小説家・蓮見恭子がアーティスティックスイミングに賭ける女子高生を描いた小説『人魚と過ごした夏』の執筆で感じた50年前の「宿題」
エッセイ
『人魚と過ごした夏』
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やり残した宿題
[レビュアー] 蓮見恭子(作家)
シンクロナイズドスイミング(現・アーティスティックスイミング)との出会いは、半世紀近く前まで遡る。当時、夏休みの間だけ開催されるハマスイ(浜寺水連学校)に、私は小学三年生から通っていた。ハマスイでは、四泳法をマスターした後、日本泳法かシンクロを選択する事になっていて、練習が終わった後の全体集会で「シンクロの世界大会で銅メダルを獲った」という選手が紹介された事もあった。私はバタ足からクロール、背泳ぎ、平泳ぎまで習ったところでやめてしまったが、最近になってハマスイ出身の元選手と御縁が結べた。シンクロ日本代表として活躍した後、家業の「隆祥館書店」を継がれた二村知子(ふたむらともこ)さんである。新たに書く小説の取材をさせて頂くつもりが、気が付いたら二村さんが指導するクラスに入会し、週に一度のレッスンを受けていた。そろそろ一年になる。
深いプールに身体(からだ)を浮かべて競技するシンクロと違って、私が習っているマスターズシンクロは普通のプールを使用する。プールの底に足や手を付けるから簡単そうに思えるが、そんなに甘くはない。腕の掻きだけで身体を移動させるスカーリングでは、必死で手を動かしているのに全く身体が前に進まず、うっかりすると溺れている。また、逆立ちした状態で縦に一回転したり、時には百八十度のターン。水面に上向きに浮かんでバレエのように片足を上げるといったシンクロっぽいフィギュアも習っているが、一生できる気がしない。クラスには競技歴十年、二十年という方もいて、練習を手伝ってもらうなど非常にお世話になっている。にもかかわらず上手くできず、申し訳なかったり、情けなかったり―。
それでも皆と一緒に試合に出た時は、大勢の人の前で演技ができて楽しかった。と同時に、心の何処かでずっとハマスイの存在が気にかかっていた自分に気付いた。
五十年前にやり残した宿題に再挑戦した気分だ。