『一汁一菜でよいと至るまで』
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料理も会話も、その人そのもの発見だらけの「一汁一菜」の舞台裏
[レビュアー] クリス智子(ラジオパーソナリティ)
「一汁一菜」の提案に救われた人はどれだけいることだろう。料理に疲れている人すべてを、すんなりと受け入れ、おいしい塩むすびとお味噌汁を、それぞれの目の前に差し出してくれた本だ。あれから6年経った今、「一汁一菜」は、暮らしのしあわせを思うときの、合言葉のようでもある。
私は料理好きゆえ、料理に関する悩みは思い当たらなかったのだが、料理にとどまらず、日々の暮らし方を顧みることにも繋がり、ぼんやりと自分の中にあったものにピントが合っていく清々しさで心身が軽くなった。
「ゲストは土井善晴さんです」。私が担当するラジオ番組に、折に触れ、ご登場いただいて5年ほどになる。おおよそのテーマをもうけながらも、話の展開は未知で、至福の時間でもある。旬の野菜や土井先生の朝の味噌汁の具材、かつてサーファーだった話、あふれるポール(マッカートニー)愛、高校時代から通う散髪屋さんのご主人とのエピソードなど、お人柄のにじみ出るお話しぶり。理もあり、冴える勘と柔軟さ。いつだって目の前にあるものと、一緒に居る。
新刊『一汁一菜でよいと至るまで』を読み始めたら、それは常々知りたかった「今の土井善晴に至るまで」でもあり、貪るようにページをめくった。お父様で料理研究家の土井勝さんとのこと、フランス修業時代、「なんで私が家庭料理やねん」な頃、鍛えた審美眼で日本の美しさを見つめ直して見えてきたことや「家庭料理は民藝だ」という気づきのくだりは、その場に居合わせるかのような臨場感あり。
時代の影響を非常に受けやすい食文化を、おそらく物心つく以前から肌で感じ、考察されてきたからこその「家庭料理」の再定義は、予想をはるかに超える奥深さであると思う。
土井先生は、どんな言葉も鵜呑みにせず、自分とそれの初めましてを、とても大事にされる。言葉の意味を少しずつ自分で作っていく喜びもありそうだ。様々な食の情報が飛び交う現代に「一汁一菜でよい」と言い放つには、それなりの勇気と覚悟がいったことだろう。孤独な環境で、全神経を酷使しながら、稀な人が何かに到達するのが「至る」という領域。
そんな先生は、いつもひょいと布カバンを肩にかけていらっしゃる。今度、中に何が入っているのか聞いてみよう。「クリスさん、なんも入っていないですよー」と笑いながら、いつものように、素敵な話をたくさん出してくださるのだろうと、今から楽しみでしかたがない。