なぜ肉じゃがにほっとする?ときにケンカの火種にもなる「おふくろの味」の正体とは

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「おふくろの味」幻想

『「おふくろの味」幻想』

著者
湯澤規子 [著]
出版社
光文社
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784334046477
発売日
2023/01/18
価格
1,034円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

なぜ肉じゃがにほっとする?ときにケンカの火種にもなる「おふくろの味」の正体とは

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

聞き慣れた言葉なのに、実体はあるようでない。それどころか実際に存在するのかが曖昧だから、もしかしたら幻想に過ぎないのではないかとすら思わせるーー。

世の中に存在するそういったもののひとつが「おふくろの味」だと指摘するのは、『「おふくろの味」幻想』(湯澤規子 著、光文社新書)の著者。

「おふくろの味」とは不思議な言葉である。

おふくろが実際につくる味なのか。おふくろをイメージするような味なのか、おふくろがいた故郷を想起させる味なのか、おふくろという女性に課せられた味なのか……。

「おふくろ」とは母親なのか、故郷なのか。実際の料理としては煮物なのか、甘辛い味なのか、はたまた一汁一菜という形式なのか。

考えるほどに「おふくろの味」は変幻自在に転換し、実体なのか幻想なのかさえも曖昧になっていく。(260ページより)

たしかにそのとおりで、当たり前のように浸透しているそのことばは、考えてみればじつに不明瞭。しかもそこには、男女の温度差さえ絡みついてきます。

付き合いで飲んだ後の二次会で、あるいは仕事帰りの駅前で、単身赴任先のスーパーの惣菜売り場で「おふくろの味」という言葉に引き寄せられて、ついふらりと路地の暖簾をくぐったり、「おふくろの味」というシールが貼られた弁当に手を伸ばしたりする男性たち。

一方、「おふくろの味」と男性に言われようものなら、何だかよくわからないアンテナがピンと立ち、緊張したり、イライラしたり、葛藤したり、ため息をついたりしてしまうことがまあある女性たち。タイミングによっては喧嘩にまで発展することさえある。(「プロローグーー『味』から描かれる世界」より)

男性にとってはノスタルジーになり、女性にとっては恋や喧嘩の導火線となりうるわけですが、いったいそれはなぜなのか?

こうした疑問を原点としながら、著者は「おふくろの味」という概念の変幻自在さ、曖昧さの本質を解き明かそうとしているわけです。

「おふくろの味」という現代史

「おふくろの味」が誕生してから現在までの歴史を振り返ってみると、この概念は生まれるべくして生まれたものだということがわかると著者は述べています。「おふくろの味」はそれ自体が、現代史としての意味を持っているのだと。

戦後復興期から高度経済成長期へとつながる社会の急激な変化を生きた人々にとって、愛着のある場所(トポフィリア)をいかにつくり出すかということは、生きる拠りどころを求めることを意味していた。

実際に故郷の母親たちがつくった味そのものというよりは、故郷を想起させるような装置が必要だったのである。そのため、都市が「おふくろの味」を発見し、都市の飲食店は味や雰囲気から擬似的な故郷を想起させる場所となった。(262ページより)

一方、高度経済成長期には現実の“故郷”も変化を余儀なくされました。食材や産業構造が大きく変化し、次世代は相次いで都市へと移住。かつての日常食も行事食となっていたため、郷土料理を「おふくろの味」として発信することで、都市へとつながる経路をつくり出そうという動きが各地にみられたわけです。(262ページより)

カウンター・カルチャーとしての意味

興味深いのは、著者が「おふくろの味」をカウンター・カルチャーと位置づけている点です。

一九八〇年代半ばという時代は、社会全体において食が軽視され、均一化していった時代であったが、それに抵抗する道具として「おふくろの味」が用いられることもあった。

どこに行っても同じような風景、同じような味が広がると、「場所」の固有性が失われる。

それは「没場所性」という現象の広がりであると、地理学者のエドワード・レルフは論じたが、「おふくろの味」はそうした動きに対するカウンター・カルチャーとしての意味を持つようになったのである。(263ページより)

太平洋戦争後にサラリーマン世帯が増加すると専業主婦が増え、「料理は女性がするもの」という性別役割分業が拡大、定着しました。それは女性の社会的地位が低く置かれていたことをも意味するわけで、現代では考えられないことでもありますが、いずれにしてもそんななか、家庭料理もまた低くみられる風潮がたかまっていったのだといいます。

そして、それと反比例するかのように家庭料理の技術を高めていこうとするメディアや女性たちの熱気も高まることに。レストランのように華やかな洋食メニューを教える料理学校に主婦たちが通うようにもなり、百花繚乱の家庭料理時代が到来したのです。

そんななか、「おふくろの味」もさまざまな料理カテゴリーのひとつとして位置づけられ、女性たちにはその継承が求められることになります。

とはいえ当時の主婦たちには、前の世代の女性たちから家庭料理の手解きを受ける機会はほとんどなく、頼りになるのはメディアからの情報のみ。そのためこの時代から、メディアがつくり出す「おふくろの味」のイメージの影響力が強くなっていったというのです。(263ページより)

幻想に近い理想へ

社会の変化に伴って働く女性たちが増えても、高度経済成長期に定着した性別役割分担が変化することはなかったため、「おふくろの味」の規範に囚われたまま、家族の食卓は混迷を極めた。(264ページより)

しかも家族という組織においては女性と男性、大人と子どもという性差と世代差が錯綜するので、いくつかの異なる世界観が混在してしまいます。

それどころか社会全体も、膨大な異なる世界観と認識の重なり合いによって成り立っているもの。したがって、それが「おふくろの味」をめぐる衝突や葛藤となって噴出することも。

かくして「おふくろの味」はひとつの神話として、実体というよりは幻想に近い理想として、大衆社会のなかに浸透していくことになったということ。そのことを含め、著者は「おふくろの味」論争を次のようにまとめています。

本書を通じて明らかになったのは、都市、農村、家族、男性、女性、メディアがそれぞれの意図をもって、「おふくろの味」に対する独自の意味づけと味つけを行ってきたということであった。

そのレシピは絶対的なものではなく、曖昧模糊としたものであるにもかかわらず、都市と農村と家族とメディアが交錯して創られた味は、一皿の中にあたかも一品の料理であるかのように盛り付けられている。(264ページより)

だからこそ、「おふくろの味」は多義的にならざるを得なかったということ。これは非常に興味深く、そして説得力のある考察ではないでしょうか?(264ページより)

懐かしいイメージがあり、「おふくろの味」の代名詞でもある肉じゃがが、じつは約50年程度の歴史しか持っていないなど、知られざるエピソードも満載。しかも「おふくろの味」を通じて社会や世相の移り変わりを確認できるので、とても読みごたえのある一冊です。

平日に更新している「毎日書評」に加え、4月からは毎週土曜日に「毎週新書」としておすすめの新書を紹介していきます。

Source: 光文社新書

メディアジーン lifehacker
2023年4月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

メディアジーン

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