浅草を舞台に浮世の光と影を描いた時代小説の魅力 「えにし屋春秋」シリーズの作者・あさのあつこが語る

インタビュー

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光のしるべ えにし屋春秋

『光のしるべ えにし屋春秋』

著者
あさの あつこ [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758414432
発売日
2023/06/15
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

あさのあつこの世界


あさのあつこ

作家・あさのあつこが、縁を通して浮世の光と影を描いた『えにし屋春秋』。その待望の続刊『光のしるべ えにし屋春秋』が刊行された。

本シリーズの魅力は、主人公のお初にある。男でありながら、女の形をして生きるという姿には性差を越えた美しさと強さを感じるが、今作では揺れる心の内を覗かせるなど、その人物造形がますます深まっている。

これまでにも様々な“人”を描いてきたあさのさんは、この初という人物にどんな思いを託しているのだろう。そして、初たちが商う人の縁とは具体的に何を指すのか。お話を伺った。

 ***

◆初という主人公をもっと知りたい

――「えにし屋春秋」、待望の続編です。二〇二〇年に単行本として刊行された前作を読んだときからシリーズ化を願っていましたが、帯などにはそのような文言はなく、ヤキモキしていました。続編の構想は最初からあったのでしょうか。

あさのあつこ(以下、あさの) あまり先のことは考えず、書いています(笑)。ですので、シリーズ化も考えてはいませんでした。ただ、書いていくうちに、初という主人公がおもしろくて、もっと知りたい、もっと付き合いたいと思うようにはなりました。

――まさしく、このシリーズの大きな魅力は初の存在にあると感じています。男性性と女性性の両方を併せ持つ存在で、小説的であると同時にとても現代的な人物像でもあると思っています。

あさの ありがとうございます。どんな小説を書いても、立っている場所は現代であり、そこから発信していこうとは思っています。

――当初、初は女性として描かれるつもりだったそうですね。しかし、いよいよ書き始めようというときに違和感を覚え、悩んだ末に「彼女ではなく彼なんだ」と思い至ったと伺っています。そこから、どのようなお考えを経て、男性でありながら女性の形をして生きるという姿に辿り着いたのでしょうか。

あさの うーん、徐々にです。なにかが違うと思いあぐねるうち、初の姿がちょっとずつ見えてくるところもあって。それで、こういう形になりました。

――「書きたい人間が見えてきて、物語が動き出す」という主旨のお話をされていたのを拝読したことがあります。今回、初を通して書きたいと思われているのはどんな人間なのでしょう?

あさの いや、それが掴めていないから書き続けているのです(笑)。最初からわかっていれば随分楽なのですが……。ただ、不思議なもので、書いていくうちに、わかってくる部分とわからなくなる部分とがありますね。

――読むほどに初のミステリアス度合いが深まっていく、その一端が窺えたような気がします。同時に、まだ見ぬ姿にもこの先出会えるのだろうかと期待も募ります。

あさの 男とか女とかに括られない初の存在には憧れます。そんな初が、この先、どんな生き方を示すのか。わたしにもわかりませんが、初にしかできない生き方を書いてみたいという野心はあります。

――初の生き方という点では、前作で生い立ちが語られています。夜盗に一家が狙われたこと、一人生き残り、その夜盗の中で育ったことなどかなり凄惨な過去でしたが、こうした背景にはどんなお考えがあったのでしょうか。

あさの 修羅場をくぐって生きてきた。初は、そういう人物であったと思ったからです。彼女か彼か、そこはどうでもいいのですが、両性の美と業を背負ってもらうには、生半可な生い立ちだと駄目だなと。

◆本作で描きたい「縁の濃密さ」とは?

――そんな初だからこそ、人と人の縁を商うことができるのでしょうね。『えにし屋春秋』は、「人と人との濃密な縁を書きたい」と思われたことが執筆のきっかけだったそうですが、あさのさんの考える「縁の濃密さ」とはどういうものなのでしょうか。

あさの 連載の依頼をいただいたとき、“人の縁”というモチーフが浮かびました。ただ、縁といってもいろいろあります。何を濃密な縁とするのか。難しいですね。一言で言い表せないものです。親子、兄弟姉妹、夫婦、仲間、友人……。わたしたちは、言い表せないさまざまな思い、感情も含めた人とのつながりをそんな関係性の中に追い込んで、こういうものだと決めつけようとしている嫌いがあります。縁の濃密さとは、そういうところから零れ落ちて、人対人の関係にもどってしまう。そういうものじゃないでしょうか。

――その零れ落ちてしまったものを丹念に拾い、紡いでいくのが初たちなのですね。今のお話を伺うと、「えにし屋」が浅草寺の傍らにひっそり建っているというのも舞台としてぴったりだと感じます。

あさの 喧騒と静寂。そこに惹かれて浅草を選びました。男と女、愛情と憎悪、幸と不幸、二つの物が対峙して、どちらでもない何かをみちびきだす。そんな物語を書きたかったので、舞台には相応しいかなと。

――では、『光のしるべ えにし屋春秋』について伺います。五年前に行方知れずになった息子を探してほしいと依頼されたことから始まる今作。人探しをきっかけにさまざまな大人たちの思いが明らかになっていきます。

あさの 今回は夫婦、親子の縁の話でした。母親として子にどう向き合うのか、夫婦として相手にどう向き合うのか。その中で、自分とはどう向き合うか。そうしたことを考えてみたいと思い、このような話になりました。

――その行方知れずになった平太や物乞いをしている信太、また太郎丸も含めて子どもの存在が今作では大きな役割を担っていますね。

あさの 大人たちがそれぞれに向き合うのと同時に、子どもは子どもで、自分の足で立ち、生きているという姿を書こうと思いました。

――それだけに、初が信太に「本物の大人におなり」と言葉を掛けるシーンが印象的でした。ここにはあさのさんのどんな思いがあったのでしょうか。

あさの ここは、読者それぞれに委ねようと思っています。読者は大人が多いでしょうから。初や信太を通じて、今、自分がどんな大人であるのか、わたしも自分自身に問いかけた場面です。

――もう一つ印象的だったのが、初が信太と手を?いだ後に、「情に負けている」と感じているとするシーンでした。初の中での心の揺らぎのようにも感じたのですが。

あさの 子どもの手って、心を揺らすんです。こんなに小さいのに、守ってやらないといけないのに、でも守り切れなかった、とか。思いの外、力を秘めているとか。冷静であろうとする初の脆さと強さを描きたかったですね。

――ちなみに、信太は初を見たときに「深くて、危ない」「怖い人」だと感じます。初の妖しいほどの美しさがより際立つ描写だと思うのですが、子どもの視点を加えるというのは意識的に書かれたものですか。

あさの いいえ、意識的とは程遠い気がします。ただ、直感的に真実を見抜く力は、大人より子どもの方が優れているとは思っています。

◆もし別シリーズの主人公たちと出会ったら……

――見抜くといえば、実は前作を読んだときから妄想していることがあります。「弥勒」シリーズの木暮信次郎と初を対面させたら、なんと言うだろうかと。やっぱり「おもしろい」と言うのかなぁとか(笑)。

あさの 妄想だわ(笑)。あら、でも、おもしろそう。わたしも妄想してみます。信次郎なら、お初の正体を見抜くでしょうし、でも、お初なら見抜かれても動じないでしょうね。

――余談ついでに。「えにし屋春秋」シリーズは「弥勒」シリーズとはまったく別の物語ではありますが、全体を覆う静寂性や影のある登場人物(また、みな肝が据わっていたり)など、似た部分も感じています。あさのさんの中で通底するものはありますか?

あさの いやぁ、「弥勒」のことは考えていませんでした。え、似てますか? わあ、それは意識してなかったな。

――いずれのシリーズからも浮かび上がるのが、人の剣呑さです。前作でも「人とは剣呑な生き物だ」とありましたし、今作にも同様の言葉が度々登場しています。そして、人という生き物の正体を見極めようとするのが、あさのさんの小説だと思っています。その根源には人への興味があり、鋭い観察眼を培ってきたんだろうと思わずにはいられません。

あさの え、観察眼? そんなものないと思います。温泉町で育ったので、猥雑でありながら生き生きとした空気は身に染み込んでいます。そんなところかなぁ……。

――日々を過ごす中で、「人は剣呑だ」と感じるのはどんなときでしょう?

あさの しょっちゅうですよ。危ないという意味だけではなく、こちらが、この人はこうだとわかったつもりでいると、しっぺ返しを食らう。そんな経験、いっぱいありますから。

――そうした“しっぺ返し”は時にミステリーにもなりますよね。この作品は長篇時代サスペンスと銘打たれていますが、人と人のつながり(縁)が生み出す不思議や奇怪さは普遍的で現代に通じるものだと感じます。時代小説という形に落とし込むことでより伝えやすいなど、お感じになっていることはあるでしょうか。

あさの すごく、あります。時代小説にすることで、物語の枠が膨らみますから。

――最後に。才蔵は何故裏稼業から足を洗って「えにし屋」を始めたのかなど、才蔵についてはまだまだ知りたい部分がありますし、夜盗の残党らしき影(第一巻登場の「あいつ」)も気になっています。以降の展開について教えていただけることはありますか?

あさの 企業秘密です(笑)。ただ、確かにご指摘の部分、深くておもしろくて、物語の宝庫ですね。先ほどの繰り返しにもなりますが、先のことは考えていません。これから、初と相談します。

【著者紹介】
あさのあつこ
1954年岡山県生まれ。青山学院大学文学部卒業。91年に『ほたる館物語』でデビュー。96年に発表した『バッテリー』およびその続編で、野間児童文芸賞、日本児童文学者協会賞、小学館児童出版文化賞を受賞。2011年『たまゆら』で島清恋愛文学賞を受賞。「燦」「弥勒」「おいち不思議がたり」「闇医者おゑん秘録帖」「えにし屋春秋」シリーズなど、時代小説の著書も多数。

構成:石井美由貴

角川春樹事務所 ランティエ
2023年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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