目のよさが現れでる澄み渡った文体
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
パリに留学した後、故郷のソウルにもどらず、日本に来て日本語で文章を書きだしたという変わった経歴をもつ著者の五冊目の著作だ。メモワールのような七つの物語には、写真家としても活躍する彼女の手に成る写真が随所に挟み込まれている。淡くて揺らぎに満ちた、記憶そのもののように不確かな像の数々。
最初の「カモメの記憶」では高校二年のとき、クラスメート七人と行った泊まりがけの旅が描かれる。電気の通っていない宿で二本の蝋燭で過ごした夜。蝋燭が尽きると本物の闇に仲間の声だけが飛び交い、彼女たちはこんな声をしていたのか、と姿を見慣れていた七人の声音に新鮮な驚きを覚える。
記憶とは「なにものにも邪魔されない別の次元に住み処をかまえ、いつまでも生きつづける」ものだ。しかもその「住み処」は不動ではなく時間の変化を受けるが、その揺らぎやすい領域を感情によらずに視覚を動員して辿っていく。文章にはおのずと目のよさが現れでる。憶えていることを書くというより、書くことにより視覚を覚醒させていくような文章は、読む者にも同じ効果をもたらし、シーンを鮮やかに浮かびあがらせる。
「夜を照らす光」は人里離れた竹山のふもとに独りで暮らすしんさんを、満月の夜に訪ねる話だ。各駅停車の列車でむかう道行きがゆっくりした筆致で描かれ、幽玄の境地に誘われる。目立ったことが何も起こらなくても、眼差しが描写されるとそのまま物語になっていく。澄み渡った文体の力でもある。
「トゥールの国際寮」はフランス留学時代に同じ寮に暮らしたイラン人と台湾人の仲間の当時とその後が描かれるが、人のなかを通過する「時間」が主人公のような不思議な余韻を与える。
細く見えても勁くてちぎれない糸のような文章。「見る」「感じる」「考える」が、時間をかけて丁寧により合わされた成果だ。