人気者になりたい! 現役のティーンによる感動的な奮闘記

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人気者になりたい! 現役のティーンによる感動的な奮闘記

[レビュアー] 山崎まどか(文筆家)

「人気者になりたい!」

 中学生にとってこれほど切実で、身も蓋もない願望があるだろうか。もし、中学時代にそんなこと考えていなかったなんていう大人がいるとしたら、その人は十代だった時のことをすっかり忘れているか、嘘をついているかのどちらかだろう。

 十代の世界には社会的な階層がある。ピラミッドの頂点に君臨するのは多くの場合、スポーツが得意、容姿が端麗、裕福な家庭出身といった条件に恵まれた子供たちだ。社交が上手な子がそれに続く。人気者ならば疎外感を味わうことも、いじめに苦しむこともない。子供たちはチヤホヤされたくて、人気者に憧れるのではない。彼らにとってその地位は社会的な保障なのだ。

 十三歳のマーヤ・ヴァン・ウァーグネンも、学校で人気者になりたいと密かに願う女の子だった。優しくて頭がいいけど地味で引っ込み思案のマーヤは彼女が通う中学のランクでいうと、ピラミッドの「圏外」に属するはみだし者。マーヤがここまで低い地位に甘んじている理由には、テキサス州ブラウンズビルという彼女が住む環境が関係している。

 メキシコ国境近くのこの地域ではヒスパニックが主流派で、マルチエスニックでスペイン語も喋れないマーヤは地域のアウトサイダーだ。ブラウンズビルに住む多くの人は貧しく、周囲では麻薬の売買が横行し、学校の近所では暴力的な事件も起きる。そんな中、マーヤの父は大学院を出て大学で職を得たものの、もっと条件のいい仕事に就こうと奮闘している。マーヤは学校内とその外の社会、両方における「社会的階層の固定化」と戦わなくてはならない。

「人気者」であることがどういうことか知りたい。そう思ったマーヤが手に取ったのは、八年生(日本の中学二年生)になる前に父親の書斎で見つけた『ベティ・コーネルのティーンのための人気者ガイドブック』という一九五一年刊行の古本だった。マーヤは五〇年代のティーン・モデルが書いたこの自己啓発本のアドバイスを一年間実践して、本当に人気者になれるか試してみることにした。

『マーヤの自分改造計画』は現役のティーンによって書かれた、感動的な奮闘記である。ジュディ・ブルームのヤング・アダルト小説をジャド・アパトーが映画化して、社会学的な考察を加えたらこんな風だろうか。でも先に言っておこう。マーヤがこの本によって劇的な美少女に変身し、クラスの女王として君臨するなんてことは起きない。それどころか、五〇年代的な価値観で書かれた本のアドバイスに律儀に従うなんて明後日の方向のアプローチを試みた彼女は、普通の人気者街道から外れていく。当たり前だ。

 マーヤはベティ・コーネルの本に書いてある通り、学校に(模造)パールのネックレスをしていき、教会に白手袋をはめて通い、学内外に変わり者として名を轟かせる。古着屋で買ったバックル付きの靴を履いて、そんなに貧乏なのかと臨時教員に同情され、わざわざガードルを購入して体を締め付け、「お尻のほっぺた四つ」現象に悩まされる。その迷走ぶりにマーヤ、あんた、本当に人気者になりたいの? どこに行こうとしているの! とツッコミを入れたくなってくる。

 でもマーヤは、変わり者というレッテルもポジティブに受け止める。望んだような形ではなかったけれど、他校の子にも「マーヤ」という存在がこれで伝わったのだと彼女は考える。マーヤは長い間、学校で透明人間のような存在だった。しかし、この冒険によって彼女は学校社会で可視化される。それに伴って、マーヤを囲む地域社会やアメリカの学校の根本的な問題も浮かび上がってくる。

 彼女は分析的なことを書く訳ではなく、ただ率直に十代の世界で起こっていることを伝えているだけなのだが、この等身大の視点と文章は貴重だ。十代は背伸びしたり、他人の言葉を借りて気取ったりしたいものだ。素直で、自分の失敗や悲しみを軽やかに、ファニーに書けるマーヤの才能は計り知れない。

 マーヤの最大の冒険は、カフェテリアで各テーブルをくまなく回り、そこでランチを食べるということだった。昼食の席は、学内の社会の分断が如実に出る場所だ。彼女は様々なグループから疎まれたり、無視されたり、思わぬ歓迎を受けたりしながら、この「ランチのテーブル」で分断された学内の階層そのものが幻であることを知る。

 そしてラスト、アメリカの十代にとって最も大事なイベントである学期末のダンス・パーティのプロムで、ある計画を思いつく。学園物のドラマなら、これは最高のクライマックス・シーンだ。この計画自体がマーヤという女の子を表している。本が出発点となる冒険によって、他人に決めつけられた階層に押し込められる負け組ではなく、思いやりがあって、勇敢な少女である自分自身をマーヤ自身も発見するのだ。

 本の終わり近くで「お前はもう人気者(ポピュラー)だろ」と学校の勝ち組の男子がマーヤに言う時、それは学内の階層社会の頂点に彼女がいるという意味ではない。みんながマーヤはどんな女の子か知っていて、マーヤ本人も自分を知っている。それが「人気者」になるということの本質だ。だからマーヤは最後に誇らしく宣言する。「あたし、マーヤ・ヴァン・ウァーグネンは、人気者になった!」このマニフェストは十代にとって、どんな障害も越えていく力になるはずだ。

紀伊國屋書店 scripta
2017年春号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

紀伊國屋書店

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