感染症との長期戦 専門家・行政・島民の共闘の物語

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清浄島

『清浄島』

著者
河﨑秋子 [著]
出版社
双葉社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784575245707
発売日
2022/10/28
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

感染症との長期戦 専門家・行政・島民の共闘の物語

[レビュアー] 牧原出(政治学者・東京大教授)

 新型コロナウイルス感染症が世界を席巻して三年。感染症といえば呼吸器疾患を引き起こすもの、とつい思いがちだが、これまで人類は様々な感染症と闘ってきた。たとえば、エキノコックス症は、宿主である動物の糞などから飲料水を介して寄生虫が体内に入り、肝臓に寄生し、腹が膨れ上がって、放置すると死に至る病気だ。

 これを撲滅したのが北海道礼文島。医師など専門家・行政・村民の地道な協力の賜であった。

 武漢で新型コロナが最初に蔓延したとき、海鮮市場で売られていたハクビシンが宿主だったのでは?などと報道された。エキノコックスでは、鼠・狐・犬・猫などが宿主だ。宿主の体内に寄生虫を発見して感染経路を確認することで、駆除など打つ手が決まる。道立衛生研究所から礼文島に派遣された感染症と闘う主人公は、当座用意された汚く狭い一室で、動物の内臓を解剖し、ルーペと顕微鏡でごく小さな寄生虫を探す。

 動物を描けば定評のある河崎秋子氏の独壇場である。動物は本能で動く生理的な存在だが、人間もそうとらえれば、実に生々しい獣だ。野犬や狐の消化器を解剖する主人公は、礼文島の新鮮で素朴な料理を味わい、それを消化器で受け止める。解剖と食という二つが、そこにある内臓を介して共振している様を、読者も味わうのだ。

 また舞台が海に囲まれた孤島であり、日本という国の特徴を映し出す。北海道は世界でも二一番目の面積をもつ巨大な島である。高山と狭い平地と海という島の特徴は、さらにスケールを小さくすれば、稚内から船で2時間の礼文島となる。今では美しいエメラルドの観光地とうたわれる礼文島は、主人公の前では漁業が一時ほどの勢いを失い、ややさびれた北の孤島だ。

 ときは昭和二〇年代末でまだ太平洋戦争の記憶も新しい。島の人々は、よそものの主人公に距離をとりつつも、次第にエキノコックス退治の意義を理解していく。だが三十年の後に島が感染症を克服したとき、今度は北海道本島でこれが広がっていく。ポストエキノコックスは、まさにウィズエキノコックスだ。長い感染症との闘いは、さらに続く。

 主人公は、寄生虫のエキノコックスも生きものだとあえて敬意を払う。だからこそ、命の危機がある感染症には、どこまでも抗ってもがくことで、エキノコックスに「礼を尽く」すのだ。新型コロナの時代、ウイルスの変異する力にどこまでも抗えるか。本書はその一つの導き手だ。

新潮社 週刊新潮
2023年2月16日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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