「すごいものを読まされました。何を話していいのか、本を閉じた後も圧倒されています」 『八月の母』刊行記念対談 池松壮亮×早見和真

対談・鼎談

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八月の母

『八月の母』

著者
早見 和真 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041109076
発売日
2022/04/04
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「すごいものを読まされました。何を話していいのか、本を閉じた後も圧倒されています」 『八月の母』刊行記念対談 池松壮亮×早見和真

[文] カドブン

構成/吉田大助 撮影/ホンゴユウジ
ヘアメイク/FUJIU JIMI(池松さん)

■ 『八月の母』刊行記念対談 【俳優】池松壮亮×【小説家】早見和真

『八月の母』刊行にあたり、早見和真さんが作家・辻村深月さんとともに対談相手に指名したのが、俳優の池松壮亮さん。映画「ぼくたちの家族」に池松さんが出演して以来、ふたりは公私ともに親交を深めてきました。早見さんの代表作『イノセント・デイズ』刊行時、池松さんは次のようなコメントを寄せました。「圧巻でした。この本は祈りに溢れていました」。では今回、池松さんは『八月の母』をどう読んだのか、そして、早見さんはどういう思いで池松さんに対談をオファーしたのか。静かに、熱く深く語り合いました。

▼早見和真『八月の母』特設ページはこちら
https://kadobun.jp/special/hayami-kazumasa/hachigatsu/
▼『八月の母』試し読みはこちら
https://kadobun.jp/trial/hachigatunohaha/cjubhr00vfso.html

(左)池松壮亮さん (右)早見和真さん 撮影/ホンゴユウジ
(左)池松壮亮さん (右)早見和真さん 撮影/ホンゴユウジ

■生半可な気持ちで書いてない
生半可な気持ちでは読めない

――二人はいつ出会ったんですか?

早見:僕の小説『ぼくたちの家族』が2014年に映画化されたんですが、その撮影現場で初めて出会いました。原作者と俳優という立場で会って、そこから監督の石井裕也さんも含めて、ずっと付き合いが続いている。池松くんは僕の本を毎回読んでくれて、感想をくれるんだけれど、対談という形は今日が初めてですね。

池松:そうですね。こうやって仕事として会ってしっかりお話しするのは初めてです。

早見:もうひとり対談させてもらった辻村深月さんと同じ構図なんだけど、僕と池松くんの関係性を知っている編集者は、本が出るたびに「池松さんからコメントをもらえないですかね?」とか「池松さんと対談できませんか?」と聞いてくるんです。でも、僕にとって池松くんも当然大切な人なので、「これが今の自分のすべてだ」と思える作品ができるまでは池松くんの手を借りないと決めていた。その一つが、『イノセント・デイズ』だった。僕から池松くんにお願いして、本の帯にコメントをもらいました。何かお願いするのって、それ以来ですね。それくらい、今回の『八月の母』という作品を大事に思っている。そして、まだ池松くんから『八月の母』の感想を聞いてないという状態です(笑)。

――少し別の話をして寄り道しましょうか?(笑)

池松:そうですね(笑)。初めて会った時に、なぜかキャッチボールしましたよね。

早見:そうそう、撮影現場で。お互い野球少年だったから(笑)。

池松:映画をやる時に、その作品に原作があることってたくさんあるんですけど、本を読めばだいたいどれぐらいの「筆圧」の作品かは判断できます。その中で、早見さんが本当に大事にしている作品を僕らは預かって演じているんだなと感じていましたし、早見さんはそれを温かく見守ってくださっていたんですよね。早見さんは当時、河津町(静岡県)に住まれていたんですが、僕がたまたま河津で映画の撮影があった時とかに会ったり、家に泊めてもらったりもしました。愛媛に引っ越されてからはなかなか会えず、早見さんが東京へ来た時、年に1回ぐらい会っていました。

早見:池松くんは『ぼくたちの家族』の当時はまだ、今のように売れていたわけではなかったよね。

池松:ええ、22歳くらいで。大学卒業したてでした。

早見:池松くんの第一印象は、とにかく人間の「内面」を見ようとしてる人だなということでした。こちらが何か取り繕っても見透かしてくる、疑いの目で見られたような感覚が僕にはありました。でも、22歳の頃ってまだ、自分で思っていたり感じたりしてることを……ごめんね、これ言うと怒られるかもしれないけど……。

池松:いや、全然いいですよ。

早見:当時はまだ言葉として表現し切れてなかったと思うんだよね。それがこの7、8年でどんどん言葉を獲得していって、感じてることとか考えてることがすごく鋭く口から出てくるようになった。だから、本を出すたびに池松くんには送っているんだけど、「ああ、早見さん、こうなっちゃったんですね」っていつか思われてしまうという恐怖を感じ続けていて。毎回、読んでもらうのが怖かった。ただ、たぶん気に入らなくても、ダメって言ってこないよね。

池松:早見さんに直接は言えないかもしれない(笑)。

早見:だけど、しれーっと黙って距離を置いていくだろうなって。俺、緊張感すごいよ、池松くんに対して。

池松:いやいやいや。僕も怖いですよ、早見さんの本が送られてくるたびに。早見さんが生半可な気持ちで書いてないということはよく分かっているし、こっちも生半可な気持ちでは読めない感覚はいつもありますね。本来、表現ってそうあるべきだとは思うんですけど、なかなかそういう人や作品に出会うことってないので。

「すごいものを読まされました。何を話していいのか、本を閉じた後も圧倒されて...
「すごいものを読まされました。何を話していいのか、本を閉じた後も圧倒されて…

■「事件」を引き起こした本当の要因
ある仮説をもとに動きはじめた

池松:『八月の母』は……、それこそものすごい「筆圧」でした。とにかく、読んでいてどこに連れていかれるのか分からなかった。すごいものを読まされました。昨日の夜に読み終わったんですよ。まだ、どう解釈しようか、迷っています、正直言うと。何から話していけばいいんだろう……。いや、分かるんですよ、『イノセント・デイズ』は「母と娘」の話だったし、早見さんのこれまでの作品を辿れば、なぜ今、『八月の母』を書いたのか、僕なりに分かるんです。3世代という血統、「血」の話は、『ザ・ロイヤルファミリー』で読ませてもらっていますし、早見さんはずっと運命論みたいなことを書いてきた人だと思うんですね。早見さんが河津を離れてから6年間、愛媛で過ごしたことの集大成というか、総括を見せてもらったようでもある。それでも、どうして早見さんは今回この話を書こうと思ったんだろう、と。なぜこんなにも、直視するのがしんどくなるぐらい、「母」や「血」に囚われた人たちの話を書こうと思ったのか。

早見:『八月の母』は、『ぼくたちの家族』とも親和性があると思っていて。母親的なるものの絶対性に、ちゃんと反旗を翻したかったんだと思う。自分の印象として、母親であるということに囚われている周りの人が、とにかく多い。

池松:周りに多かった?

早見:うちの妻も含めて。あんなに軽やかに生きてそうに見える彼女でさえ、母親的なるルールとか、価値観にすごい縛られてるって思う瞬間がこの10年で結構ありました。そして、愛媛という土地に引っ越した時に、最初の1週間で感じたのは、こんなに保守的なのかということと、強烈な男尊女卑性だったんです。でも、移住させてもらっている身として、ことさら声をあげようって気持ちもなかったし、それを作品にして何かを暴いてやろうみたいな気持ちもなかった。ところが、引っ越して1カ月ぐらいたってから、僕が『イノセント・デイズ』を書いた小説家だと知ったある愛媛の人から、「あの事件って知っていますか?」と聞かれたんですね。

池松:それは、愛媛の事件なんですか。

早見:小説に書いた通り、伊予市の団地で起きた事件です。ただ、新聞の縮刷版とか雑誌のバックナンバーを読んでみたら、あまりにも悲惨な事件だった。ただただ救いがなく、自分が手をつけるべきじゃないと思って、ずっと見て見ぬふりをし続けてきた。でも、さっきの母親的なるものとか、自分が愛媛を離れる日が近づいてきたとか、いろんな矢印が一致して、数年ぶりにその団地の事件に意識が向いた時に、当時の雑誌とか新聞をもう一回読み直しました。そうしたら、ある「仮説」が浮かび上がったんです。ある意味、ネタバレになってしまうんだけど、事件を引き起こした本当の要因は、加害者である母親の「母性」なんじゃないかという。

池松:あぁ……。

早見:3年前の真夏の時期に一気に取材をしたんですけど、従来のモデル小説のような取材は一切してなくて。加害者を知る人たち、20人ぐらいに、僕の仮説をぶつけていくというのが今回の取材だったんです。「僕は事件の根幹にあったものを母性だと捉えているけど、どう思われますか?」と。それに対して「そんなのあり得ない」と言ってきた人は一人もいなかったんですよね。むしろストンと腑に落ちて、「その見立ては面白い」「その通りかもしれない」と言う人ばかりだった。これはもう逃げられないな、きちんと母親的なるものに挑みに行こう、と思ったのがこの小説のスタートでした。あとは、今の実力で『イノセント・デイズ』を超えるものを書いてみたい、という思いも大きかったかな。

池松:その覚悟は、読みながら伝わってきました。

「すごいものを読まされました。何を話していいのか、本を閉じた後も圧倒されて...
「すごいものを読まされました。何を話していいのか、本を閉じた後も圧倒されて…

■最後は本当に感動しました
苦しくて圧倒されています

池松:『イノセント・デイズ』もそうでしたけど、『八月の母』は読むのが本当に苦しかったです。母性もそうですけど、家族の存在って自分たちを定義づけるうえであまりにも大きな要素を持っていると思うんです。そこから生まれる呪縛であったり、負の遺産がある。そこからはなかなか逃れられないということを、こんなにも小さな島のパーソナルな3世代の女性を通して描いていって、しかも最後にあの強烈なラストを見せつけられた。筆圧と説得力に圧倒されっぱなしでしたね。自分はどの道を通ってきたんだろう、男はどこを通ってきたんだろう、女はどこを通ってきたんだろう、これからどこに向かうんだろうと……、すみません、なかなか言葉にならないです。

早見:池松くんにお願いする時って、簡単に感想を言える作品じゃないものばかりだから悪いなって思ってる。

池松:どんなジャンルであろうと、実は早見作品の核って一貫していて。枝葉をなくしていくと、ほぼ同じコメントになっちゃうんですよね。だからこそ好きだし、信頼しているんですけど。

早見:今のコメントは本当に嬉しい。俺自身がそう思ってるんだよね。池松くんは『イノセント・デイズ』に「この物語は祈りに溢れてる」というコメントをくれたけど、『店長がバカすぎて』にそのコメントがあってもしっくり来るし、『かなしきデブ猫ちゃん』にそのコメントがあっても俺はしっくり来るんです。じゃあ、今回も突き詰めていけばそのコメントに集約される?

池松:そうなるのかもしれないんですけど……。僕はこの物語をどう捉えればいいんだろう、早見さんはなぜ今ここでこういう物語を書いたんだろう、今日会ってなんて言えばいいんだろうと思いながら車を運転していたら、高速で降り口を間違えてちょっと遅刻しました(笑)。

早見:信頼している書店員さんからも、「読んでからずっと『八月の母』が心にあるけど、まだ推薦コメントを書けない」というメールをもらって。「こんなコメントをスラッと書けるなら、小説なんて要らないじゃんっていう考えに陥っています」って言われた時に、やばい、これ売れないかもって気持ちになった(笑)。

池松:早見さんがここまで大きく「人類の葛藤」を描くとは、あまり想像がつかなかったですね。「許す」ことの戦いであるとか、「執着」との戦いであるとか、作品の中にいろんな軸があるじゃないですか。人類の記憶を見せられたような感じがしましたね。こんなにも深く深く3世代の物語に潜っていって、囚われていたものからの解放という形の再生を見せられて……最後は本当に感動しました。本を閉じた後も、読んでいる最中の傷が残っているから苦しいんですけど。そこを通らなければここには辿り着かないな、と。

早見:まさに今、池松くんが言ってくれた通り、今一度自分たちを縛りつけてるものから解き放たれようって気持ちだったんだよね。この6年間、愛媛で暮らして感じたのは、とにかくみんな「囚われている」ってことだった。「AはBだからCだ」って取り決めが、みんなの間で共有されているような気持ち悪さをずっと感じていたんです。「俺はお父さんだからこう」だとか、「私はお母さんだからこう」「私は子どもだからこう」みたいな……。それは愛媛に限らないことだとは思うんだけど、自分の中の「縛られたくない」という思いがこの6年間で強度を増していた。そういう現実に対して、言葉にするとチンケなんだけど、今一度、もう一回ちゃんと自由になろうよって思ったんです。図々しいことを承知で言うならば、1億人がこの作品を読んでくれたら、日本はよくなるって思うくらい。言い過ぎかな、これ。でも、本当にそう信じて書いたんです。

■早見さんは「恐ろしき人格者」
人に入り込むことができる

早見:僕の場合、「自分」が入り込まない他者として、女性を主人公にしたほうが俯瞰して書けている気がするんです。『イノセント・デイズ』もそうだし、『店長がバカすぎて』もそう。他者としての女性に興味があったし、かけるべき言葉があったし、今回のように強い祈りを込めることができた。

池松:小説の登場人物に対しても、生身の人間に対しても、「早見さんはなぜここまで他者に対して踏み込めるのか?」って驚きがずっとあって。いろんな表現者に出会ってきましたけど、早見さんはとにかく興味が人に向いているんですよね。

早見:自分でも、人への興味は強いと思う。でも、池松くんもそういう人だよ。

池松:いや、僕はもうちょっと冷酷だから、人に介入しないですよね。介入してくる人を拒むし(笑)。

早見:まあ、そうか。だからこそ人を俯瞰して見ている。

池松:早見さんは初対面でスッと入ってきてくれて、連れ出された感じがしました。これはちょっと失礼な言い方かもしれないですけど、早見さんって小説家という皮をかぶった……いろんなことを飛躍して言葉にすると、「恐ろしき人格者」なんじゃないかなと。そうじゃなきゃ、ここまでのことを書けないんじゃないかなとも思う。早見さんは昔から「言葉は人を殺すことができる」とおっしゃっていましたけど、あらゆる力のあるものには人を救う力がある反面、人を殺す力がありますよね。そのことにとても自覚的で、常にそのことに気を配って書くということを全うしているように見えます。そういう意味で、さっき「人格者」の前に「恐ろしき」という言葉をつけたんですが。

早見:たまに他人の一家に入り込んで洗脳してしまい、家庭をぶっ壊してしまう事件とかあるじゃないですか。俺、本気を出したらこれできちゃうかもって思う時、わりとあるんです。たまたま今は小説家という立場を与えてもらえているから、池松くんの言うところの「人格者」ぶっていることができるのかもしれないけれども。

池松:人に寄っていくというか、人に入っていく、人に潜って書くみたいなことを早見さん自身はどう捉えているんですか。当然のことと捉えているのか、それとも負荷として自分に課しているのか、どういう感覚なんでしょうか。

早見:己に課している方ですね。これまでその負荷を一番かけていたのは『イノセント・デイズ』なんだけど、あれは自分が透明人間となって、田中幸乃という主人公が生まれてきた瞬間から死刑台に立つ瞬間までを、自分だけがすべて見届けるという思いで書いたんです。その意味では、今回もまさに同じことをやったと言えます。越智美智子、越智エリカ、越智陽向の3人の人生を、自分が透明人間になってとことん見つめるという感覚だった。そのやり方を長期でやると精神が壊れるなと思って、今回の連載期間は過去最短で、感覚的には一気に書いたんです。

「すごいものを読まされました。何を話していいのか、本を閉じた後も圧倒されて...
「すごいものを読まされました。何を話していいのか、本を閉じた後も圧倒されて…

■無力感はなくなるものではない
でも、あきらめてはいない

――『八月の母』はコロナ禍に連載された作品でした。影響はありましたか?

早見:コロナに際して、僕はこれまでと同じ気持ちで同じものを書いていていいのかなと思ってしまった。例えばデビュー作の『ひゃくはち』でさえ、漠然とでも「5分後の世界」を想像しようと思いながら書くことを自分に課してきた中で、5分後なんか到底見通せない世界になっちゃったなと。翻って僕は今までものすごく空々しいものを書いてきたんじゃないかって、悪い真面目さが出ちゃって、「あ、これ止まるかも」って初めて思ったんです。「もう書けないかもしれない」って。

池松:書けない時期は結構ありました?

早見:幸いにもちょうどこの本の連載が始まるタイミングで、その思いがいちばん自分に襲いかかってきたんです。編集者に謝って「スタートを遅らせてほしい」とお願いしました。その空いた時間でやった仕事が、テレビ・ドキュメンタリー「甲子園のない夏」であり、ノンフィクションの『あの夏の正解』だった。2020年夏の3カ月間は、高校野球の現場に身を置いていました。

池松:素晴らしかったですね、どちらも。

早見:その3カ月は、小説を一行も書かないという、デビューしてから初めての日々だったんです。それで、甲子園が中止になってしまったのに、それでも楽しそうに野球している子たちに立ち会った時に、ウダウダと悩んでる自分のほうが間違ってるという感覚に陥ることができたんですよね。「みんな甲子園がないのにこんなに楽しそうにやっている、コロナがどうだとか、5分後はどうだとかじゃなく、書きたいなら書いていればいい」ってシンプルに思い至ることができた。そこから書き始めた最初の作品が、『八月の母』。勝手に自分で松山のホテルを1カ月借りてこもり、2部まで書き終えるまではいっさい外に出ないと決めて、ものすごいテンションで書きました。
 でも、映画界もめちゃくちゃ大変だったよね。映画が大好きな僕ですら、映画館は行ってはいけないところになってしまった。

池松:これだけ小さな国土に、これだけたくさんの映画館がある国って他にないんですよ。でも、コロナでいろんな映画館、古き良きミニシアターがどんどん潰れていっている。本当に心が痛いし、なんとかできないかなと思っています。

早見:配信で、家でいくらでも映画が観られる時代だしね。

池松:配信に関しては、言ってしまえば映画の進化だと思います。映画が生き残るための進化。そうでないと滅びてしまうし、フィルムがデジタルになったこと、それぐらいの大きな変化だと思っています。

早見:映画館で他のお客さんたちと一緒に観るという体験が失われてしまうのならば、映画は一つ大きな羽を奪われるんじゃないかなって気がするけど。

池松:それは間違いないです。ただ、みんなが映画を求めていることは、時代や環境は変われど変わりはないし、映画館という体験を求めていることは変わりがない。そこから遠ざけたのはコロナだけじゃなくて、自分たちだとも思っています。そのうえで自分たちにできることがあるとすれば、配信で観た人に、「映画館で観たかった」って思わせるものを作ることですね。

早見:池松くんと僕は、自分がいいと信じるものが届くべき人に届かない、という無力感を抱いている点は、すごく共通してる気がするんです。そこでちゃんと思索して、言葉を獲得していこうとする池松くんと、とにかく無我夢中にジタバタする俺との差が、年々広がっている気がする。ところで、池松くん、何歳になった?

池松:31歳です。

早見:俺、44歳だよ(笑)。

池松:まあでも、面白いことをしたいという気持ちはまだ全然あきらめてないですね。早見さんがおっしゃる無力感は10代からありましたし、なくなるものではないと思うけど、今は新しい時代に向けてどうしようか考えているところです。20代を切り抜けたというのも一つ大きいと思うんですけど、今はなんだかとても前向きな感じがあります。この時代の息苦しさからくる開きなおりも含めてですが。

早見:似てるかも。俺も44歳にもなって、まだ自分に期待しているし、小説というものに期待しているし、読者にも期待している。死ぬまで書いていたいと思っているんですけど、ただこんなに悩んで苦しんでいる俺を社会が見放すというのならば、俺だって見放すからなという感覚は常に持っていたい。「いつでも書くことやめてやるからな!」と(笑)。それまではジタバタしていたいなって思いますけどね。

――そろそろお時間がきてしまいました。何か言い残したことがありましたら。

早見:売れるコメントください。

池松:えぇ!?(笑) 今すぐにはちょっと無理かもしれない。今はまだ、面食らっていますね。ものすごいものを読んだということだけは言えるんですけど……。

早見:じゃあ、しばらく時間を置いてから。

池松:ちゃんと出します、もちろん。

早見:今日池松くんの話を聞いて、ついにこの作品ができたんだなって感じがしました。僕の現時点の全部です。自分が40年以上生きてきたことや、小説家となって13年やってきたこと、そのすべてがあったからこそ辿り着いたのが『八月の母』という物語です。それは間違いありません。

「すごいものを読まされました。何を話していいのか、本を閉じた後も圧倒されて...
「すごいものを読まされました。何を話していいのか、本を閉じた後も圧倒されて…

■作品紹介・あらすじ
早見和真『八月の母』

八月の母
著者 早見 和真
定価: 1,980円(本体1,800円+税)
発売日:2022年04月04日

著者究極の代表作、誕生。 連綿と続く、女たちの“鎖”の物語。
『イノセント・デイズ』を今一度書く。そして「超える」がテーマでした。僕自身はその確信を得ています――早見和真

彼女たちは、蟻地獄の中で、必死にもがいていた。

愛媛県伊予市。越智エリカは海に面したこの街から「いつか必ず出ていきたい」と願っていた。しかしその機会が訪れようとするたび、スナックを経営する母・美智子が目の前に立ち塞がった。そして、自らも予期せず最愛の娘を授かるが──。
うだるような暑さだった八月。あの日、あの団地の一室で何が起きたのか。執着、嫉妬、怒り、焦り……。人間の内に秘められた負の感情が一気にむき出しになっていく。強烈な愛と憎しみで結ばれた母と娘の長く狂おしい物語。ここにあるのは、かつて見たことのない絶望か、希望か──。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322008000196/

▼早見和真『八月の母』特設ページはこちら
https://kadobun.jp/special/hayami-kazumasa/hachigatsu/

■早見和真『八月の母』試し読み公開中!

八月は母の匂いがする。八月は、血の匂いがする。 ――早見和真『八月の母』試し読み
https://kadobun.jp/trial/hachigatunohaha/cjubhr00vfso.html

■「主人公が最後に取った選択に共感したし、鳥肌が立ちました。まさに、傑作だと思う」 『八月の母』刊行記念対談【辻村深月×早見和真】

https://www.bookbang.jp/review/article/729747

KADOKAWA カドブン
2022年04月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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