有益さもあって結婚式の式辞に使われるのは納得
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
吉野弘の詩「祝婚歌」は結婚式の式辞によく使われるらしい。あまり結婚式に呼ばれることもないので知らなかったが、なるほどこの詩を引用すれば立派な式辞ができあがりそうだ。
「二人が睦まじくいるためには/愚かでいるほうがいい/立派すぎないほうがいい」(以下、『吉野弘詩集』小池昌代編より)。親身な忠告がいかにも有益だ。そして何といっても結びがいい。
「生きていることのなつかしさに/ふと 胸が熱くなる/そんな日があってもいい/そして/なぜ胸が熱くなるのか/黙っていても/二人にはわかるのであってほしい」
詩集全体も愛読するに足る。家庭人としての詩人の姿がほほえましく、好ましい。長女誕生の際「お前にあげたいものは」「かちとるにむづかしく/はぐくむにむづかしい/自分を愛する心だ」と歌う「奈々子に」。次女の臍の緒の箱を開けて思いを巡らす「創世記」。よいお父さんぶりがうかがえる。
夫婦についての詩は多くないが、妻へのまなざしには共感がこもっている。子育てに追われる母親を描く一篇「生長」が素晴らしい。子供は「窮屈になった去年」を毎年脱ぎ捨てる。母親は「その裸にピッタリの今年」を懸命に誂えては着せ続ける。やがて子供は大きくなり親の手を離れる。「母親は/ある日 快活に納得するだろう/私は子供の脱ぎ去った『時』のカラなのだと」
詩人46歳の作。人生の「時」を共にしてきた同志への愛情と感謝が伝わってくる。