木靴とともに生きる 社会学者・岸政彦が綴る、吉本ばなな『ミトンとふびん』の読みどころ

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ミトンとふびん

『ミトンとふびん』

著者
吉本 ばなな [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103834120
発売日
2021/12/22
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

木靴とともに生きる

[レビュアー] 岸政彦(社会学者)

大切な人の死、癒しがたい喪失を抱えながら生きていくさまが描かれた吉本ばななさんの短編小説集『ミトンとふびん』が刊行。本作の読みどころを社会学者で作家の岸政彦さんが語る。

岸政彦・評「木靴とともに生きる」

 小さくてかわいらしいものが、ほんとうに人生に必要だなと思う。本書には、そういうことが書かれている。小さくてかわいらしいものは愛であり、そしてそれはどこにでもある。だから愛もどこにでもあり、誰とでもつながっていて、いつでも私たちを包み込んでいる。

 しかし同時に、私たちが暮らしているこの世界では、ときおりとても残酷なできごとが起きる。小さくてかわいらしいものは、そういうことを伝えてくれるものでもあるのだ。

 小さくてかわいらしいものの、切実さ。

 小籠包を器用に丁寧に食べるシンシンという青年は、小さいころに母親が家にいないことが多く、そんな夜は天井裏を走るねずみの音に癒やされていた(「SINSIN AND THE MOUSE」)。ねずみを友だちだと想像していたのだ。彼は「動きのある生き物が家でいっしょに暮らしているっていうことが僕を支えていた」と語る。ここでは愛は、肉親や恋人や親友の人格的な愛情ではなく、「動きのある生き物」にまで切り詰められている。「動きのある生き物」との、言葉や人格を介さないつながり。

 そして「小さくて」「子ねずみみたいだから」という理由でちづみのことを好きになる。同時に、最愛の母を亡くしたばかりのちづみは、「今いのししが襲ってきたら倒してくれそう」なシンシンの肩幅の広さを好きになる。大きなものが小さなものを好きになり、小さなものが大きなものを好きになる。そういう単純な「好き」がこの世界にある。それはそれ自体が小さくてかわいらしい。

 私自身もよく考えるのだが、人柄や性格や生き方が好き、と言われるのと、顔が好き、と言われるのと、どちらが嬉しいだろうか。どちらも嬉しいだろうが、優しいところや逞しいところが好きだと言われると、私たちはもっと優しくなったり逞しくなったりしなければならない。それは努力で維持されなければならない。でも、顔が好きだと言われたら、もう何も努力しなくていい。そのままでいい。

 顔の良し悪しの話をしているのではなく、「人格というものを通じて関係をつくる」ということは、実はとてもしんどいことではないかと思うのだ。シンシンはちづみの小さな体が好きになった。ちづみは逆にシンシンの肩幅を単純に良いなと思った。私たちが癒やされるのは、規範や倫理ではなく、こういうところだと思う。小さくてかわいいね。大きくて素敵だね。愛というものは単純なものだ。シンシンは、読んでいるこちらが照れるほどストレートに性的な欲望を口にする。でもそれはあくまでも小さくてかわいらしい。「絶対に相手を壊さない」ことが「男の愛」だと語る。

「ミトンとふびん」でも、夫の外山くんは、小さいころにイジメで亡くなった弟に瓜二つのゆき世のことを好きになる(弟だけでなく柴崎友香にも似ているらしい)。二人の結婚はそれぞれの母から反対されていたが、その母たちが相次いで亡くなり、二人は誰からも反対されないままあっけなく籍を入れ、フィンランドのヘルシンキに旅行に行く。

 ここでも愛は、人格や道徳や規範というなにか大きな、偉大なものではなく、「幼いころに亡くなった弟に顔が似ている」というところまで切り詰められている。そして私たち読み手は、その切実さを思う。

 ヘルシンキで二人は、さまざまな「小さくてかわいらしいもの」と出会う。奮発して入った古い豪華な高級レストランで、クロークのおじさんから言われた何気ない一言。おみやげとして渡されたチョコレート。そして何よりも、すこしぶかっこうな、でもこの世界の優しさがぎゅっと凝縮したような、温かい手袋。

 こういうところで私たちは生きている。こういうところでしか私たちは生きられない。

 私には忘れられない記事がある。2016年10月、ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所近くの関連施設で小さな小さな、マッチ棒の半分ぐらいの大きさしかない木靴のアクセサリーが発見された。AFP通信によれば「収容者らが眠る屋根裏の壁のれんがの間」にあったらしい。小さな木靴には小さな鎖が付いていた。

 いうまでもなくそこではアクセサリーなど一切禁止されていただろう。体のどこかに隠して持っていたのだろうか。屋根裏の壁のれんがの間の小さな隙間に、かろうじて隠すことができたのだろうか。誰が、どういう気持でその小さな木靴を持ち込んで、どういう状況で壁のれんがの隙間に隠したのだろう。どうやって看守の目を逃れたのだろう。

 それは小さな娘のために作ってやったものなのだろうか。それは母親の形見だったのだろうか。それとも愛する人から渡されたものだったのだろうか。

 小さくてかわいらしいものは、愛と同時に、何か残酷な、切実なものを伝えてくれる。本書でも、深く愛してくれた親とは死別するし、夫婦や恋人の愛も確かではない。

 小さくかわいらしく生きようとすることは、思ったよりも激しく強い決意を必要とするのかもしれない。本書の、しみじみと深く心の奥のほうまで届く言葉をひとつずつ味わいながら、あらためてそう思った。

新潮社 波
2022年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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