行きたいときに行きたい場所へ 手には自由しかないが何にも代えがたいもの
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
ジャック・ロンドン『ザ・ロード アメリカ放浪記』(川本三郎訳)が文庫になった。
十九世紀の終わり、大不況下のアメリカで、若きジャックは放浪の旅に出る。大陸を横断する列車にタダ乗りし、乗せまいとする制動手や車掌と、命がけのいたちごっこをくりかえす。
放浪罪があった時代で、警官に刑務所へ放り込まれたこともあるが、土地にしばりつけられあくせく働く大多数の人を尻目に、ホーボー(放浪者)は行きたいときに自分の行きたい場所へ赴く。彼らの手には自由しかないが、それは何にも代えがたいものと映る。
作家になるためにホーボーになったわけではなくても、食べものを物乞いするときや、警官に尋問されたときに、矛盾のない物語をとっさにひねり出す能力は不可欠で、過酷な放浪の旅が少年を作家に育てたことは間違いない。
『オン・ザ・ロード』(青山南訳、河出文庫)を書いたジャック・ケルアックも『ザ・ロード』を読み、ホーボーの旅に魅力を感じたひとりらしい。
小説のサルはケルアックの分身で、破天荒なディーンと出会い旅を開始する。移動手段は車かバス。一つの場所に留まることを恐れるように、猛スピードで移動し続ける。
コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』(黒原敏行訳、ハヤカワepi文庫)の父と子は、大陸横断ではなく南へと向かっている。
なぜ南かと言えば、小説の舞台はほとんどの人が死に絶えた近未来のアメリカで、寒冷化が進んでいるため少しでも暖かい場所を目指して彼らは徒歩で移動しているのだ。
生き残った人間が殺し合う救いのない世界で、主人公の幼い息子の存在は希望である。心優しいこの子を守るためだけに、父親はかろうじてこの世にとどまっている。手荷物を入れたカートを押す父と小さい男の子との物語に「子連れ狼」の影響を指摘する人がいると訳者あとがきを読んで知った。真実かどうかはおいて、興味深い指摘である。