美しい函館の街と美しい夫婦「レイモンさん 函館ソーセージマイスター」

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美しい函館の街と美しい夫婦「レイモンさん 函館ソーセージマイスター」

[レビュアー] 植松三十里(小説家)

美しい函館の街を舞台に美しい夫婦の物語を書きたい

 人にもよるだろうけれど、小説家は自分の好きな題材を、好きなように書けば、本になるわけではない。編集者からテーマを提案されたり、時には文章の大幅変更を求められたりもする。
 特に時代小説には、そういう傾向があるのか、料理関係の時代小説が大当たりすると、あちこちの出版社から「食べ物、書きませんか」と言われるし、猫が流行れば「猫、登場させませんか」と勧められる。
「まったく、どこもかしこも同じことばっかり」と、陰で愚痴を言いつつも、それに応えてこそ職業作家というものだ。逆に、書きたくても企画が通らない題材も山ほどある。
 数年前『リタとマッサン』という本を出したことがある。ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝とリタ夫人の物語だが、かなり前から面白い夫婦だなと思いつつも、書く機会がなくて、お蔵入りしていた題材だった。
 それがNHKの朝ドラで「マッサン」が始まると知り、すぐに編集部に話を持ち込んだところ、企画が通って書いたのだ。これはタイミングがよかったので、たくさんの方々に読んでいただけた。
 ただしドラマの原作と勘違いされるのには参った。当初は、いちいち否定していたのだが、説明が長くなるし、そのうち面倒になって「ハハハ」と笑ってごまかすようになった。
 ある高校に講演会の講師として呼ばれた際には、晴れやかに「朝ドラの原作者でーす」と紹介されてしまった。朝ドラのテーマ音楽までかかる中、さすがに高校生をだますわけにもいかず、この時ばかりは「ごめんなさい、違うんです」と、壇上で青くなって謝った。
 それよりもずっと古い話だが、私は七年ほどアメリカ東海岸で暮らしたことがある。その影響で歴史小説を書く時でも、いち早く洋行した人や、なんらかの形で外国に関わった人などを、主人公に選ぶ。また専業主婦や子育ても経験しており、家族の視点も大事にしている。
竹鶴政孝も若くしてスコットランドにウイスキーづくりの修業に行ったし、そもそも夫婦の物語だし、書きやすい題材だったのだ。
 ところで、このたび『レイモンさん 函館ソーセージマイスター』という文庫本が出る。大正から昭和にかけての函館で、ハムやソーセージを手づくりし、その美味しさが評判になったカール・レイモン夫妻がモデルだ。
 実は、これは編集部の方から「書いてみませんか」と勧められた題材だった。カール・レイモンはドイツ人だが、コウ夫人は函館生まれの函館育ち。帰国の途についたレイモンを海外まで追いかけて、駆け落ちした日本女性だ。編集部では、私の傾向を、よく心得てくれていたのだ。
 そのほかにも『レイモンさん』は、私の経歴が生きた題材だ。たとえばアメリカから帰国した後、十年ほど札幌で暮らした時期があるのだが、その当時、縁あって函館の古い町家の保全に関わった。
 函館には一階が格子戸の和風で、二階の外壁だけペンキを塗った洋風という一風変わった町家が、戦前から数多く残っている。そんな二階のペンキ塗りかえを、ボランティアで行う活動があり、私は、いわば広報担当として何度も現地におもむいては、小さなニュースレターを発行した。そのため函館の街に思い入れがあった。
 ペンキ塗りボランティアは、函館元町の旦那衆が中心になって進めていたが、そんな中に太田誠一さんという名物旦那がいた。やはり古い町家の住人で、今も一階で「カフェやまじょう」という店を開いている。
『レイモンさん』を書くことが決まった時に、ふと気づいた。「カフェやまじょう」の隣は、たしかカール・レイモンの旧宅ではなかったかと。
 さっそく函館まで取材に行って「レイモン夫妻のこと、何か知らない? 」と聞いた。すると太田さんはコーヒーを淹れながら胸を張った。
「知らないはずないっしょ。隣だよ、隣。子供の頃、よくレイモンさんに大きな手で頭なでてもらったし、うちのおふくろは、奥さんのコウさんと仲がよかったし。夜明け前に便所に行くとさ、隣の作業場に電気がついてて、もう仕込みを始めてるんだなあって思ったもんよ」
 そのほかにも隣人ならではの秘話をいくつも教えてくれた。
 今回の取材には、『レイモンさん』の執筆を勧めてくれた編集者が、東京から同行したのだが、太田さんはしみじみと言った。
「ペンキ塗りのことを、ちょこちょこ書いてた植松さんがさ、小説家になって、こうやって、ちゃんとした編集者と一緒に来るようになるなんて、僕は嬉しいよ」
 なんだか成長を見守ってくれた親戚のオジサンみたいで、頭が下がった。
 函館は緑の函館山を背景に、坂道があって港があって、ここにしかない美しい建物が建ち並ぶ。そんな街で寄り添って暮らした、美しい夫婦の物語を書きたい。そう願いつつ『レイモンさん』を仕上げた。

植松三十里
うえまつ・みどり■作家。
1954年静岡県出身。出版社勤務、在米生活を経て、2003年「桑港(サンフランシスコ)にて」で歴史文学賞を受賞。著書に『群青 日本海軍の礎を築いた男』(新田次郎文学賞)『彫残二人』(中山義秀文学賞)『会津の義 幕末の藩主松平容保』等多数。

青春と読書
2020年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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