怪談・オカルト研究家とホラー作家が語る「怖い話」の原点 吉田悠軌×澤村伊智・対談

対談・鼎談

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怪談小説という名の小説怪談

『怪談小説という名の小説怪談』

著者
澤村 伊智 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103546412
発売日
2022/06/30
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

現代怪談考

『現代怪談考』

著者
吉田悠軌 [著]
出版社
晶文社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784794972880
発売日
2022/01/27
価格
2,090円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

吉田悠軌×澤村伊智対談/小説と怪談、その輪郭を探して

[文] 新潮社

百物語、呪いの家、学校を彷徨う幽霊。読者に恐怖を植え付ける、澤村伊智氏の短編集『怪談小説という名の小説怪談』。その刊行を祝して、実話怪談ブームの立役者的存在のオカルト研究家、吉田悠軌さんとの対談を行いました。ホラーシーンを牽引するお二人が、〈怖い話〉を紡ぐ表現者としての思いを語り合います。


吉田悠軌さんと澤村伊智さん

ホラーと怪談

澤村 今日はよろしくお願いします。

吉田 お会いするのは初めてですよね。

澤村 イベントなどでお見かけしたことはあるんですけれど、きちんとお話しできるのは初めて。お会いできて光栄です。

吉田 こちらこそ。新刊『怪談小説という名の小説怪談』、非常に楽しく読ませていただきました。ホラーと怪談、そのグラデーションがいくつもに分れているように感じ、そのバラエティがとても面白かったです。

澤村 ありがとうございます。新潮社さんといくつか短編のお仕事をする中で、「怪談にフィーチャーする短編集」をつくろうという話になり、それらがまとまったのが今作です。

吉田 そもそも怪談というカテゴリーを、小説でやってみたいというお考えはあったんですか。

澤村 そうですね。ホラーではなく怪談小説といえるように意識したところはあります。その違いは何なのか、一言で答えられないですけれど……。

吉田 怪談は本当にあった怖い話であり、誰かが語ったものだということが原則。誰かの話、誰かの体験談が基盤にあります。一方、ホラーは、怖い現象そのものを描写することになるのではないでしょうか。カメラアイで、事象や現象を描いていく。その描写対象がより幻想的になると、怪奇というジャンルになるかもしれません。例えば異世界が侵食してくる話とか。収録されている「こうとげい」は怪奇寄りですね。

澤村 僕の中で、あれはホラーにいかない匙加減を意識した作品なんです。怪談らしい語りのアプローチをいれ、フィクショナルな展開をさせつつ、あくまで変なのが見えてしまったというところで踏みとどまって、お化けは出さない。もちろん、これをホラーと感じるひともいるでしょうけど。

吉田 今作には7つの短編が収録されていますが、ちょうど最初と最後の作品に語りの要素が強く、怪談寄りの作風でした。構造としてはサンドイッチされているような感じ。様々なバランスを試みているラインナップだなと感じます。

澤村 吉田さんにそう言っていただけて、うれしいです。例えば「苦々陀の仮面」は、ホラー映画を題材に、仮面の殺人鬼が出てくるというホラーとしか言いようのない素材を、怪談として描いた作品です。ホラーのガジェットを使うけれど怪談です、と言いたかった。そういった作為をもって、いろいろと挑戦をした一冊かもしれません。


澤村伊智さん

現代で一番怖いもの

澤村 実は僕、吉田さんにはずっとお礼が言いたかったんです。

吉田 お礼だなんて……なんでしょう。

澤村 小学校高学年の頃、とても怖い話を読んだことがありました。吉田さんがまとめた『ムー実話怪談「恐」選集』(2018年、学研プラス)で、それと再会できたんです。

吉田 月刊『ムー』の怪談コーナーに寄せられたおたよりを再構成した作品集ですね。一体どの作品で?

澤村 「いぬ」という怪談です。ある夜、家で一人留守番をしていたら、庭先に毛が一本もはえていない人が現れて……。

吉田 家のテレビにばっと映り込むんですよね。覚えています。最初にたくさんの作品を読んだ中で、これは確実にラインナップに入るだろうなと感じた一作。「ビデオテープを回すと、映される風景がどんどん自分の家に近づいてくる」という有名な都市伝説の元ネタになったのでは、とも思います。

澤村 これを読んだ当時、めちゃくちゃ怖かったんです。雑誌に点描画のような絵が添えられていて、それもまた脳裏に焼き付いて……。「いぬ」を読んでいなかったら、今のこの仕事はやっていなかったかもしれない。

吉田 確かにあれは傑作ですね。

澤村 吉田さんの怪談論はほぼ拝読していると思いますが、近刊の『現代怪談考』(2022年、晶文社)も、大変に面白かったです。子供殺しへの恐怖という、あくまで主観的な考えから考察を始めるところが興味深かった。最後に平山夢明さんと稲川淳二さんを引き合いに出すのは、お見事でした。平山さんの作風も、稲川さんの公表されている実体験も、子殺しと無関係とは思えないので。

吉田 ありがとうございます。私は怪談に、現代人が一番怖いと思うことが反映されているだろうと思うんです。ではそれは一体何なのか。個人的な感情から想像するに、それは「子殺し」なのではないかなと。そこで〈赤い女〉などの怪談に沿って考察を行いました。澤村さんのデビュー作『ぼぎわんが、来る』(2015年、今は角川ホラー文庫)も、現代日本ホラー文化の代表例として挙げさせていただきました。

澤村 拙作を挙げていただきありがとうございます。

吉田 あれを書いた当時はお子さんはいらっしゃらなかった?

澤村 そうですね。結婚もしてなかったです。だから、正直書いているうちにああいう形になっただけで、なにか子殺しにまつわる考察や主張があったわけではないんですよ。

吉田 まさしく現代で一番怖いものだと想像されたからではないでしょうか。

澤村 無意識に表出してしまったのかもしれませんね。


吉田悠軌さん

「怖い」が未分化の社会で

澤村 僕、1979年生まれで。

吉田 私は1980年生まれです。

澤村 じゃあ、小学校中学年ぐらいのときにミニ四駆が流行り――。

吉田 〈人面犬〉がどんぴしゃの世代ですね。

澤村 僕はたまたまブームの少し前から知っていたんです。子供向けのUMAの本に1982年の週刊誌の記事が小さく引用されていて、「こわいなあ」と思っていた。そうしたら少しして周囲で流行り始めました。

吉田 石丸元章さんの仕掛けによる大ブームの前ということですよね。

澤村 誰かの買ってきた〈人面犬〉の本がクラスで回し読みされて、そういう話が好きなやつもそうでもないやつも、みんな知ってはいるという感じ。

吉田 友達のお姉ちゃんの友達が見た、とかね。でも実は我々はそこまで恐怖していなかったようにも思います。

澤村 設定の味付けがSFっぽかったからかもしれません。実験動物が逃げた、とかくさい噂もありましたし。個人的には〈トイレの花子さん〉の方がずっと怖かった。小4くらいかな。

吉田 ということは1989年頃ですかね。私も同じころに回ってきました。得体のしれない存在で、本当にいるのかもという怖さがあったけれど、そのあと1990年代に入るとキャラクター化してあまり怖くなくなりましたね。〈カシマさん〉はどうでしたか。

澤村 僕の方には来なかったです。むしろ〈テケテケ〉のほうがメジャーでした。

吉田 なるほど、やはり地域差がかなりありますね。

澤村 当時はインターネットも携帯も、ポケベルすらもなかったですからね。誰かが言いだすまでは全く噂が耳に入らない。本当に「来る」という感じです。

吉田 私は幼い頃、八王子の高尾に住んでいました。〈人面犬〉や〈花子さん〉が流行った当時は、宮勤が近所で捕まり、昭和天皇が崩御して国中が喪に服していた。武蔵野陵が近かったから、機動隊がずらっと並んで、町中が大渋滞なんです。ものすごく異様な世界が広がっている、と子供ながらに感じたのを憶えています。

澤村 あの頃って、殺人事件も心霊写真特集も、全部「怖い」ものとしてワイドショーで取り上げられていましたね。

吉田 コンプライアンスもゆるかったから、普通にテレビで血みどろの事件現場などが流れていましたよね。21時からのロードショー番組で当然のように残酷なスプラッター映画をやっていました。今では考えられないコンプライアンス意識の緩さです。ちょうどホラーマンガも全盛期でした。御茶漬海苔さんとか。

澤村 日野日出志さんの作品も記憶に残っています。あと僕が小さい頃はまだ楳図かずおさんが休筆される前だったので、雑誌をめくると『神の左手悪魔の右手』が連載されていて、ぎゃあっとなったり。小学生にはきつかったです。

吉田 えげつない描写があちこちにありましたね。

澤村 ただ、その頃の記憶が今の仕事に結びついているかと言うと……うーん、どうでしょう。そしたら我々の世代の人が全員そうなっているはずですよね。

吉田 私の場合、なぜ怪談を仕事にしたかといえば、単純に就職氷河期で、一生懸命頑張ったけれど全く職に就けなかったことが原因です。これはもう反社会的なことをやるしかない、と思っていたところで怪談と出会った。だから別に子供の頃から怪談が大好きで、今その夢を叶えている、というわけではないんです。いい意味でも悪い意味でも、仕方なくやっている。

澤村 僕も単に原稿を応募したら、「賞金あげます。本にします」と声がかかって、そのまま仕事をいただいて……。それまでの仕事からこっちに乗り換え、幸い今のところ何とかなっている。そういう意味では吉田さんと同じくらい消極的な理由かもしれません。

吉田 社会での成功を捨ててでも夢を追ってこの業界にきた! というのも偉いとは思うんです。ただ、私の場合はそうじゃありません、とは声を大にして言いたい。最初から、社会で大事にされているものとは真逆の価値観を、何とか広めてやろう、と思ってきました。受け入れてくれなかった社会への復讐心。

澤村 怨念ですね(笑)。自分はもちろん仕事を依頼してくださる人、本を読んでくださる人がいることには心から感謝しているんですけど、なりたかったかと言われれば、それは違う気がします。こんなに危なっかしくて恐ろしい仕事はないぞ、とも思う。

吉田 当時の実話怪談分野はいわばブルーオーシャンの状態でした。誰だって第一人者になれるわけで、真面目にやればなんとかなる、と思ってここまでやってきています。

あざとさと、おもてなし

澤村 僕は怖い話の、ある種の実話至上主義に異議を申立てたい、と思っています。怖い話全般に、たとえ創作であっても「これは作り話じゃなくて実話なんですよ」という見せ方をした方が怖い、みたいな価値観があると感じていて……。僕も時折やってしまうんだけど、それでも小説として白旗を掲げるような態度はダメだろうと感じるんです。

吉田 怪談側の立場からしても、そこは白旗を掲げてほしくないですよね。小説には、創作ならではの創意工夫があるはずだから。

澤村 そうなんです。恥ずかしいぐらいの創意工夫がなきゃいけないなと。小説で実話怪談ごっこなんかしたら、読者はもちろん、実話怪談の世界の人にも失礼な気がするんですよ。

吉田 それなら実話怪談をやった方がいいじゃないかという話になりますからね。

澤村 フィクションだから面白くできる、一種のあざとさも必要だと思います。例えば、怖い話の中で少年の成長物語を描くこともできる。創作で怖い話をやるうえでは、そういったことはしなくちゃいけないのかなと。

吉田 構造として、怖い話と、もう一つ、物語性という二段構えになっているんですね。逆にいえば実話怪談がもともと成長物語やビルドゥングスロマンになっていたり、叙述トリックをもっていたりすることはないはずです。だって、人の体験談を取材して、その人の語りをベースにしているわけで、普通に考えて、そういった要素がもとから存在するはずはないですよね。

澤村 「意味怖」ジャンルのように、語りの技術で工夫することはあるでしょうけれど。

吉田 もちろん、にならない範囲に気を付けながら、聞いた話を再構成し創意工夫を凝らすことはあります。例えば、体験者の話として〈A子さんはある日、実家で友達と宅飲みをし、雑魚寝していた。すると一階から死んだ友達が上がってくる。最後にうわっ! となるところで目が覚めて、夢だったのかと息をつく〉という展開があったとします。このシーンを体験者から聞いた際、冒頭に「私が最近見た夢の話なんですけど」と断りが入っていたとしても、再構成して語るときには、その要素をわざわざ最初に前置きする必要はない。夢であることを最後に告げたっていいわけです。

澤村 そういう意味では実話怪談の世界にも創意工夫はたくさんありますよね。

吉田 怪談の世界におけるおもてなしですね。実話怪談ならではの面白さとしては、体験者以外のフィルターを通すと面白くなる、ということもあります。むしろ一度フィルターを通さないと面白くならない。

澤村 それ、聞いてみたかったんですよ。取材で吉田さん自身が体験者の話を怖いと感じることはあるんですか。フィルターなしで怖いと感じた話を再構成する難しさはあるんでしょうか。

吉田 もちろん、取材で怖いと感じることはありますよ。体験者本人がとつとつと語るリアリティの怖さは絶対的です。ただそれを再構成し発表する際には、別の要素も必要になります。そして怪談としては、他者の存在を挟んだほうが、体験者本人が語るよりも面白くなる可能性が高い。私の話した怪談を、誰かがまた再構成して語ると、さらに良くなることもけっこうあるんです。

澤村 それは実話怪談ならではの特性ですよね。小説を誰かに話して、それがどんどん面白くなっていくということは基本的には起こり得ないですから。

吉田 人の口を辿って行くと、物語がどんどんブラッシュアップされていくんですよ。当初の体験者の告白としての怖さは薄まれど、それとは異なるエネルギーが付加されていく。新刊の中の「涸れ井戸の声」なんかは、まさにそういうお話ではないですか。

澤村 それはそうかもしれませんね。作中でも言及している通り、これは「牛の首」を今の日本でやりたかったんです。

吉田 聞くと死んでしまう恐ろしい「牛の首」という怪談があり、今日ではその存在と題名だけが伝わっている、という怪談ですね。

澤村 「涸れ井戸の声」では、現代で「牛の首」をやるならこういうことも起きるだろう、というアイデアを盛り込んでいます。

吉田 オンラインを活用しているのが新しかったです。

澤村 吉田さんは『早稲田文学』2021年秋号で「若手のホラー作家で実話怪談を参考にしていない人はほとんどいない」とおっしゃっていて、それはその通りだと思うんです。だからこそ、違うことをやらなきゃという気持ちが常にあります。

吉田 実話怪談と小説はずっとけんかをしていないといけないのかもしれない。それぞれの形式の作品として、ぶつかり合うくらい。

澤村 相互に影響を与え合っていく、と言ってもいいでしょうね。

小説で怪談を書く

吉田 私は著書などを通じて常々、怪談は小説にならないようにしなきゃだめだと言っているんです。直接的に小説のやり方を怪談に取り入れてしまうと、どっちつかずになっちゃう。もちろん、あくまで個人的な考えですけれど。

澤村 怪談の世界に、小説の技巧を使って実話怪談をするひとはいるでしょうし、小説の世界にも実話怪談方式で作品を書くひとはいます。

吉田 怪談と小説ってどうしても混じりやすいし、手法や題材も重なりやすいですよね。でも怪談をやるとなったら、小説のまねごとをするのはやめた方がいいと思うんです。

澤村 そうやって線を引きたいと考えている人間が二人、たまたまここにいる。僕も、怪談だと胸を張れる小説を書こうとは思うけれど、やはり小説ではありたいと考えています。だから作者自身が主人公で実話っぽく語るというやり方はもう長編ではやらないと決めている。その手法の効果は絶大だと分かっていますし、積極的に使っていらっしゃる作家さんを否定する気はないし、読者としてはむしろ好きなんですが。

吉田 それこそ、先ほどの実話至上主義への異議に通じますね。

澤村 京極夏彦さんの「怪談で小説を書いてはいけません、小説で怪談を書きなさい」という言葉が心に残っているんです。とある文学賞の授賞式で聞いた一節で、これにがつんと衝撃を受けた。怪談を小説のだしにしてはいけない、という意味なのかなと思います。以来、自分が怪談を「使って」小説を書いていないか、気にかけるようになりました。新刊のタイトルは都筑道夫の『怪奇小説という題名の怪奇小説』を踏まえていますが、京極さんの言葉への思いも込めています。

吉田 小説で怪談を書くこと自体はいいんですよね。

澤村 はい。小説で怪談を書くのはいい。と言いつつ、何をやったら小説で怪談を書いたことになるのかはまだ明確には分からないんですよ。内田百間(「間」は門構えに月が正式表記)の作品は小説で怪談を書いたものだと思うけれど。

吉田 岡本綺堂もそうですよね。おそらくは当人たちもなにかルールに沿って書いているわけではないのでしょうけれど。

澤村 綺堂にいたっては、怪談は余技ですからね。それでも小説の中に描かれる怪談には、怪談としての新鮮な魅力があって、なおかつ小説としての面白さもある。なんて高い山が聳えているのだろう、と気が遠くなります。まだまだその答えは分らないけれど、だからこそ実作して世間の皆さんに問うしかない。新刊でそういう問いを投げかけたつもりです。小説で怪談を書いたことになっていますか、小説怪談と呼べるものになっていますか、と。

吉田 『怪談小説という名の小説怪談』はまず一周、無心で楽しんだうえで、もう一度ジャンルについて考えながら読んでもらうのも面白いかもしれません。怪談も小説も物語という母集団の中にあり、対立したり混ざったりしながら共存している。物語を小説として語ることと、怪談として語ることとはどう違うのだろう。収録されている7つの作品では、その色合いが虹のようなグラデーションとなって取り揃えられているし、がり方も、アクロバティックだったり、緻密だったり、多種多様です。いろいろな味わいがあるから、怪談についての考えも深まります。

澤村 今まで怪談なんて全然興味なかった人が、僕の作品をきっかけに、怪談全般に興味を持ってくださったらすごくうれしいです。次のステップに導くことができたら。都筑道夫の小説を、そして、吉田さんの本を。それから『てのひら怪談こっちへおいで』(2022年、ポプラキミノベル)という我々の競作本も出しましたから、そちらもぜひ。

吉田 そうだ、最近出しましたね。

澤村 これからも作品を綴りながら、自分なりの怪談の輪郭を探していきたいです。

***

吉田悠軌
1980年東京都生まれ。作家、オカルト研究家。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長。怪談の研究がライフワーク。著書に『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談』(PHP研究所)、『現代怪談考』(晶文社)など。

澤村伊智
1979年大阪府生まれ。小説家。2015年「ぼぎわん」(刊行時『ぼぎわんが、来る』に改題)で第22回日本ホラー小説大賞を受賞。17年『ずうのめ人形』(KADOKAWA)が第30回山本周五郎賞候補に選出。近著に『邪教の子』(文藝春秋)、『怖ガラセ屋サン』(幻冬舎)など。

新潮社 小説新潮
2022年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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