『炎の来歴』
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炎の来歴 小手鞠るい 著
[レビュアー] 陣野俊史(文芸評論家)
◆平和に焦がれ近接する魂
死者が語ることができる、というのは小説など幾つかのジャンルに許された特権だろう。この小説の主人公もすでに亡くなっている。だが、懐古的な穏やかさとは無縁である。
主人公の「僕」は、戦後すぐに岡山から上京、大学受験を志して苦学するも、実を結ばない。ふと手にした英文の手紙を開封し、返信したことでアメリカに住む女性との間で、文通が始まる。敗戦を機に反戦活動へと傾いていく語り手でもある主人公は、「平和」を願いつづけるユダヤ系アメリカ女性の麗しい手紙を、焦がれるように待ちつづけるのだった。貪(むさぼ)るように手紙を読み、おぼつかない英語で言いたいことのいくばくかをしたためる。やがて彼女との間に「電流」としか形容できない何かが生まれてくる。
そう、「電流」だ。恋や憧れ、尊敬の念をすべて含んだ文字だけの交流…。小説は二人の間で交わされた膨大な手紙を、想像力によって再現するあたりに中心がある。そして、美しい年上の女性であったはずの彼女が、主人公からの手紙を身体(からだ)じゅうにまきつけて、ベトナム戦争に反対すべく焼身自殺するあたりから、小説は急展開する。
併せて、彼女が主人公の母親ほどの年齢であったことも明らかになる。私たち読者は、想定外の成りゆきに唖然(あぜん)とするほかない。
人種も物理的距離も、何もかも超えた二人の恋人たちの「電流」が紡ぐ物語は、たしかに魅力的だ。肉体こそ触れ合うことはなかったが、魂の近接において、二人は比類ない高みに到達した存在だったと言える。
ただそうした純愛物語以上にこの小説において重要なのは、戦争と「平和」をめぐる大テーマだ。圧巻は、文通相手の女性の声に導かれるようにしてベトナムへ渡る主人公の煩悶(はんもん)である。
戦争は幾重にも彼の心を苛(さいな)む。そしてその苦しみは、単に過去の物語にだけ封じこめられるのではない。この小説が、現在を生きる者すべてに強く迫る所以(ゆえん)である。
(新潮社・1836円)
1956年生まれ。作家。著書『美しい心臓』『星ちりばめたる旗』など。
◆もう1冊
小手鞠るい著『アップルソング』(ポプラ文庫)。女性写真家の生涯を描く。