山田ルイ53世(髭男爵)『一発屋芸人列伝』
2018/05/31

コウメ太夫 “出来ない”から面白い(後編)

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コウメ太夫
コウメ太夫

イジられ人生

 月日は流れ、彼は大学に進学する。
 しかし、夢を諦めたわけではない。
「芸能オーディションを受けられる時間を延ばしたかった」
 何ともモラトリアム丸出しの言い分に、脱力する。
「関東近郊の大学は全滅で……」ということで、北海道のとある大学に潜り込んだ。
 北の新天地で、彼が挑戦した幾つかのオーディションの一つが、「ミスター日本」である。
 コウメ太夫によると、
「高島忠夫さんと三田寛子さんが司会をしてたんだけど、質実剛健と美を兼ね備えた男が、頂点を……みたいな」
 みたいな……じゃない。
 彼の曖昧な認識はともかく、その年の「ミスター日本」には2万5000通の応募があったという。
 結果は落選。にも拘らず、彼はテレビの取材を受け、ダンス審査に臨む勇姿が、ローカル局で放送されたそうな。
 別に、光る何かがあった訳ではない。
「事務局に届いた履歴書の1通目が、僕のだったみたいで……」
 新聞に大きく掲載された募集広告に、いち早く反応したのがコウメ青年だったのである。謂わば、正月の福男レース。少なくとも、その年、日本で最初にミスター日本になりたいと願ったミスターだったのは間違いない。
 だが、これがまずかった。
 テレビを観た、当時、彼が大学で所属していた陸上部の先輩が、
「お前、陸上やってるのに、何でミスター日本とか出てるんだ、コノヤロー!!」
 と何故かお怒りに。
 結果、コウメ青年はハードな“イジり”のターゲットにされてしまう。

「もう逃げてました。部員の足音が聞こえたら下宿からサーッと」
 陸上部で鍛えた脚力がここで役立つとは皮肉である。
「僕の下宿に陸上部の先輩や後輩達がやって来て、飲み物におしっこ入れられたり、テレビを盗まれたり、時計を盗まれたり……あっ、あと、スリッパにシャンプー入れられて凄くぬるぬるした!」
“被害ランキング”を、1位からオープンして行くという、芸人失格のミスに加え、
「香りは悪くなかったけど……」
 と無用のフォロー。
 筆者がその全てに目を瞑り、
「それ、いじめじゃないですか!? 大学生にもなって!!」
 と、憤慨してみせると、
「しょんべん嫌だったなぁ」
“おにぎりおいしかったなぁ”と同じ節回しで、大学時代を振り返る彼に悲愴感はない。
 本人の自覚は薄いようだが、彼の人生は、イジられることの連続であった。
 とある雑誌のインタビューで、「子供の頃は周りに友達が沢山集まって来た」と語っているが、よくよく訊けば、
「何かあると、『お前バカだろ? 学校の中で一番バカだろ!』と言われてましたね」
 やはり、イジられると言うより“いじめ”。
 集まって来たのは、友達だけではなかったようだ。
 周囲にからかわれる度に彼は、
「おう! そうだよそうだよ!!」
 と、ひたすら“認める”という斬新な方法で、敵を撃退していたという。
 中学の半ばには、転校を経験。おかげで、数少ない親友と呼べる人間とも疎遠になった。
「転校先では、大丈夫でした?」
 暗に、いじめの有無を尋ねると、
「うーん……あれは、いじめって言うのかな……」
 少し考えた後、
「窓に押し付けられてガラスが割れて、その弁償代を僕が払わされたことはありましたね」
(それーーー!!)
 心の中でツッコむ。
 しかしここでも、当時を思い返す彼の表情には、悲しみや怒りは感じられない。
「何をやられても、『芸能をやりたい!』という方に頭がいっていたから、死にたいとかは思わなかった」
 幼き日に抱いた夢が、彼を強くした。夢の大切さ、と言うより、マイケルの偉大さが身に沁みる。

和風オーディション

 結局、彼は大学を中退する。
「好きなオーディションを受けられなくなったから」
 というのがその理由だが、原因は、勿論、陸上部の“イジり”である。
 学校での居場所が無くなり、オーディションどころではなくなったのだ。
「毎月雑誌に書いてある応募先に、履歴書をバサバサ送ってました」
 オーディションは彼の命。
 憧れのマイケルのように、歌って踊る人生を一刻も早く手に入れなければ……その一念が、彼を衝き動かしていた。
 大学中退後、幾つかの芸能事務所を転々とした後、梅沢富美男が主宰する劇団のオーディションに合格する。
 22歳の時であった。
 それにしても、ジャニーズ→ミスター日本→大衆演劇……何やら双六(すごろく)がおかしい。
 怪訝な僕の表情に気付いたのか、
「なかなか芽が出ないので、ここは一つ、ジャンルの違う“和風”のところを」
 と説明してくれる。
 ……和風?
「それまでは、“洋風”ばっかりで、“和風”のオーディションを受けたことなかったから」
 初耳の価値観だが、とりあえずドレッシングやハンバーグの話ではなさそうだ。
 要するに、彼はオーディションを“洋風”と“和風”で分けており、マイケルに憧れる身としては、和風は違うと、避けていたのだが、
「お袋がいつも、『お前の顔見てると、洋風じゃない。和とか狙ってみたら?』って言ってたから」
 母の適切な助言もあり、人生初の“和風オーディション”を、見事に突破した……という話である。
 これが、望外に好待遇であった。
 毎月給料が出るし、公演がある日は、食事代として現金4000円が支給される。
 しかし、2年後、その待遇を捨て、彼はお笑い芸人に転じた。
「このままここに居ても、トップである梅沢さんを超えることは出来ない」
 さすが一度はミスター日本を目指した男。言うことだけは一丁前である。
 だが、現実は甘くなかった。
「最初は、フリーで一人でやり始めたけど、行く先々で、コテンパンにダメ出しされた」
 一人での活動に限界を感じた彼は、
「やっぱり相方探した方がいいなと……で、ダンスをやってる女の子とコンビを組んだ」
 お笑いコンビの結成話は、「学生時代からの友達で」「養成所で知り合って」「バイト先に、面白いヤツいるなと思って」といった辺りが定番である。
 しかし、コウメ太夫と最初の相方との出会いは、
「知り合いの松竹のプロデューサーさんの紹介で」
 初めて聞くパターン。合コンの話でも聞かされているのかと錯覚する。
 そもそも始めたての芸人に、プロデューサーの知人など普通いない。勿論、大物芸能プロデューサーだった父上が築いた人脈である。
 更には、
「僕、昔から、マセキ芸能社の社長さんと仲がいいんですけど……」
 と、これまた亡き父上のコネを使って、お笑いライブへの出演を果たす。
 忘れていたが、彼はサラブレッド。
 漫画『おぼっちゃまくん』にありそうなエピソードだが、コネ頼りの急造コンビがウケるはずもなく、ステージは大スベりしていた。
“していた”と言うのも、筆者は偶然その場に居合わせていたのである。勿論、我々駄馬は、正規のオーディションを突破した上での出演。いや、我々に限らず、他の芸人も同様である。
 更に、間の悪いことに、コウメ太夫のコンビは、ゲストコーナーでの出演であった。
「何であんな奴らが、ゲストなんだ!」
 楽屋の芸人達の顰蹙(ひんしゅく)を買ったのは言うまでもなく、コネ出演の件も明るみに出て、
「ライブを仕切っていたマセキ芸能社のマネージャーにコテンパンに怒られました」
 自業自得である。
 初めてないがしろにされたオーディションの神の逆鱗に触れたのかもしれぬ。
「結局、相方は、お笑いよりダンスをやりたいと言って辞めていきました」
 その後、何度か相方を替え、結成と解散を繰り返すも、
「どこに行っても全くウケなかった」
 と本人が振り返る通り、結果の出ない日々。
 実際、前述の初舞台も含め、何度か彼と同じ舞台に立った僕の記憶の中でも、“駄目な人達”との印象が強い。

コウメ太夫誕生

 再びピン芸人に戻った時には、既に33歳。お笑いを目指してから、8年の歳月が経っていた。
 一人に戻ると、すぐに、
「女形なんて他にやっている人もいないから物珍しくていいだろうと」(「週刊実話」2009年11月7日号)
“コウメ太夫”が誕生する。
 梅沢劇団時代に習得した踊りと白塗りの女形が、ここで活きたわけだ。
 半年後には「エンタの神様」(日本テレビ)のプロデューサーの目に留まり、出演が決定。トントン拍子にレギュラーの座を射止め、大ブレイク。
“一発”を成し遂げたのである。
 マイケル・ジャクソンに憧れた少年が、自虐ネタを言い、チクショーと悔しがる白塗りの女形になる……人生とは数奇なものだ。
 マイケルへの憧れはその後、ジャクソン太夫なる新キャラで昇華された。幼少時代特訓したムーンウォークに対する努力も、なぜか相模原で開催されたムーンウォーク世界大会で準優勝を飾ったことで、幾らか報われただろう。
 ブームはすぐに過ぎ去ったものの、実家が不動産屋であるマネージャー氏の助言により、アパート経営を始め、現在は収入も安定している。勝ち組である。
 そんな彼の浮草のような、それでいて最後には勝っている人生に思いを馳せる時、僕はとある映画を思い出す。
『フォレスト・ガンプ』である。
 ただただ愚直に、流されるまま今に辿り着いた芸人、コウメ太夫。
 僕には、見える。
 ベンチに座り、チョコレートの箱を膝に載せ、バスを待つ彼の姿が。
 本人は嫌がるだろうが、あえてこう呼びたいのだ。コウメ太夫は、和製……いや、“和風”フォレスト・ガンプなのだと。
 映画であればエンドロールだが、人生は続いていく。
 生活には困らない。だが芸人としては一発屋の烙印を押されてしまった。
 そこに、バスが来た。

“出来ない”から面白い

「コウメ太夫で笑ったら即芸人引退スペシャル」(「テベ・コンヒーロ」2012年 TBS)
 この番組への出演で、彼の運命は再び変わる。
 タイトル通り、ロンドンブーツ1号2号、おぎやはぎ、有吉弘行らスター芸人達が、コウメ太夫のネタを見て、もし笑ってしまったら芸人を引退する……という触れ込みの企画。
 この企画の大前提は、
「コウメ太夫=つまらない」
 という共通理解である。
 そんなコンセンサスが芸能界のみならず、全国民に得られている芸人など他にはいない。コウメ太夫だからこそ、成立する企画である。
 そもそもおぎやはぎの矢作氏が、雑誌のインタビューで、
「コウメは、ズバ抜けて出来ない!」
 と語る通り、彼は“出来ない芸人”である。
 例えば、番組でも披露された、コウメ太夫のネタのレパートリーの一つ、「チクショー1週間」。
 スケッチブックには、幼稚園児が描いたような下手糞な絵。それを紙芝居風に捲りながら、ロシア民謡の「一週間」の替え歌を披露するのだが、これが酷い。
「月曜日は、離婚通知書が来て」
「火曜日は、籍が抜かれて」
「水曜日は、シングルファザー」
「木曜日は、窓から落ちる」
「金曜日は、トラックに轢かれー」
「土曜日は、はーたーんー(破綻)」
 月曜から木曜は実体験。所謂、自虐ネタだが、始める前に何の説明(フリ)もないので、体験談なのか創作なのか判然としない。結果、
「閉まっていると思って寄りかかったら、窓が開いてて二階から落ちた」
 と本人が語るように、折角の実話、笑える間抜けエピソードである木曜も、本来の実力を発揮出来ない。
 金曜になると、例によって小学生のような嘘。ボケだとしても、正直、面白いとは言いかねる。
 とにかく、無茶苦茶なのである。
 加えて、
「ネタ中に咳き込む」「チクショーの言い方がやる度に変わる」「ネタに関係のない数珠や指輪を身に付けている」など、コウメ太夫の「出来なさ」の数々が、見る側の集中を削ぐ。
 たまに、“バカ殿”になるのも酷い。
 ただでさえ、白塗りメイクであの声である。ネタ中はまだしも、急に話を振られると、
「あれ……あの……あたしゃねー」
 と口調が完全にバカ殿化する。
 漫才中のボケが一つ、他と被るだけでも、顔を赤くしたり青くしたりするのが芸人なのに、全国民が知る偉大な先達の代表的キャラクターと被るなど、普通なら、あり得ないし、起こり得ない。
 彼には、芸人なら本能的、あるいは経験則的に備わっている筈の常識や回避能力……“反射”がないのである。
 言ってみれば、指で突かれても、目を見開いたままの人間。まるで、恐怖心がないようにさえ思える。
 そうでなければ、
「たこ焼き買ったら、1個足りませんでした……チクショー!!」
 そんな弱い武器で、舞台に上がることなど出来ない。
 少なくとも、僕には。
 失礼を承知で言えば、全てが的外れ。
 しかし、言い方を変えれば、「必ず的を“外せる”」ということでもある。
 一度「的を外すことが正解」とルール改正が行われれば、全てが正解になるのだ。
「コウメ太夫で笑ったら芸人引退」企画は、そのルール変更を行い、それまで同業者である芸人が、“裏の笑い”として楽しんでいたコウメ太夫の唯一無二の「出来なさ」を、お茶の間でも味わえる「面白いもの」として提供したのである。
 番組は、芸人達も、そしておそらくは視聴者もコウメ太夫に大爆笑し、
「コウメ太夫のネタを見ると芸人は全員笑う!」
 と結論付け、幕を閉じた。
“まかない飯”が、正式メニューに採用された瞬間である。
 とは言え、勿論、ネタではない。
 芸人として「駄目過ぎる」コウメ太夫という人間が面白いのだと、新たな見方を示したのである。
 今や、
「今回も意味不明だったなー!!」
「次は、どんな駄目な振る舞いを!?」
 むしろ「出来なさ」を期待される状況。
「コウメ太夫を面白がれないやつはセンスがない!」
 そんな空気さえ醸成され始めた……気がする。
 彼の「イジられ」としての価値も高騰。僕如き、凡庸なコスプレキャラ芸人では、手が出ない。
 イジって良いのは、本当のスター……“出来る”人間だけなのである。
 もはや異次元の存在となりつつあるコウメ太夫。
 彼のマネージャー氏は語る。
「コウメの素晴らしいところは、お笑いに対する考えが柔軟だってこと。どんなアドバイスでも、必ず一度は愚直に試してみる。頭の硬い芸人には必ず話してます。『コウメ太夫を見習え』と」
 後輩芸人のひものも、
「コウメさんはいつも新ネタを考えている」
 と、尊敬の念を口にする。
 その証拠に、ジャクソン太夫、イタコ太夫、ロック太夫……嘘かまことか、彼は100の“太夫”を持つ。
 そのどれもが、完成度は低い。
 しかし、それが面白いのである。

親子で「チクショー」

 最後に彼の父親としての一面を書こう。
 離婚を経験し、現在独身のコウメ太夫は、母と息子との三人暮らし。子育てに関しては、悪戦苦闘の日々である。
 ある時、学校に呼び出された。
「息子さんが一日中『チクショー』と叫び続けてるから、止めさせてくれませんか?」
 担任曰く、連日、教室で叫んでいるらしい。親子揃って“まいにちチクショー”というわけだ。
「僕がたまに出るテレビの録画とかを、息子が面白がってずーっと見てたんですよ。何時間も。それで、覚えちゃったみたい」
 父のネタを息子が……聞きようによっては美談だが、彼は常日頃から、父親がコウメ太夫ということを周りに言わないよう、息子に申し渡しているらしい。
 ひものによれば、
「コウメさんは、『お前の親父、コウメ太夫なんだろう? チクショーとか言え!』と息子がいじめられるんじゃないかと心配で、家の外では、自分がコウメ太夫ということを言ってないんです」
 分かる。僕もそうだ。
 結局彼は、自分の正体を知られるのを恐れるあまり、
「『チクショー』って言っているそうですが、あの『チクショー』じゃない……ただの『チクショー』なんです」
 と訳の分からぬ弁明をしたそうな。多分、もうばれてる。
 帰宅後、パパ太夫は、
「学校では、チクショーって叫ばないようにね」
 担任との約束通り、息子に注意した。
 息子は一言、
「うん」
 と頷(うなず)いた。
 コウメ太夫……不世出のポンコツ芸人、誰にも真似できぬ唯一無二の存在。
“まいにちチクショー”の中にこういうのがある。
「階段を上っていると思ったら~、下がってました~」
 逆もまたしかり。
「階段を下っていると思ったら……上ってました」
 彼の人生そのものではないか。僕にはそう思える。
 何より、息子は、「父がコウメ太夫」であることを、
「チクショー!!」
 とは思っていない。
 どうやら彼は“良き父親オーディション”には、無事合格出来たようである。
 審査員は自分の息子……コネではあるが。

©YOSHIMOTO KOGYO CO.,LTD./©松竹芸能株式会社
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