『サーカスの子』稲泉連著(講談社)

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サーカスの子

『サーカスの子』

著者
稲泉 連 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784065309667
発売日
2023/04/03
価格
2,090円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『サーカスの子』稲泉連著(講談社)

[レビュアー] 尾崎世界観(ミュージシャン・作家)

夢の裏側 寂しさの記憶

 母親が炊事係として働いていたため、著者は幼少期の1年間をキグレサーカスで過ごした。まずこの1年というのがポイントだ。これより短ければ、思い入れや情報が不足するだけでなく、本書の根幹をなす元団員へのインタビューも難しかったかもしれない。逆に長ければ、もっとサーカスに入れ込んでしまい、ここまで絶妙な距離を取って書くのも難しくなるだろう。読み進めるほどに子供の頃の記憶が蘇(よみがえ)る。母親と出かけたスーパー、公園、華やかな駅前、そうした記憶の幽霊みたいなものが、朧(おぼろ)げなままずっと残っていることに驚く。ちゃんと形になれば消えてしまうのに、不完全だからこそ、成仏せずに残るのかもしれない。そんな風に、くしゃみが出そうで出ない感じが延々続く読み心地が癖になる。

 サーカスは観客に夢を見せる。それと同時に、舞台に立つ演者もまた、夢の裏側を見ている。バンドのツアー中に全国各地を移動しながら、よく自分でもそう思う。「自分」は、自分を見つめる観客の「観客」でもあるからだ。ライブ後、ホテルでひとり弁当を食べたり、Wi―Fiのパスワードを打ち込むのに手間取ったりしながら、さっきまで数万人の歓声を浴びていたのが嘘(うそ)みたいに思える。人々の娯楽が自分の仕事であるということと、その誇らしさ。

 サーカスには、見たそばから思い出になるような、まるで思い出そのものをリアルタイムで映し出す不思議な魅力がある。寂しさの中にいれば、寂しさは見えない。サーカスに寂しさを感じるのではなく、サーカスそのものが寂しさだとさえ思う。そのせいか、ひとたびサーカスを離れれば、そんな寂しさに飲まれ、その後の生活に苦労したと語る元団員も多い。

「一日で出来上がって、一日で消えるのがサーカス」

 だからこそ、記憶の幽霊になって、見た人の中にずっと残り続ける。

読売新聞
2023年5月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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