『チワワ・シンドローム』
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社会的弱者に寄り添うSNSが開き直れば攻撃の手段にも――
[レビュアー] 伊藤氏貴(明治大学文学部准教授、文芸評論家)
最新型のミステリーである。ただし、構造やトリックの新しさではなく、使われている重要なモチーフが新しいということと、それに伴い、人間関係や人間そのものの新しさをも描き出しているという点でだ。
そのモチーフというのはSNSで、主人公の二十五歳の女性は、それを通じて出会った男性とそろそろ知人から恋人へと関係を進展させようとしている。だが、はじめて一緒に花火を見に行こうとしていた寸前でドタキャンされ、そのうえ急に別れを切り出されて一切連絡がつかなくなる。
どうやら、彼の袖口についていたチワワのピンバッジに彼女が気づいたことがきっかけらしく、彼にはそれにまつわる隠された過去があるようだ。失意の彼女の前に、高校時代からの仲の良い友人が現れる。友人は動画投稿サイトで、弱き者たちの心の支えとなっているカリスマ配信者で、その影響力を利用して、彼の行方を一緒に探してくれることになった。
他にもSNSという現代的ツールが作品内で駆使され、それによって謎は深まっていくが、より重要なのは、このツールが人間のありかたを変えつつあるのではないかということだ。つまり、SNSは弱者がその弱さをもとに開き直るための手段になってはいないかとの問題提起だ。
SNSは、社会的弱者にも発言の機会を与えたが、同時にその発言に力を与えるためにはあえて弱者でいつづけなければならないという逆説を生み出した。「傷ついた」ということばをひとたび黄門様の印籠のように掲げれば、「寄り添う」者たちがわらわらと現れて、傷つけた者を叩いてくれる。
これは、ニーチェの言うルサンチマン、すなわち復讐としての道徳、あるいはオルテガの言う大衆の反逆の完成体ではないのか。「傷ついた君たちは、弱さを利用してもいいんだよ」という配信者の囁きは、視聴者の耳をいとも優しくくすぐる。しかしそこから生じるのは弱さを競う競争社会であり、決して優しいものにはなるまい。