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歴史は人物を通して学ぶ
[レビュアー] 原田眞人(映画監督)
原田眞人・評「歴史は人物を通して学ぶ」
『燃えよ剣』は10代、『国盗り物語』は40代、『胡蝶の夢』は60代で出会った。読書回数で言えば、圧倒的に『燃えよ剣』が多い。10年に一度は読み返している。映画化を意識して読み始めたのは30代からだろうか。
『国盗り物語』は『関ケ原』映画化の時点で再度読み返し、若き日の斎藤道三こと松波庄九郎の槍戦法を映画に取り入れた。
『胡蝶の夢』は『燃えよ剣』の映画化が決まって、幕末の資料収集の一環として読み、一橋慶喜の主治医となった松本良順の生き様に魅了された。近藤勇との出会い、土方歳三との交友は映画「燃えよ剣」で語りたかったが、長尺になってしまうため断念せざるを得なかった。健康促進のため新選組に豚を飼育させるくだりなど、リアルでキッチュ。
いずれにせよ、私にとって司馬作品の太い幹/血脈は『燃えよ剣』であると断言できる。
29歳で映画監督デビューした私は、ハリウッドでサイレント期から映画を撮り始めた巨匠ハワード・ホークスの影響を強く受けている。パームスプリングスの終の住処にお邪魔したこともある。ホークスはリレーションシップ・ドラマと総称されるプロとプロの絆を謳歌する映画作りの名人だった。その筆頭は「コンドル」(1939)や「赤い河」(1948)だ。
1950年代半ば、彼はスランプに陥り3年間パリで過ごした。ハリウッドの狂騒から離れたかったのだろう。帰国後、60代になって初めて作った映画が「リオ・ブラボー」(1959)である。ジョン・ウェイン、ディーン・マーティン、リッキー・ネルソン、ウォルター・ブレナンが顔を揃えるこのウェスタンは世界的な大ヒット作となり、ホークスのスポーティな作家性は今も映画人のリスペクトを集めている。
『燃えよ剣』には武州多摩で育んだ勇、歳三、総司、源さんの魂の連帯がある。これが、私にとっては「リオ・ブラボー」の善玉カルテットそのものだった。ヒロインであるお雪さんは、趣味の絵画への取り組み方に攻めの要素を加えれば、ホークス好みのスパンキーなヒロインになるとも思った。ジーン・アーサー、ジョーン・ドルー、ローレン・バコール、アンジー・ディッキンソンの系列だ。
司馬作品の醍醐味&凄みは、資料を読み砕き、集めた点と点を繋ぎ合わせ、作家のイマジネーションを駆使して造形したふくよかな人物だ。彼らが動くと時代が見えて来る。お得意の「余談だが」は人物が動き出すまで始まらない。歴史学者や評論家は、土方の都合の悪い真実を描かないからと『燃えよ剣』を切り捨て、蔑むかのように「テーマ小説」のレッテルを貼ったりもする。土方が島原、祇園、上七軒の芸妓たちと情を重ねようが、卑劣な拷問に関わっていようが、それらを描かないからといって、『燃えよ剣』の土方が背負った「歴史が緊張して、緊張のあげくはじけそうになっている時期」に嘘はない。書く、あるいは創る立場からいえば、芸妓数人が土方に張り付いていたら、話が冗長になる。「卑劣な拷問」が元新選組隊士永倉新八が晩年語る逆さ吊りにした古高俊太郎の足の裏に五寸釘を打ち込んでローソクを立てた、という程度のものであれば、私は一笑に付す。なぜなら、晩年の永倉は取材記者と一緒になって、真実よりも読者の喜ぶ話題を優先していたから。これらを排除するのは創作する立場の知恵だ。「テーマにそぐわないから切り捨てる」のは評論家の仕事であって作家の姿勢ではない。『国盗り物語』は1963年から66年の高度成長期にかけて連載されたからビジネス戦線の担い手に受けた、という過去の現象面だけを強調し、この小説が持つ普遍性、世代を超えて愛され続ける真実を言い当てていない評論も空疎だ。『国盗り物語』の最大の魅力は道三から信長への「時代の受け渡し」にある。
歴史は人物を通して学ぶ。これが私の思想だから、司馬作品に惹かれる。司馬史観とは何よりも先ず「人類学講座」である。私はその講座を10代のころから受講し続けている生徒だ。
※[私の好きな新潮文庫]歴史は人物を通して学ぶ――原田眞人 「波」2020年6月号より