悲しい時に何食べる? 加藤シゲアキ『オルタネート』

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オルタネート

『オルタネート』

著者
加藤 シゲアキ [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784101040233
発売日
2023/06/26
価格
990円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

悲しい時に何食べる?

[レビュアー] 福田里香(お菓子研究家)

福田里香・評「悲しい時に何食べる?」

 2016年1月23日土曜日の夜、いつものラジオを聴いていたら「加藤シゲアキが小説を書く人」だということを知った。

 それは映画通且つ読書家で知られるラッパーのライムスター・宇多丸氏がパーソナリティを務める番組で、気になるカルチャーについて毎回意外なゲストを迎えてトークを繰り広げるというコーナーに、意外が売りだとはいえ「現役アイドルとして大活躍する加藤シゲアキ」が出演したのだから驚いた。

 加藤さんは、自分は番組のリスナーだと告白したうえでデビュー作『ピンクとグレー』について宇多丸氏と楽しげにしかし深く対話し、この番組にインスパイアされて書き上げました、と制作秘話を打ち明けた。不意に宇多丸氏が本書は「章タイトルが全部飲み物」と紹介したので、それは絶対読まねばと購入したのだった。

 なぜなら、わたしは幼い頃から小説やマンガ、映画、テレビドラマ等、物語に登場するフードに並々ならぬ興味を持っているからだ。フード描写に対する考察を「フード理論」と呼び、一冊に纏めたこともあるくらいには情熱を傾け続けている。

 中でも注目するのがクリエイターのデビュー作だ。よくデビュー作にはクリエイターのすべてが表出すると言われるが、それは強ち間違いではないと思う。デビュー作は、今後もその分野で身を立てて行けるか?を占う巨大な第一分水嶺だ。ここで失敗したら後がない。そんな初仕事に敢えて不得手なネタをぶつける人間はいないと思う。これぞ、という掌中の珠(と自分が思っているネタ)をぶつけるものだ。

 例えば、楓という名の少年が主人公の短編バスケマンガ『楓パープル』でデビューした井上雄彦は、のちにバスケマンガの金字塔となる『SLAM DUNK』を描いた。主人公のライバルとして登場する流川楓は『楓パープル』に原型を見ることが出来る。

 また、少女マンガの巨匠萩尾望都のデビュー作『ルル とミミ』は、ケーキコンテスト会場に闖入した悪漢を失敗作のケーキを投げつけて退治する、という小学生向けの短編コメディだが、のちの萩尾作品で重要なモチーフとなる双子、長テーブルでの乱闘、勝たない人生(あるいは吸血鬼生や宇宙人生)に寄り添うフード描写がすでに見て取れる。

 個人的に萩尾望都のようなクリエイターを「フード作家」という括りで分類している。主題が料理に無関係な作品においてすら、いや、こそなのか、何かしらフード展開を描かざるを得ない作家というものが、じつは密やかに存在するのだ。

 つまり、わたしの解釈によればであるが、作家人生の岐路であるデビュー作の章タイトルをすべて酒名にするなんて、明らかに加藤シゲアキはフード作家である。これは食を表現に取り入れることで、より伝わりやすくなると信じている人間の所業に他ならない。フードの周辺を描くことで、登場人物の性格や感情を精密に表現する天賦の才を持つひとだ。そこにフードに対する親愛と癒し、それから執着とトラウマを感じる。

 そんな加藤作品の、ひとつのフード的集大成が『オルタネート』だ。本書は真っ向から食を題材に描いた長編小説であり、且つAIやインターネットのSNS、ネット動画が勃興する時代を生きる高校生の群像劇を描いた青春小説である。タイトルの「オルタネート」とは、AIが相性の良さを選ぶ高校生限定のマッチングアプリで、それによって引き起こされる悲喜交々を作者は鮮やかな筆致で描き切った。

 調理部部長の新見蓉は、高校生の料理コンテストを配信する人気ネット番組「ワンポーション」に、出場を決意する。蓉を取り巻く親や友人、部活仲間、ライバルとの関係性の機微が物語の主軸だ。並走して音楽に心を寄せる高校生達の軸や、オルタネートを盲信する女子高生の恋人探しの混迷が、まるでミルフィーユのように繊細に折り重り、スパゲッティのように自在に絡まる構成にページを捲る手が止まらない。

 料理コンテストのくだりに手に汗握る秀逸なフードシーンが多いのはいわずもがなだが、注目して欲しいのは悲しみに伴う食描写だ。蓉の親友が恋人と別れた顛末を語る場面での「皿の上のカルボナーラが、枯れたように固まっていく。」という情景描写には舌を巻いた。また、ライバル校の出場選手が蓉に語りかける「嬉しい時に何食べるかよりさ、悲しい時に何食べるかの方が、大事だと思わない?」という言葉は確かにそうだと腑に落ちた。

 大事なのは「おいしそうな描写」ではない。登場人物の心情にどれだけ寄り添った表現になっているかだと思う。生命体の本質を成す食すという行為と、人工的なデータ処理との狭間で揺れ動く若者達の対比は痛々しくもあり、しかし目を細めるほどに眩しい。フード×青春×戦い×恋愛×ネット世界。そんな素材を加藤シゲアキが料理するなんて、最高においしいに決まっている。

新潮社 波
2023年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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