『Y字橋』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
老いは記憶と欲とを奪い去り生を滑らかにする代わりに……
[レビュアー] 伊藤氏貴(明治大学文学部准教授、文芸評論家)
私事からで恐縮だが、先日近親に不幸があり、ある親戚とほぼ五十年ぶりに電話で話した。ほんの一時期、同じ家で暮らしていたことがあり、当時の記憶が一気に蘇った。
この短編集の一編「虹」でも、主人公は四十数年ぶりにある女性から連絡を受ける。直接ではなく、彼女のケア・マネージャーからだ。忘れていた記憶が呼び覚まされ、空白だった時間への想像が掻き立てられる。はたして会うべきか会わざるべきか。
記憶の彼方で霞んでいたものを掘り起こし、そこに現在の視点から新たなかたちを与えるのは手間がかかるばかりか、現在の安定をも揺るがしかねない。老いのもたらす忘却は、人生の一つの守りである。大抵はよき記憶だけが濾過されて残る。
しかし一方、心の傷に囚われて一生を送る者もいる。「光」の主人公の旧友もまたそうだったのかもしれない。その妻からの連絡で、主人公は旧友が自殺したことを知らされる。主人公にはその理由がわからない。
その葬儀で四十年ぶりに会った女性に、話があるからと呼び止められる。「聞きたくない話かも」と断りを入れられた上で語られたのは、旧友と彼女との間の過去の秘密だった。旧友はそれに囚われていたのか。彼が自死を遂げた後、彼女はそれを誰かに語らずにはいられなくなった。
自分の知らなかった過去を開示された主人公は戸惑うが、そこから見えてくるものもある。旧友の自死は、欲に駆られて犯した罪を償うためではなく、むしろ欲というものが希薄だったからではないのか。「生き方の中心に、金銭でも名誉でもあればよかったのだ」と主人公は思う。人が生きるには過去と未来、思い出と夢の両方が必要だ。
老いは記憶と欲とを奪い去り、生を滑らかにする代わりに、死への道行きをもなだらかにする。老いを迎え、過去と未来との間でどう釣り合いをとるべきかを考えさせる六つの作品が集められている。