【今月の文芸誌】事物を映す「主観」その揺らぎ自体の表現を目指す力作

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事物を映す「主観」その揺らぎ自体の表現を目指す力作

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


小説TRIPPER 2018 春号

「オブジェクタム」とは「サブジェクタム」と対をなすラテン語で、客観と主観に対応するように見えるが、哲学の歴史においてオブジェクタムは、事物を映す主観をむしろ表すこともある。高山羽根子「オブジェクタム」(小説トリッパー春季号)は、出身の町に帰った語り手が、少年時を回想するかたちで構成される。秘密のテントで謎の壁新聞を作る祖父と、それを手伝う語り手。ピエロのような女の子、何者かが河原に造った石とガラクタの壮大なオブジェなど、思い出されるのは少年の夢のような物事だが、夢幻とするには細部が際立っている。語り手は何かを確かめに町に戻ったらしいのだが、その調査も目的も、回想とは対照的に漠然としたままだ。

 一篇は像を結ばない。記憶や記録、情報のあいだで像が揺らぐこと、不確定さそれ自体を描くことを目指しているように見える。

 岡本学「俺の部屋からは野球場が見える」(群像4月号)。「俺」の元に、学生時代の友人だが疎遠になって久しい小笠原から手紙が届き始める。部屋から見たという草野球の試合を実況するだけの奇妙な手紙だ。癌で死につつある内縁の妻をなす術もなく見守るだけの「俺」は、次第に小笠原からの手紙と、彼が肩入れする底辺チームを救った新人投手・富岡の活躍を楽しみにするようになる。だが、富岡が奇跡的な逆転満塁サヨナラホームランを決めたのを最後に手紙は途絶え、小笠原が首を吊って死んだとの報せが届く―。一読、とある類似先行作品を想起する読者も少なくないと思われるが、作品全体を覆うテーマ「決定論と奇跡」を追うためのモチーフとしてよく活かされている。

 樺山三英「団地妻B」(すばる4月号)はもっとあからさまにポストモダン小説を反復している。フローベール『ボヴァリー夫人』を、同作の研究者として著名な蓮實重彦も踏まえて、現代日本を舞台に書き換えたものだ。手の込んだ力作なのだが、取り込まれた現実の生々しさがパロディの切れを鈍らせている印象が残った。前衛的な手法が古臭く感じられてしまったことも白状しておく。

新潮社 週刊新潮
2018年4月12日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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