若くしてツキノワグマの生態を解き明かす新発見を重ね、今や日本を代表するクマ研究者となった東京農工大教授・小池伸介氏。その原点は山梨県の山岳地帯で道なき道をさまよい歩いたクマのウンコ拾いの日々だった。ツキノワグマの生態を紹介しつつ、クマと関わるようになったきっかけ、試食する者まで現れるクマのウンコのかぐわしさとは!?
小池伸介著「ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら」(辰巳出版)より、一部を特別公開します。
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世紀末の山奥で藪かき分けてウンコ探し
1999年夏、大学3年生の私は山梨の山中で道なき道を泳ぎさまよっていた。
歩くのではなく、泳ぐ。うっそうと群生するササや低木の海をかきわけて進む「藪漕(やぶこぎ)」では、足が地面につかないのだ。だから、歩くのではなく泳ぐような格好になる。
深いところに踏み込むと場所によっては顔が藪に埋もれることもあり、方向感覚すらおかしくなりそうだ。道に迷って遭難したり、足下に崖や沢があるのに気づかず転落したりする危険すらある。スマホもタブレットもないから、頼りは地図と方位磁針だけである。死にたくなければ位置確認は欠かせない。
森によっては、藪に棘とげのあるキイチゴやタラなども混じる。半袖を着ていたらすぐに血まみれになるだろう。真夏で汗だくになろうとも長袖・長ズボンを着なければいけない。厚手で丈夫な素材であればなお安全だが熱中症が心配だ。
藪の中には当然虫もいる。ダニに刺されるのは日常茶飯事。奴らはササのような低木の上で、動物が通るのを待ち構えている。蚊はもちろんブユやアブにも刺されるし、知らないうちにクロスズメバチの巣を踏んでしまい、刺されたこともしょっちゅうだ(クロスズメバチは思ったほど痛くなかった)。ヒルがいなかったのだけは不幸中の幸いなのかもしれない。
整備された登山ルートを通るわけではないので山小屋はない。トイレに行きたくなったら空の下で用を足すしかないし、大きいほうをしたくなってもトイレットペーパーは自然に分解されにくいので、持ち帰らなければならない。
まだハタチの人生一番楽しい盛りだったはずの私は、なぜこんな辛い思いをして山に入り、何をしていたというのか。
クマのウンコを探していたのである。
ウンコがなければ留年確定
私の卒論のテーマはクマの食性解析だった。そう書くと難しそうだが、不真面目な私の発想は食レポと同じだった。野生のクマさんのウンコを拾い、それをバラしてピンセットで食べ物の破片を拾い上げ、何を食べたのかをレポートする、以上終わり! と。浅はかなのは百も承知。そんな浅はかな卒論も山ほどいっぱいウンコを集めて書けば単位ぐらいもらえるだろう、という魂胆だった。
しかし、ウンコはひとつも見つからず頼みの数が集まらない。早くも「留年」の二文字が頭をちらつき始めた。一度山に入れば数キロやせる過酷な真夏のウンコ探しだが、まったく割に合わず、疲れと焦りだけが募っていた。
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- ある日、森の中で クマさんのウンコに出会ったら
- 価格:1,650円(税込)
ターゲットはツキノワグマ
ところで、私が卒論の研究対象に選んだのはツキノワグマだ(本書では基本的にツキノワグマのことを「クマ」と表記する)。そこで、まずはこれまでわかっているツキノワグマの基礎知識についてざっくりとおさらいしておきたい。
日本の森には2種類のクマが生息している。北海道にいるヒグマと、本州と四国にいるツキノワグマである。なお、九州にもかつてはツキノワグマが生息していたが、1950年代前後に絶滅したと推定され、長年にわたって生息は確認されていない。
ツキノワグマは大人のオスが60~150kg、大人のメスで40~80kg、立ち上がったときの身長は1~1.5m程度である。人間の体格よりやや小さく、ずんぐりさせたような姿をしている。ちなみに、日本のヒグマは最大で体重400kg、立ち上がると3mにも達する個体もいる。
ツキノワグマの見た目の大きな特徴は、なんといってもその名の由来となった胸元の「月の輪」だ。全身のほとんどは真っ黒な毛に覆われているが、胸元だけ三日月状の白い毛が生えている。しかし、この月の輪の形は個体によって大きく違い、なかにはまったく白い毛のない個体もいる。
そのずんぐりした体形からは想像しにくいが、ツキノワグマは木に登ることができる。前足と後ろ足の先には鋭い鈎爪が生えていて、それを木の幹に突き立てることで木に登って葉や実を食べたり、樹上で休憩したりする。
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