出版界の裏側が生々しく描かれた普遍的なお仕事小説――松岡圭祐『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 III クローズド・サークル』文庫巻末解説【解説:末國善己】

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出版界の裏側が生々しく描かれた普遍的なお仕事小説――松岡圭祐『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 III クローズド・サークル』文庫巻末解説【解説:末國善己】

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

■角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

■ 松岡圭祐『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 III クローズド・サークル』

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出版界の裏側が生々しく描かれた普遍的なお仕事小説――松岡圭祐『ecritu…

■ 松岡圭祐『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 III クローズド・サークル』文庫巻末解説

解説
末國 善己(文芸評論家)

 本とミステリーは相性がよい。登場人物や探偵が本好き、書店、古書店、出版社が舞台、高価な稀覯本が事件を引き起こす、著名な作家や古典的な名作の知られざる一面にスポットを当てるといった作品を文芸ミステリとしてカテゴライズするなら、梶山季之『せどり男爵数奇譚』、北村薫『空飛ぶ馬』、宮部みゆき『淋しい狩人』、若竹七海『依頼人は死んだ』、紀田順一郎『神保町の怪人』、米澤穂信『追想五断章』、乾くるみ『蒼林堂古書店へようこそ』、大崎梢『配達あかずきん』、京極夏彦『書楼弔堂 破曉』、三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』などを、すぐに挙げることができる。
 海外も同じで、アガサ・クリスティー『運命の裏木戸』、エラリー・クイーン『レーン最後の事件』、ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』、ジョン・ダニング『死の蔵書』、ピーター・ラヴゼイ『猟犬クラブ』など文芸ミステリは枚挙に暇がない。
 同じトリックを使うことができないミステリは、作家たちが先行する作品を越える仕掛けやアイディアを生み出すことで発展してきた。そのためには膨大な作品を読み込み、仕掛けを分析する必要がある。必然的にマニアでなければミステリ作家になるのが難しいため、文芸ミステリが連綿と書き継がれているのかもしれない。
 ミステリの人気シリーズを幾つも手掛ける松岡圭祐が、激戦区の文芸ミステリに参入したのが、二〇二一年十月に刊行された『écriture 新人作家・杉浦李奈の推論』である。著者は既にコナン・ドイル〈シャーロック・ホームズ〉シリーズにオマージュを捧げた『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』、モーリス・ルブランの〈アルセーヌ・ルパン〉シリーズと江戸川乱歩のいわゆる通俗長編の矛盾を独自の解釈で修正しつつ、活劇も、謎解きも、ロマンスもある波瀾の物語に仕立て直した『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎 黄金仮面の真実』を発表しているので、ミステリだけでなく、純文学作品も自在に取り込む新シリーズを書いたのは、必然だったのである。
 探偵役の杉浦李奈は二十三歳、小説投稿サイトのカクヨムに発表した作品がKADOKAWAの編集者の目に留まり、ライトミステリを三冊刊行するも鳴かず飛ばず。コンビニでアルバイトしながら、小説だけで生活できる日を夢見る新人である。
 李奈が講談社の雑誌「小説現代」で対談した大学講師で初の小説『黎明に至りし暁暗』が芥川賞と直木賞の両方の候補になるなどブレイクした岩崎翔吾が、盗作疑惑をかけられ失踪した。李奈のKADOKAWAの担当者・菊池は、刊行を控えた初の単行本『トウモロコシの粒は偶数』に岩崎の推薦文を依頼しており、李奈も騒動に巻き込まれてしまう。菊池の半ば脅しの勧めで盗作疑惑についてのノンフィクションを書くことになった李奈は、盗作されたと主張する無名の新人・嶋貫克樹が、衆人環視の中で岩崎より三日早く原稿を完成させたという鉄壁のアリバイに挑むことになる。
 シリーズ第二弾『écriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅱ』は、コピーライターから作家に転身するやベストセラーを連発するも、SNSでの政治問題への言及や差別的な発言で何度も炎上騒ぎを起こしている汰柱桃蔵が、未解決の女児失踪事件の被害者が車に轢かれて殺されたとし、犯人の動向や死体が埋められた場所なども指摘するモデル小説をなぜか中堅の出版社から刊行すると、作中に書かれた場所から本当に被害者の死体が見つかり、犯人の可能性が浮上した汰柱桃蔵が失踪、自殺とも事故とも判然としない状況で死体が見つかる事件が描かれる。再び菊池にノンフィクションの執筆を頼まれた李奈は、関係者を訪ねて証言を集め事件の核心に近付こうとするのである。
〈écriture〉シリーズを読んで驚かされたのは、KADOKAWA、講談社、集英社、新潮社、文藝春秋、小学館などの出版社が実名で登場し、作家と編集者の打ち合わせ、文学賞の受賞パーティーや日本推理作家協会の懇親会などが徹底したディテールで活写されていることである。売れっ子作家と売れない作家で露骨に変わる編集者の態度、大手出版社と中小出版社と編集プロダクションの歴然とした力関係など出版界の裏側を露悪的なまでに掘り下げたところは特に生々しく感じられた。
 李奈はカクヨム出身のラノベ作家だから自分は業界でのヒエラルキーが低いと考えているが、新人賞を受賞した作家と編集者が発掘した作家、持ち込み原稿が切っ掛けでデビューした作家では待遇の違いを感じることはなくもない。純文学が上でエンターテインメントが下だった一九七〇年代頃まで、ハードカバーを出す作家が上で文庫書き下ろしの作家が下だった一九九〇年代末頃までと、いつの時代も作家のヒエラルキーは存在している。ただ二十一世紀に入って佐伯泰英が文庫書き下ろしの時代小説でベストセラーを連発し、日本経済の長期低迷もあって高額な本が売れなくなる(作中で李奈も文庫化を待つと発言している)と、各出版社は、雑誌掲載、単行本、文庫化という従来のビジネスモデルを壊し、文庫書き下ろしや雑誌から直接文庫化するいわゆる「いきなり文庫」に力を入れるようになったので、文庫書き下ろしの作家を下に見る風潮は払拭されつつある。ただ現在は、ライトノベルや小説投稿サイト出身の作家は、かつての文庫書き下ろし作家のような悲哀を感じているかもしれない。
 著者の手腕が卓越しているのは、読書が好きなら思わず引き込まれる業界の内幕を、事件解決にも利用する緻密な構成にある。李奈の謎解きが始まると、周到に配置されていた伏線が回収され意外な真相が明かされるので、そのカタルシスは圧巻だ。
 ただ作中の出版界の描写には、意図的に改変されたところも少なくない。読者の興を削ぐことになるので詳細な説明は避けるが、第一弾の冒頭で李奈が参加する江戸川乱歩賞の贈呈式の会場は、講談社ではなく別のホテルである(著者は乱歩賞を主催する日本推理作家協会の会員なので、間違うはずがない)。似顔絵は写実的に描くよりもデフォルメした方が対象を的確に捉えることがあるが、著者の改変もこれに近く、絶妙なカリカチュア化がより業界の空気を再現しているのは間違いない。
 シリーズ第三弾の本書『écriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅲ クローズド・サークル』は、サブタイトルの「クローズド・サークル」そのままに、孤島に集められた李奈ら九人の作家が、殺人犯と対峙する王道的な本格ミステリになっている。
 乱歩賞に応募することになった李奈は、講談社の編集者・松下登喜子に、彗星のごとく現れた櫻木沙友理のような小説を書かないかとアドバイスを受けていた。作中に言及があるように、プロの作家や最終候補作の常連応募者が、編集者の指導を受けることは珍しくないが、一次選考の委員(いわゆる下読み)にその事実が伝えられることはまずないので、選考がフェアに行われていることは付記しておきたい。
 さらにいえば、櫻木沙友理が出版のトレンドを塗り替えたように、一つのヒット作が生まれると多くの出版社が似た傾向の作品を求める状況は、現実の出版界でも起きている。料理もの、妖怪ものの時代小説が量産されたり、ライトノベルが無双系、異世界転生系一色になったりするのは、ヒット作に追随した結果である。櫻木沙友理風の作品を書くことを迫られた李奈の葛藤には、すぐにブーム便乗を狙う出版界への批判が込められていたように思えてならない。
 櫻木沙友理は、平凡な家族の生活が核攻撃で一変する『最期のとき』、女子中学生ふたりがそれぞれに恋人を作る青春小説が、不良グループに暴行される悲劇で終わる『葵とひかるの物語』でセンセーションを巻き起こしていた。李奈は、前半と後半で転調があるがどちらも事実から目を逸らさず描写していく櫻木沙友理の才能を認めつつも、自分には同じタイプの作品は書けないと考えていた。『最期のとき』の前半は長崎に原爆が投下される前日のある家族の日常を追った井上光晴『明日 一九四五年八月八日・長崎』が、『葵とひかるの物語』の後半は、女性に平然と暴力を振るう若者たちを描いた石原慎太郎『完全な遊戯』がモデルのように思えたが、この推測が正解か否かは実際に読んで確認して欲しい。
 櫻木沙友理を発掘し敏腕編集者として脚光を浴びた爽籟社の榎嶋裕也とは裏腹に、櫻木沙友理は表に出なかった。櫻木沙友理に原稿を依頼したい出版各社も連絡先を知らず、爽籟社前に張り込んだ「週刊文春」が短いコメントを取れただけだった。
 そんな中、爽籟社が第二の櫻木沙友理を発掘する新人募集を始めた。それは榎嶋が応募作を読み、応募者と面接して審査する異例の新人募集だった。合格を勝ち取った李奈と友人でやはり売れない新人作家の那覇優佳は、瀬戸内海に浮かぶリゾートアイランド汐先島にある高級宿泊施設〝クローズド・サークル〟に招待されたが、そこには榎嶋と櫻木沙友理、カメラマンの曽根、バイトの管理人・池辺のほか、架空戦記を書いている矢井田純一、猟奇殺人ものが得意な渋沢晴樹、官能小説作家の蛭山庄市、青春恋愛ものの秋村悠乃、何気ない日常にこだわる篠崎由希、純文学の安藤留美といずれも売れない作家が集められていた。すぐに榎嶋が島に自生しているトリカブトを飲まされたかのような状況で殺され、作家たちが名刺代わりに交換したサイン本の山が消えるなど不可解な事件が相次ぐ。さらに姿を隠した櫻木沙友理が怪しい動きをし、島に集められた作家が一人、また一人と姿を消し、犯人の魔の手は優佳にも及んでしまう。
 本書は業界暴露話も読みどころだった前二作とは作風が一変、李奈による名作文学の引用も極限まで減らされ、力と知恵を総動員しての殺人犯との戦いや、極限状態における作家同士の軋轢などが強調されており、文芸色を排したミステリのように見える。だが李奈の謎解きが始まると、前半の何気ない設定や描写の意味が変わると同時に、文芸色が浮かび上がり、前二作以上に作家の苦悩に切り込んでいたことも分かってくる。それだけに、読み終わったらすぐに、どこに伏線があったのか、どこで騙されたのか確認したくなるはずだ。
 著者はアガサ・クリスティーの代表作『そして誰もいなくなった』風に始めた物語を、クリスティーの別の代表作を想起させるトリックに繫げ(この別の代表作が何か分からなかった方は、ぜひともクリスティー作品を読んで見つけて欲しい。何度も映像化されている名作だ)、さらに『ギリシャ棺の謎』などエラリー・クイーンの作品を想起させるどんでん返しを用意してみせる。
 李奈の推理は、クリスティー論としても、探偵の謎解きは絶対に間違っていないのか、探偵に犯人を裁く権利があるのか、探偵の介入で事態が悪化したら責任が取れるのかといった現代ミステリにおける重要なテーマを論じたミステリ論としても秀逸である(夢野久作『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』は作中のミステリ論と深く結びついていて、この二作を読んでいる方は著者が冒頭に書名を出した理由がよく分かるはずだ)。北村薫の小説『ニッポン硬貨の謎 エラリー・クイーン最後の事件』が、第六回本格ミステリ大賞の評論・研究部門を受賞したように、優れたミステリは優れたミステリ論にもなっているが、本書もその一つなのである。
 第一弾で盗作問題、第二弾でモデル問題というアウトとセーフの境界が微妙なだけに作家も出版社も扱いが難しいテーマを取り上げた著者が、本書で俎上に載せたのは小説を書く意味は何かという根源的な問い掛けである。人は小説が好きだから、小説を書くのが楽しいから作家を目指すが、プロになったらアイディアがなくても〆切までに原稿を完成させ、編集者の指摘があれば書き直し、校正、校閲からチェックを受ければ修正するなど好き勝手に書けなくなる。こうしたハードルをクリアしても、完成した作品がお金にならないケースもある。そうなると売れるまで自分のスタイルを貫くか、編集者の助言を受け入れ方向転換するか、最悪の場合、作家を辞めるかを決断しなければならない。櫻木沙友理をめぐる奇怪な事件が李奈に突き付けるのは、作家として何を守り、どのように金を稼ぐのかという難問なのである。
「écriture」は「書くこと」を意味するフランス語で、文字と読者を仲介するメディアという批評用語でもある。探偵役として孤島での難事件に直面した李奈が、自分はなぜ小説を書くのか、読者に何を伝えるべきかに向き合う本書は、タイトルとリンクしているところも含め、シリーズのポイントになるといっても過言ではあるまい。
 李奈の苦悩は作家の特殊事情に思えるかもしれないが、櫻木沙友理は太刀打ちできないほど実力差があるライバル、編集者のアドバイスは上司からのダメ出し、書きたい小説を書くか売れ線を狙うかは、好きな仕事を選ぶのか仕事は金を稼ぐ手段と割り切って嫌いな仕事でもするのか、売れるまで作家を続けるのか生活を安定させるため別の道に進むのかは、今の会社にいるか転職するかに重なる。その意味で本書は普遍的なお仕事小説になっており、働いている人は李奈たち売れない作家への共感も大きいだろう。
 汐先島の事件で自分が書かなければならない小説を再確認した李奈は、一回り大きくなった。成長を続ける李奈が、これからどんな事件に挑み、どんな作家になっていくのか、続刊を楽しみに待ちたい。

■作品紹介・あらすじ

出版界の裏側が生々しく描かれた普遍的なお仕事小説――松岡圭祐『ecritu...
出版界の裏側が生々しく描かれた普遍的なお仕事小説――松岡圭祐『ecritu…

ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 III クローズド・サークル
著者 松岡 圭祐
定価: 836円(本体760円+税)
発売日:2022年02月22日

無人島に9人の小説家――
彗星のごとく出現した作家、櫻木沙友理。刊行された小説2作は、いずれも100万部を突破、日本じゅうがブームに沸いた。彼女を発掘した出版社が新人作家の募集を始めることを知ったラノベ作家の杉浦李奈は、親しい同業者の那覇優佳とともに選考に参加。晴れて合格となった2人は、祝賀会を兼ねた説明会のために瀬戸内海にある離島に招かれるが……。そこはかの有名な海外推理小説の舞台のような、“絶海の孤島”だった。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322111000500/

KADOKAWA カドブン
2022年03月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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