ベテラン作家の変名? 中の人は文芸編集者? 私小説なのに正体不明
[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)
内村薫風、約8年ぶりの新作「ボート」が『新潮』2月号に掲載されて、文学関係者や読者の一部に小さな波紋が広がった。内村が、覆面作家というだけに留まらないミステリーをまとった存在だったからだ。
デビュー作「パレード」が突如『新潮』に掲載されたのは2014年3月号でのこと。それから1年の間に同誌に立て続けに新作を発表し、3作目の「MとΣ」で芥川賞候補となったが、落選後ほどなく姿を消した。
新人賞経由でない新人を売り出すときには、後ろめたさもあってか文芸誌は派手な惹句を打ちがちだが、内村に関しては何もなかった。ただ作品が載った。デビュー作発表時の雑誌巻末プロフィールをあらためたところ、名前のほかには「作家」とあるだけだった。
極度に技巧的で作為に満ちた、通好みしそうな作風と筆致が新人離れしていたため、ベテラン作家の変名じゃないかとか、中の人は新潮社の文芸編集者に違いないなどと囁かれた。単行本化に際しては、大森望が販促書評を同社PR誌『波』に書いていた。新潮社OBで業界事情通の大森が「正体は知らない」と強調するほどに疑惑は深まった。
私はといえば、「個人とは限らない。何らかのプロジェクト、そう、たとえば芥川賞をおちょくるための。だから当選せずとも目的を果たして消滅した……」などと邪推していた。それだけに新作は意想外だった。
おまけに「ボート」は、これまでの作風から一転して私小説のようなのだ。肺がんで父を亡くすまでの2ヶ月間を書いた本作には、作者の素性を知るわずかな人物として『新潮』編集長と編集者が実名で登場するし、自作への言及もある。本名や本業も明かしている。
一方で、不審な細部にも事欠かない。「額面通りに受け取るなよ」と諭すかのようなディテールが、我々読者は結局、内村薫風の正体について何も知らないままなのだと思い知らせる。
目を移すと小川哲と高瀬隼子の対談があった。タイトルは「小説家は嘘をつく」。小川が自分の名を冠した語り手の言動について「ほぼ嘘ですよ」と断言していて、実に質の悪いコラボレーションだと苦笑した。