<書評>『サーカスの子』稲泉連 著

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サーカスの子

『サーカスの子』

著者
稲泉 連 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784065309667
発売日
2023/04/03
価格
2,090円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<書評>『サーカスの子』稲泉連 著

[レビュアー] 与那原恵(ノンフィクション作家)

◆母への「アンサーソング」

 記憶というものは、不思議な生命力を持っている。楽しかったことだけではなく、悲しいことや辛(つら)い出来事、匂いや音も鮮やかに、手放せない記憶が人それぞれにある。

 いまから四十年前、シングルマザーが四歳の息子を連れて、キグレサーカスの炊事係として働きだした。母子はともにノンフィクション作家となる久田恵と著者だが、当時の久田は先行きも見えないなか、目にした写真集をきっかけにサーカスの世界に飛び込んだ。

 「れんれん」と呼ばれた著者は「華やかな芸と人々の色濃い生活が同居する世界、いわば夢と現(うつつ)が混ざり合ったあわいのある場所」で「サーカスの子」として一年足らずを過ごすことになった。空き地に建てられたサーカスの大天幕の裾をまくれば華やかな芸が繰り広げられる。その周囲では芸人の子どもたちが走り回り、大人たちは誰の子もかまわず、かわいがり、叱ってもくれた「家族」のような共同体だった。

 サーカスは二カ月に一度のペースで次の興行地へ移動する。旅と祭りが合わさったような日々は稲泉の胸に刻まれた。

 久田はのちに取材をして『サーカス村裏通り』(一九八六年)を刊行。だがキグレサーカスは二〇一〇年に廃業し、稲泉の「故郷」は失われ、いつしか「郷愁」も感じるようになった。歳月が流れ、サーカスにいたときの年齢の子を持つ彼は、芸人たちを訪ね歩き、サーカスの世界に生きた理由、そこを去ったあとの人生を聞いていった。

 どの人も「れんれん」を懐かしそうに語るが、筆致はそれに寄りかかることなく、ノンフィクションの書き手としての視線が貫かれる。多彩な背景を持つ芸人たちは、事故の悲劇も語り、厳しい現実に直面しながら生きた。やがて稲泉の記憶は少しずつ変質していく。

 サーカスの観客と同様に、夢の世界が消えたあとには日常があり、その後の人生が続く。まれな体験を与えてくれた母へのアンサーソングとしても胸を打たれた。

 (講談社・2090円)

 1979年生まれ。ノンフィクション作家。『「本をつくる」という仕事』など。

◆もう一冊

『ぼくもいくさに征(ゆ)くのだけれど 竹内浩三の詩と死』稲泉連著(中公文庫)

中日新聞 東京新聞
2023年6月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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