三人目の妻に逃げられた大手ゼネコン勤務の男性が東南アジアに求めたロマンとは? 篠田節子『ドゥルガーの島』試し読み

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 大手ゼネコンに勤務する加茂川一正は、休暇で訪れたインドネシアの小さな島で『海のボロブドゥール』としか言いようのない海底遺跡を偶然発見する。

 建築のプロではあるが遺跡に関してはまったくの素人である一正だが、この遺跡の保護を自らの使命と心に決め、水中考古学者の藤井、民俗学者の人見とともに調査に乗り出すが、地域住民の反発、経済を優先する権力者からの妨害、他宗教からの弾圧……次々と壁が立ちはだかる。

『インドクリスタル』『弥勒』など、因習と開発の間で揺れる発展途上国の「いま」を描き続ける篠田節子さんによる超ド級の海洋エンターテインメント!

 三人の冒険が始まる冒頭部分を試し読み公開します。

   1

 息せき切ってホームに駆け上がり、売店で缶コーヒーとパンを買った。
 ウェットスーツやフィンなど軽量ダイブ機材のケースを縛りつけたカートを引っ張り、発車寸前の列車に乗り込む。
 身を投げ出すようにシートに腰掛けると、袋を開いて缶コーヒーのプルトップを開けた。
 この日、目覚めてもテーブルの上に朝食の用意はなかった。
 加茂川一正(かもがわかずまさ)が、京成スカイライナーで成田空港に向かったのは、三人目の妻に逃げられた翌朝のことだった。
 昨年、四十八歳の春に結婚したばかりの、二十あまりも歳の離れた妻だった。
 結婚式は凄まじいばかりに盛り上がった。建設会社の同僚も、ダイビング仲間も、博物館の学芸員仲間も、一緒にジャズバンドを組んでいるメンバーも、祝福とやっかみ交じりの言葉で、若く可憐な妻の隣で日焼けした赤ら顔を火照らせている一正をこき下ろした。
 なぜ出て行かれたのか、一正は未だにわからない。
 昨日、この調査旅行の準備のために海洋未来博物館を訪れ、夕刻になって戻ってみると部屋の様子が一変していた。
 ドアを開けた瞬間、マンションの部屋を間違えたのだと思った。慌てて廊下に出て部屋番号を確認したが、間違いなく自宅だった。
 内部が、がらんとしていた。
 クロゼットが、鏡台が、大画面テレビが、食器棚が、消えて、床には家具の裏から出て来た埃やゴミが散らばっていた。
 とっさに泥棒に入られたのかと思い、通帳を確認すると、引き出しの中にそれはちゃんとあった。しかし振り込まれたばかりの退職金から三百万円が前日のうちに下ろされ、食堂のテーブルの上には判を押した離婚届が置かれていた。
 それでも何が起きたのか、まったくわからなかった。
 喧嘩などした覚えはない。妻にも変わった様子はなかった。
 女はわからない……。いつものことながら。
 家具の跡が床や壁に残る部屋に立ち尽くした一正は、呆然としたまま、とりあえず旅支度を整えた。
 パスポート、eチケットの写し、着替え、ウェットスーツ、ダイビングシューズ、フィン。そしてダイブコンピュータに、水中でメモを取るための専用筆記用具とノート。
 ウェットスーツは、肩の筋肉も胸板も格別に厚い一正の体に合わせ、ダイビングショップで作らせた特注品だ。

 空港の搭乗カウンターに荷物を預けたとき、「失礼ですが、加茂川さんですか」と声をかけられた。
「はあ……」
「人見(ひとみ)です。静岡海洋大学の」
 栗色の髪をポニーテールに結ったジーンズ姿の女性が立っている。紹介状によれば一正と同年配のはずだが、艶やかな小麦色の肌も朱の口紅を差した唇に浮かんだ笑みも、思いのほか若い。
「あ、どうも、今回は……」
 慌てて差し出した名刺は、一ヶ月前に早期退職した大手ゼネコンのものだった。新しい名刺はまだ作っていなかった。
 今の身分は大学の教員だ。「武蔵野情報大学国際交流学群国際貢献学科」まではいいが、「非常勤講師」という肩書きは、今ひとつ重みに欠ける。
「所属は変わりましたが、名前はこの通りで変わっていませんので。仲間うちでは、加茂川のカモヤンで通っております」
 頭をかきながら、一正は、男の場合は離婚しても姓は変わらないんだよな、と食卓に残されていた届け出用紙を思い出す。
「ああ、はい」と素っ気なく受けとり、人見は、自分の荷物をカウンターのベルトコンベアに載せようとする。手伝おうと手を伸ばすと「ああ、大丈夫」と、スーツケースと大型の布のバッグをひょいと持ち上げた。コバルトブルーのポロシャツに包まれた上半身がしなやかに伸び、二の腕の筋肉が盛り上がった。重量計の目盛りは軽く三十キロを上回った。
 一正の方も軽機材とはいえダイビング用品が入っているのでそれ以上の重さがある。超過料金を支払っている背後から、「このたびはお世話になります」と声をかけられた。
 一正より一回り若い男が几帳面な仕草で頭を下げていた。
 静岡海洋大学の准教授、藤井(ふじい)だ。水中考古学の研究者で、このメンバーの中では唯一の専門家だ。
 出国審査を済ませロビーにたどり着くと、人見は混雑しているカフェの一画を指差し「朝食は?」と男二人に尋ねる。
「済ませてまいりました。どうぞお気遣いなく」と藤井は答える。
「私も」と一正も一礼する。
 人見は機敏な足取りでカフェのカウンターに行くと、サンドウィッチと野菜ジュースを買ってきた。
「遅れましたが」
 サンドウィッチを咀嚼しながら、人見はノートパソコンの入ったリュックサックをかき回し、名刺を取り出して一正に手渡す。
 人見淳子、肩書きはリベラルアーツ学系海洋学群海洋文明研究科特任教授とある。
「特任教授ですか」
 長年培われたサラリーマンの生理で、一正は肩書きに弱い。「教授」の文字に無意識のうちに襟を正した後は、その前の特の字に注目した。
「ああ、有期雇用の教員のことね」
「はあ?」
「共生文明学を教えているの」
 聞いたことのない学問だ。
「ジャンルからすると昔で言う文化人類学。今はあちこちの大学でいろんな名前がついてるから」
 厚切りのカツサンドを、いとも優雅な手つきで口に放り込みながら、人見はてきぱきと答える。
 物腰も口調も、最初の妻にそっくりだというのに、一正は気づいた。
 二十代の最後の歳に結婚した相手は、大手出版社の編集部員だった。愛嬌があって美人の彼女とは、友人を通して知り合い、一目惚れした。自分が当時話題になった“三高”の部類に入ったのかどうか定かではないが、大手建設会社勤務、一級建築士、それなりの体格とそれなりに精悍な面差しをしていた一正は、それなりに女性たちの人気を集めていた。

篠田節子
1955(昭和30)年、東京生まれ。東京学芸大学卒。東京都八王子市役所勤務を経て1990(平成2)年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。1997年『女たちのジハード』で直木賞、『ゴサインタン』で山本周五郎賞を、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞を受賞。2011年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、2015年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、2019年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞し、2020年紫綬褒章を受章した。他の著書に、『夏の災厄』『弥勒』『ブラックボックス』『長女たち』『肖像彫刻家』『田舎のポルシェ』『失われた岬』『セカンドチャンス』など多数。

新潮社
2023年12月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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