知らずのうちに選択しているわけです。また、レジの横に置いてある電池をつい手に取ってしまいがちですが、これも無意識のうちに動かされている良い例なのです。
このように、自分では主体的に行動しているつもりでも、実は無意識のうちに何らかの情報や意図のもとに動かされてしまう――それが私たち人間なのです。
人間の非合理的な行動を解き明かすのに役立つ行動経済学
人が無意識に行動する時、判断の基準となるのが、過去の経験です。これまで自分が体験した成功や失敗、喜びや後悔、相場感といったものを頭の中で総合的に検討し、行動を決定しています。これは、私たちがわざわざ考えることではなく、脳が勝手に判断してくれる場合がほとんどです。自動車の運転や会話中の相槌など、考える暇がないような時でも、脳のおかげで適した行動を取ることができるのです。
人が選択をする時、これまでの伝統的な経済学においては、「人間は常に自分の利益を最大化する合理的な選択をする」という考え方が基本とされてきました。
たとえば、買い物という意志決定の例でいうと、結婚式で着るドレスを買う時、インターネットなどで比較検討すれば、最も安価で品質の良いものが手に入ります。そして、そのドレスのサイズに体型を合わせるためにダイエットしようと考えるのは、合理的な行動といえます。ですが、実際のところ私たちは、「今日はたっぷり運動したから」と、ダイエット中なのに高カロリーの食事をしてしまうこともあるのです。
このように、私たちは、時と場合によって非合理的な行動をとることがあります。しかも、「わかっているけど、できない」というケースだけでなく、正しい(あるいはお得である)と信じて行った選択が、実は非合理であったという場合も珍しくありません。
こうした人間の非合理的な行動を解き明かすのに役立つのが、行動経済学です。行動経済学は、伝統的な経済学の考え方に、人間特有の考え方やくせをふまえて実際の行動を検証するため、「経済学と心理学のハイブリッド」と表現されることもあり、消費者の動向をつかみやすいことから、マーケティングの分野で注目を集めています。
人間の意思決定プロセスには、「直感」と「熟考」の2モードがある
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- サクッとわかる ビジネス教養 行動経済学
- 価格:1,320円(税込)
私たちが意思決定する際、そのプロセスには、直感と熟考の2つのモードがあります。
たとえば、何か食べたいけど時間がない時、私たちはそれほど深く考えずにメニューを選びます。10分も20分もかけて、「何を食べようか?」と悩むことはないはずです。ある程度直感で選ぶでしょう。この時、過去の経験などを参考にして瞬時に決定を導きだしています。
このように、素早く回答を導く際の意思決定プロセスを「ヒューリスティック」といいます。
一方、パソコンのような高価なものや、こだわりの強いものを買う時、人は性能、価格、用途などさまざまな条件を考慮します。このように、情報を集めてじっくり検討する思考を「システマティック」といい、人は、場面ごとに「直感」(ヒューリスティック)と「熟考」(システマティック)を使い分けているのです。
ヒューリスティックを使った意思決定は、ある程度満足できる答えを素早く出せる一方で、常に適切な判断に結びつくとは限りません。状況によっては、見たいものだけ、聞きたいものだけを見聞きしたり、都合よく解釈したりするなど、偏った考え方(バイアス)を引き起こすこともあり、損失につながる誤った答えを出してしまう場合があります。
よく目にするものを手に取ったり、有名人のCMに影響を受けて買ってしまう理由
「よく見かける」「インパクトが強い」「最近知った」「友人が使っている」……。こうした商品は私たちの記憶に強く残り、思い出しやすいもの。私たちは、記憶に残っているものを信用するため、テレビCMやWEB広告、車内広告などでよく見聞きするものは身近に感じ、さらに「売れているもの」と思い込む傾向があります。そのため、値段や品質について細かく検証することなく、直感的にその商品を選んでしまうのです。このように、なじみのあるものを選択する意思決定プロセスを「利用可能性ヒューリスティック」と呼びます。企業は、さまざまな媒体に繰り返し広告を出すことで、購入に結びつけたいと考えているのです。
思い出しやすくするための企業の戦略
企業は自身をブランディングするために、思い出しやすくなじみ深いイメージを作る工夫をしています。たとえば、ブランドロゴの統一、ジングル・音楽(サウンドロゴ)の使用などです。ジングルとは、ブランドを印象づけるための音楽です。
また、コスモ石油の「ココロも満タンに」、ニトリの「お、ねだん以上。」などの言葉が入ったものや、ファミリーマートに入った時に流れる「入店音」のような音だけのものがあります。同じ音楽を何度も繰り返して聞くことで、親しみやすくなり、好印象を得られます。
私たちの記憶に強く残り、思い出しやすくするように、企業はテレビCMやラジオCM、WEBページやSNS広告、街中の看板、チラシなどで消費者に近づこうとします。印象に残りやすくするために、「インパクトが強い」広告を出そうと、企業は日々努力しているのです。
阿部誠(アベマコト
東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授。1991年マサチューセッツ工科大学博士号(Ph.D.)取得後、2004年から現職。ノーベル経済学賞受賞者との共著も含めて、マーケティング学術雑誌に論文を多数掲載。行動経済学の研究対象である人間の知覚バイアスや選好逆転に着目し、計量・統計モデルを用いて得られた分析結果をマーケティングに応用する研究を行っている。2003年にJournal of Marketing Educationからアジア太平洋地域の大学のマーケティング研究者第1位に選ばれる。主な著書に『大学4年間のマーケティングが10時間でざっと学べる』『東大教授が教えるヤバいマーケティング』(共にKADOKAWA)、共著書に『(新版)マーケティング・サイエンス入門:市場対応の科学的マネジメント』(有斐閣)などがある。
阿部誠(東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授)/イメージ画像:Shutterstock/イラスト:松尾達
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