「民法が苦手です」という声をどう受けとめるのか――『事例でおさえる民法 改正債権法』の刊行に際して

エッセイ

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事例でおさえる民法 改正債権法

『事例でおさえる民法 改正債権法』

著者
磯村 保 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/法律
ISBN
9784641138506
発売日
2021/08/04
価格
3,300円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「民法が苦手です」という声をどう受けとめるのか――『事例でおさえる民法 改正債権法』の刊行に際して

[レビュアー] 磯村保(早稲田大学大学院法務研究科教授)

民法学習で成果が上がらない人に対して、どのような助言ができるのでしょうか?

 法学部や法科大学院で民法の授業を担当すると、学生諸君から「民法が苦手です」、「民法の勉強の仕方が分かりません」という声を聴くことが多い。民法の分野は多岐にわたり、条文数が多いだけでなく、条文を見るだけではその内容を理解することが難しく、その適用・解釈に関して必要とされる知識も膨大であるから、基本書・体系書を読み込み、また、重要な判例についてフォローすることが不可欠である。そのような地道な努力を払っていない人に対しては、日々学習を続けることの重要性を説くことになる。しかし、そうした基本的な学習に熱心に取り組み、質疑応答でも着実に学習の成果を上げていると感じられる学生諸君でも、いざ事例問題での試験になると、不十分な解答にとどまることが少なくない。

 では、民法の学習に精力を注ぎながら、学習の成果が上がらないことを嘆く学生諸君に対して、教員としてどのような助言をすることができるのだろうか。民法教育に携わる多くの先生方も、同様の悩みを感じておられるのではないかと思う。もちろん、物事を理解する能力や、学習の仕方自体も人によって千差万別であり、助言の仕方もそれらに応じて異なりうることはいうまでもないが、私の経験によれば、民法の学習方法に悩む学生諸君の多くに共通しているのは、条文や判例・学説によって展開される解釈ルールを抽象的に記憶してはいるが、そのルールがどういう場面でどのように適用されるかを正確に理解していないという点である。

 たとえば、利益相反行為や代理権の濫用に関する事例問題に対して、利益相反行為とは何か、代理権の濫用に当たるのはどのような場合かを定式化することはできているのに、行為の外形から判断するだけでは利益相反性が認められるとはいえない事例について利益相反行為に当たると判断する例、あるいは、代理人が自己の利益を図る目的で、代理権の範囲を逸脱して代理権を行使する事例について、代理権の濫用の問題であると誤解する例はきわめて多い。同様に、錯誤の態様について民法九五条一項一号の錯誤と二号の錯誤の定式の違いは理解できているのに、具体的な事例について、一号の錯誤と二号の錯誤のいずれに当たるかを的確に判断できないという例も頻繁にみられる。こうした、条文や解釈ルール(以下、単にルール)の適用に関する誤解事例は枚挙に暇がないが、このような誤解が生じる原因は、抽象的・一般的なルールが、具体的にどのような場面で適用されるかを的確に理解していないことにあるように思われる。

 民法を苦手と感じる学生諸君が抱えているもう一つの問題は、提示されている事実関係を前提として、どのルールが適用されるかを適切に発見することができないという点にある。かつては、たとえば「詐害行為取消権の要件・効果について論じなさい」という類いの、いわゆる一行問題が試験で出題されることもあった。この場合、解答者としては、何を論じるべきかが問題の中で指示されているから、十分な学習をしている限り、当該問題について的外れな内容を書くおそれは小さく、精粗の差はあっても、それなりの解答が可能である。

 しかし、事例問題、とくに、法科大学院における定期試験や司法試験になると、事実関係が複雑で長文にわたり、その事実関係を正確に分析して、まず、適用されるべきルールを発見することが不可欠である。この点を見誤ってしまうと、ルール自体の学習ができていても、事例問題の解答にふさわしいものとはなりえない。たとえば、他人の所有物を無権限で処分する者が所有者の代理人として行為を行った事例において、無権限処分者が他人物売主であると誤解して、他人物売買における売主の責任を論じるのは、他人物売買に関する論述内容がそれ自体としては正しくても、事例問題の解答としては評価されない。

 事例問題において、ルールの具体的適用が苦手であり、あるいは、適用されるべきルールを発見することに困難を感じる学生諸君にとって、私が効果的であると考えているのは、条文や民法の制度を学習するに際して、その条文や制度が適用されるべき具体的な事例をつねに意識することである。私は、現在、早稲田大学法科大学院で二年次、三年次の必修及び選択の民法科目を担当するほか、法学部において、必修科目である債権各論I(債権各論のうち、契約法及び事務管理)及び、より応用的な選択科目である「応用民法」の授業を行っているが、法学部の授業では、とくに基本的な事例を用いながら、民法のルールが具体的にどのように適用されるかを明らかにすることに意を払ってきた。法科大学院の二年次、三年次の授業では、履修者の学習進度に応じて、取り扱う事例はより発展的なものとなるが、質疑応答を通じて、基本的な事例の理解ができているかどうかを確認するよう、努めてきた。

 このたび刊行された『事例でおさえる民法 改正債権法』(以下、本書)は、はしがきでも述べたとおり、法学部の「応用民法」の授業で改正債権法の重要テーマを取り上げることとし、その資料として作成したものを基礎として取りまとめたものである。とりわけ、改正債権法については、当初、民法の条文がどのように変わったかに重点が置かれた解説が多く、その改正が具体的なケースにおいてどのような相違をもたらすかについては、必ずしも明らかではないところが少なくなかった。したがって、改正債権法については、改正条文やそのルールを基本事例に即して理解することが一層重要であると考え、単行本として出版するに際して、取り上げるテーマと事例を再整理し、また、解説についても大幅に修正を加えることとした。当初は、改正債権法が施行される前の刊行を目指していたが、私の怠慢の故もあり、ようやく二〇二一年八月に至って上梓することができた。

***

 刊行に漕ぎつけてほっとしたという気持ちとともに、この内容でよかったのかどうか、実は不安を感じるところがあることも否定できない。不安の一つは、本書が、私の意図するとおりに、読者の皆さんにとって民法の学習を効果的に進めることができるものとなっているかどうかである。もう一つの不安は、本書の解説が債権法改正の成果を正確に反映したものとなっているかどうかである。この点も本書のはしがきで触れたが、改正によってルールが明確になり、従前の判例や学説の対立が意味を失ったところも少なくない一方、改正された条文自体が種々の疑問点を含んでおり、新たな解釈論が必要とされる箇所も多い。また、新たな条文が導入されたことによって、従来から変更されていない規定との関係をどのように理解するかも、あらためて問われることになる。

 本書で取り上げている事例はごく基本的かつ単純なものではあるが、そのような事例であっても、改正債権法の下でどのように解決されるべきか、議論が分かれるところも少なくない。その場合、私自身がどう考えるかを明らかにするとともに、異なる考え方がありうることを意識し、その点にも言及したつもりであるが、本書を手にされる先生方が、私の解説に疑問や異論を抱かれることがあることは想像に難くない。

 授業で、事例の解説という方式を採る場合のデメリットは、学生諸君が事例の答えが何かに関心を払いすぎることにある。しかし、重要であるのは、その事例がどう解決されるかという結論自体ではなく、どのような考え方を採れば、その結論を導くことができるかである。本書の帯には「筆者は日頃の授業でも、学生諸君に対して、なぜそう考えるのか、そのように考えるべき理由・根拠は何かを問いかけることが多いが、本書を手にされる方々に、改正債権法がなぜ必要であったか、改正規定がなぜそのように解釈されるべきかを理解していただけるよう願っている。」というはしがきの一節が掲載されている。本書で私が意図するところは、このメッセージに尽きるともいえる。少しでも多くの読者にこの意図が届くよう願っている。

有斐閣 書斎の窓
2021年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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