「あきらめ症候群」「ハバナ症候群」など……世界各地の〈謎の病〉に迫った脳神経科医が疾患の背後に見たものとは

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眠りつづける少女たち――脳神経科医は〈謎の病〉を調査する旅に出た

『眠りつづける少女たち――脳神経科医は〈謎の病〉を調査する旅に出た』

著者
スザンヌ・オサリバン [著]/高橋 洋 [訳]
出版社
紀伊國屋書店
ジャンル
自然科学/自然科学総記
ISBN
9784314011976
発売日
2023/04/28
価格
2,750円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

体は心につれ、心は社会につれ

[レビュアー] 村中璃子(医師・ジャーナリスト)

 2015年から2016年にかけて、スウェーデンのいくつかの町で、169人の子どもたちが眠ったまま目覚めなくなった……。

 映画「レナードの朝」の原作者として知られるオリヴァー・サックスの後継者として注目されるスザンヌ・オサリバンが、『眠りつづける少女たち――脳神経科医は〈謎の病〉を調査する旅に出た』を刊行した。

 スウェーデンの難民家庭の少女たちに広まった「あきらめ症候群」や、ニカラグアに現存する幻視や憑依を主症状とする「グリシシクニス」、キューバ駐在のアメリカとカナダの外交官らが罹患した「ハバナ症候群」など、世界各地の〈謎の病〉に迫った本作の読みどころとは?

 医師であり、ジャーナリストとしても活動し、『10万個の子宮――あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか』や『パンデミックを終わりにするための 新しい自由論』などを刊行している村中璃子さんによる書評を紹介する。

 ***

 機能性神経障害を専門とする神経内科医、スザンヌ・オサリバンの最新作。機能性神経障害とは、心身症、ヒステリー、身体表現性障害などの名称で呼ばれてきた「情動が引き起こす身体の病気」の正式名称だ。誤解や差別につながるとして何度も呼び名を変えてきたことからも、この病気の扱いがとてもセンシティブなことが分かるだろう。

 機能性神経障害の症状は、本書に登場する過眠、けいれん、失神、めまい、幻聴、頻脈のほか、オサリバンのデビュー作『It’s All in Your Head(ぜんぶ気のせい)』に登場する失明や失聴など、おどろくほど多様、かつ激烈だ。ところが、患者に脳波、脳画像、腰椎穿刺(ようついせんし)などの医学的検査をしても、異常らしい異常は見つからない。症状を示しているのは体だが、問題は臓器や体液などの形を持たない「心」にあるからだ。
 機能性神経障害とは、脳にも神経にも異常がないから正常に機能するはずの身体が機能障害を起こす「体の病」だ。ところが、この病気に関する一般の医者の理解はまだまだ不十分で、患者に「心の病気です」と伝えてしまう。納得できない患者や家族は何らかの理由をつけて「新しい病気です!」と言ってくれる医者にたどり着くまで医者を変え続ける。そういう医者が見つからなければ、自分たちでそう言いだす。こうして、機能性神経障害は〈謎の病〉になっていく。

 著者が日々の診療の中で診た患者たちの物語を描いた前作とは異なり、本書は、社会的・政治的な文脈で起きた機能性神経障害の集団発生例を、世界各地に足を運び、短期間で取材して書いた本である。著者と患者との関係に厚みがない分、前作より個々の物語に著者の私的な思いが感じられないが、同じ病気であるにもかかわらず、訴えの内容や症状を示す集団、症状を示した人の扱いなどが文化や社会によって異なるという事実に人類学的な興味をそそられる。
 たとえば、スウェーデンに来た難民の子どもだけに起きる眠り病「あきらめ症候群」。永住が認められると回復を始めるため詐病(さびょう)にも見えるが、永住権が認められたらすぐ元気になるわけではない。いちど機能することを忘れた身体は、原因が取り除かれてもすぐに機能を取り戻すことはないのだ。2016年、キューバの首都ハバナに駐在していたアメリカとカナダ出身の外交官だけが、頭痛や“コオロギの鳴くような”幻聴を経験したという「ハバナ症候群」。医療の専門家は、政治的緊張の中、不安によって引き起こされた機能性神経障害だと判断したが、トランプ政権のアメリカ政府はこれをキューバ政府による特殊な音響兵器による攻撃だとして政治利用した。コロンビアでは、若い女性がいっせいにけいれんを起こした。女性たちの共通点は、数週間前にHPVワクチンを接種したことだけだった。ワクチンの安全性は確立しており、症状は機能性のものだったが、人々はけいれんの原因をワクチンだと信じた。オサリバンは背景に、コロンビアにおける女性の社会的地位の低さや、女性が常に性的危険にさらされている状況があると分析する。

 コロンビアとは経過が違うが、日本でもHPVワクチン接種後に起きた若い女性の機能性のけいれんや慢性疼痛(とうつう)が、ワクチンのせいにされたことをご存じの方もいるだろう。接種に反対する人の声を恐れた日本政府は、このワクチンを定期接種に定めたまま勧奨を停止。80%近くあった接種率は1%未満に低下し、2016年には国家賠償請求訴訟まで起きた。勧奨は昨年4月、8年10カ月の時を経てやっと再開したが、この問題を追ってきたわたしもこの間、ワクチン接種後に症状が出たという女性や機能性神経障害を診る医師に多く取材した。オサリバンもそのひとりだった。

 驚いたのは、自らが体位性頻脈症候群(POTS)を患っていると信じる本書の最終章の主人公シエナが、拙著『10万個の子宮――あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか』の最終章で書いた彩という女の子とそっくりだったことだ。同書では、ワクチンを接種した中学2年の頃から、強迫性障害(潔癖症)、過呼吸や失神、関節の不快感などを訴えて入退院をくり返した辛く苦しい彩の物語は、医療系の大学への推薦入学が決まり、症状が急速に改善しはじめたところで終わっている。しかし、大学に進学して学年が上がり、国家試験が近づいてくると症状は再発した。わたしと話をして以降、彩がワクチンと症状を結びつけることはなくなっていたが、彩も自らがPOTSであると信じていた。彩はワクチンを打っていたが、シエナは打っていなかった。彩は1年遅れで大学を卒業したが、シエナは大学を退学してしまった。それ以外の点におけるふたりは、POTSだと信じて譲らない頑(かたく)なさから、医者のPOTSに対する理解のなさや不勉強をなじる態度に至るまで瓜二つだった。オサリバンも書いているとおり、POTSは医者の間でも存在自体が疑問視されている疾患で、機能性神経障害が誤診されやすい疾患のひとつでもある。
 文化や社会が違っても、ほぼ同一の身体表現や経過をとる機能性神経障害もあることはまた興味深い。

紀伊國屋書店 scripta
no.68 summer 2023 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

紀伊國屋書店

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