未完となった橋本治の絶筆「平成論」を読んで“社会とは何か”を考える

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未完となった「橋本治」の絶筆“平成論”

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


群像 2019年4月号

 橋本治が亡くなったことを受けて、今回対象の4月号では文芸誌各誌が追悼の特集や記事を載せている。なかでも重要なのは『群像』に掲載された「『近未来』としての平成」で、これがおそらく絶筆である。百枚ずつの前後篇が予定されていた時評だったが、未完となった。昭和で「時代そのもの」が終わったのに、人々は「終わった昭和」がそのまま続くと思って平成に突入した。停止していく社会を「先へ進んでいる」と勘違いしたのが平成であった。「だから、ここでもう一度、そもそも『社会』とはどういうものだったかを考えてみる必要がある」。この文章で論考は途絶したが、最後の長篇小説となった『草薙の剣』にて総括はある意味で済んでいたと言えるかもしれない。

 川上未映子の「夏物語」が完結した。『文學界』に2号にわたり分載された千枚の大作である。主題は複数拾い出せるが、主軸を成しているのはAID(非配偶者間人工授精)の問題だ。

 主人公の夏目夏子は作家で、一冊しか著作がなく無名ながら、執筆だけで暮らしが成り立っている現在を夢みたいだと思っている。だがそこに「子どもに会いたい」という思いが兆す。夏子はセックスに深い嫌悪を持っており、一人で生きていくのだろうと考えていたのに、「子どもに会う」という想念に取り憑かれてしまうのである。

 人工授精による出産の可能性と問題をめぐる葛藤のなかで、AIDで生を受けた人たちの苦しみを知り、子どもを生むことに潜む暴力性に気づかされる。だが、生まれることはそれだけで祝祭であり驚異なのだ――AIDで生まれた、実の父を知らぬ、唯一心を許せる男性である逢沢を通じてそう確証を得た夏子は「間違うことを選ぼう」と人工授精による出産を決意する。

「夏物語」は二部構成になっているが、第一部は芥川賞を受賞した『乳と卵』を書き直したものだ。妊娠出産を境に、川上未映子という作家の思想には大きな変化があったように見受けられる。『乳と卵』は出産以前の作品である。改稿は、内的な必然性に突き動かされてのことだと推察する。

新潮社 週刊新潮
2019年4月25日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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