話題沸騰! 『成瀬は天下を取りにいく』作者・宮島未奈エッセイ 特別ゲストとめぐる「大津ときめき紀行」

エッセイ

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成瀬は天下を取りにいく

『成瀬は天下を取りにいく』

著者
宮島 未奈 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103549512
発売日
2023/03/17
価格
1,705円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

話題沸騰! 『成瀬は天下を取りにいく』作者・宮島未奈エッセイ 特別ゲストとめぐる「大津ときめき紀行」

[レビュアー] 宮島未奈(作家)


琵琶湖を周遊する「ミシガン」(著者撮影)

 第20回「女による女のためのR-18文学賞」受賞作「ありがとう西武大津店」を含む短編集『成瀬は天下を取りにいく』。その舞台は滋賀県大津市の膳所駅周辺だ。刊行を祝し、著者の宮島未奈さんが〈ぜぜさんぽ〉に繰り出すと、そこでは物語の主人公・成瀬あかりが待ち構えていて……? 発売後即重版の超話題作「成天」の世界を、お楽しみください。

 ***

 滋賀県大津市の難読地名、「膳所」。その昔、宮中に届ける食事を作っていた場所だったから膳所と名付けられたというが、読み方の由来には諸説ある。
 しかし我々だって、たとえば「今日」と書いてなぜ「きょう」と読むのか、いちいち考えないだろう。それと同じで「膳所」と書いたら「ぜぜ」なのだ。
 わたしのデビュー作『成瀬は天下を取りにいく』の主な舞台は膳所である。すでにお読みになった方々からは、膳所の読み方を一生忘れないだろうとの感想をいただいている。
 JR膳所駅の改札を抜け、長いエスカレーターを下りたところに待ち合わせの相手がいた。ストIIのベガを思わせる風格で、腕組みをして仁王立ちしている。
「こんにちは。小説家の宮島未奈です」
 わたしが声をかけると、その女は腕を解いて頭を下げた。
「成瀬あかりだ」
 成瀬は茶色のダッフルコートを着て、黒いリュックを背負っている。その言動から巨大なイメージがあったが、実際会ってみると身長百五十八センチのわたしよりも少し小さい。膳所駅周辺を一緒に歩いてほしいと依頼したところ、快く引き受けてくれた。
「ここがときめき坂の一番高い場所だ。本当の名前は市道幹1044号線という」
 駅前のロータリーにはさっそく「ときめき坂」と書かれた地名碑が立っている。ときめき坂は琵琶湖方面になだらかに下る五百メートルほどの坂で、膳所駅と今はなき西武大津店を結んでいた。
「成瀬さんはときめき坂のネーミングをどう思いますか」
「わたしが生まれたときからときめき坂だから、良し悪しを考えたことがないな」
 公募でときめき坂と名付けられたのは1989(平成元)年のこと。西武大津店の売上高のピークが1992年度だったというから、当時のヤングはまさに胸をときめかせて坂を歩いていたに違いない。現在も飲食店や医療機関が建ち並んでいるが、土曜日の昼間でも人通りはまばらだ。


「ぜぜさんぽマップ」(絵・米村知倫)

 JR膳所駅のすぐそばには京阪膳所駅がある。京阪石山坂本線は石山寺駅と坂本比叡山口駅を結ぶ路線で、駅数は二十一駅。地元では石坂線と呼ばれて親しまれている。成瀬の通う膳所高校は、京阪膳所駅から二駅の膳所本町駅が最寄り駅だ。
「わたしは徒歩通学なので日常的には乗っていないが、大津市役所や近江神宮に行くときに利用している」
 京阪の線路を越えると、左手に餃子の王将が現れる。
「ここの王将には家族でときどき来ている。わたしはもうだいぶ大きくなったのに、小さい頃からの習慣で、父が奥の座敷席に行きたがるんだ」
 成瀬家のほっこりエピソードである。月二回新聞についてくる餃子のクーポン券は欠かさず切り抜いているらしい。
「あれ、成瀬じゃん。何してるの?」
 大津高校のそばにあるセブンイレブンの前で、ボブカットの女子高生に声をかけられた。黒いコートに山吹色のマフラーを巻いている。
「こちらは小説家の宮島氏だ。ときめき坂を散歩している」
「えー、わたしも呼んでよ」
 女子高生はわたしのほうに向き直り、「島崎みゆきです」と名乗った。
「この後は空いているのか」
「うん、用事があってちょっと学校行ってただけ。一緒に行こう」
「このセブンイレブンはM‐1終わりにアイス買ったところですね」
「そうです。成瀬はいつもガリガリ君買うよね」
「決めておけば迷わずに済むからな」
 道は途中で二手に分かれる。ときめき坂は右側だ。分岐点には滋賀レイクスのユニフォームを着た飛び出し坊やの看板がある。飛び出し坊やは滋賀県発祥の交通安全キャラクターで、いたるところに看板が見られる。
「飛び出し坊やの名を全国に広めたのはみうらじゅんだと言われている。この顔は0系と呼ばれるタイプだ」
 島崎はみうらじゅんには興味がないようで、「へぇ~」と明らかに適当な相槌を打った。
 右の道に進んでしばらく行くと、小学校が見えてくる。成瀬と島崎の母校、大津市立ときめき小学校だ。わたしの住む世界では同じ場所に大津市立平野小学校がある。
「卒業してからしばらく経つが、今も地域の行事で出入りしているからあまり懐かしいという感じではないな」
「小学校時代の一番の思い出ってなんですか?」
「わたしはやはりうみのこだ。人生で一度きりしか体験できないからな」
 うみのこは滋賀県の小学五年生がみんな乗る学習船だ。琵琶湖について学習しながら共同生活を送る。わたしは静岡県出身のため残念ながら乗っていないが、滋賀県民にとって特別な思い入れがあることは想像に難くない。
「あー、たしかにそうかも。わたしたち、初代うみのこのラストイヤーだったんです」
 現在運航しているうみのこは二代目だ。新しい船になるときに船名を公募したが、初代と同じ名前のうみのこになった経緯がある。
「そこを曲がったところにある『よりみちぱん』の塩パンがおいしいですよ」
 島崎が言う。大津市は全国の都道府県庁所在地と政令指定都市の中で、家計におけるパンの購入額が一位である。しかし成瀬はご飯派なので、パンはあまり食べないらしい。
 ときめき坂が終わりに差し掛かり、平坦になったところに美容プラージュがある。
「大貫に教えてもらったが、予約なしで散髪できるので便利だ」
 成瀬が言うと、島崎が笑う。
「関西の人ってなんでみんな散髪って言うんだろうねってお母さんが言ってた」
「関東ではなんと言うんだ?」
「うーん、普通に『髪を切る』とか」
 そんな話をしているうちに、ときめき坂の終点となる交差点へたどり着いた。馬場公園の柵のそばに、膳所駅前にあったのと同じときめき坂の地名碑が立っている。
「ここがときめき坂の終点だ」
 馬場公園では子どもたちが歓声を上げて駆け回っていた。
「わぁ、ゼゼカラや」
「膳所から世界へ!」
 三人組の小学生男子が二人を見て寄ってきた。成瀬はゼゼカラの決めポーズである指を斜めに振り上げる仕草をして、「膳所から世界へ!」と応じる。
「すごい、地域の有名人ですね」
「いや、この子たちとは顔見知りなだけで、知ってる人はごく一部ですよ」
 成瀬は山の形をした大きなすべり台で、子どもたちとどちらが早く登れるか競走をはじめた。成瀬は手加減せずダッシュで階段を駆け上がり、島崎はそれを見つめて「早っ」と大笑いする。
 馬場公園と県道を挟んだ向かい側には西武大津店の跡地に建てられたマンション、レイクフロント大津におの浜メモリアルプレミアレジデンスがある。こちらもわたしが住んでいる世界とは少し名称が違うようだが、七百邸を超える京滋エリア最大級のプロジェクトである点は共通している。
 西武大津店は閉店後すぐに取り壊されてしまい、今となっては幻のようだ。わたしは自分のスマホに在りし日の西武大津店を表示させてマンションにかざしてみた。
「わぁ、懐かしい」
 島崎がわたしのスマホの画面を見て声を上げる。西武大津店が閉店したからこそ、わたしは成瀬と島崎に出会えた。だけど、わたしの本を西武大津店に並べることができたら、どんなによかったかとも思う。
「いずれわたしがデパートを建てたら、ぜひ宮島氏の本を並べたいものだ」
 わたしの思いを見透かしたかのように成瀬が言う。
「そうですね。でも、わたしは成瀬さんほど長生きできないかもしれないので、なるべく早めにお願いします」
 成瀬は二百歳まで生きると宣言しているが、さすがにわたしはそこまで生きられる気がしない。もっとも、わたしは成瀬より二十三年早く生まれてしまっているため、その分不利である。
「わかった」
 成瀬は力強くうなずいた。


在りし日の西武大津店(2020年・著者撮影)

 わたしたちは西武大津店の思い出を語りながら、近くのびっくりドンキーに移動した。成瀬は例によってチーズバーグディッシュを注文している。
「わたしもチーズバーグディッシュが一番おいしいと思います」
 わたしの発言に、成瀬は複雑そうな表情を浮かべて「しかしわたしはほかのメニューを食べたことがないから、一番おいしいかどうかは判別がつかない」と応じた。
「今度はミシガンに乗りにいこう」
 本当は今日も乗りに行きたかったのだが、今の時期のミシガンは定期点検のためドックに入っており、別の船がクルーズを代行している。
「そのときは西浦くんも呼びましょう」
 わたしが何気なく言うと、島崎が怪訝そうな顔で「西浦くんってだれ?」と尋ねた。まずいことを言ってしまったかもしれないと焦るも、成瀬は平気な顔をしている。
「広島にいる同い年の男だ。かるたの高校選手権で出会って、一緒にミシガンに乗った」
「はぁ? そんな相手がいるなんて知らなかった! 紹介してよ」
「うーん、そういうものなのか」
 成瀬と島崎のやり取りを見ていると、自然と笑顔になってくる。また機会を見て、こちらの世界にお邪魔するとしよう。

新潮社 小説新潮
2023年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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