女子高生の匂いを嗅ぐことで「元気」をもらう主人公…怒りと嫌悪感に本を閉じたくなった強烈な一冊とは?

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リラの花咲くけものみち

『リラの花咲くけものみち』

著者
藤岡, 陽子
出版社
光文社
ISBN
9784334915414
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

狭間の者たちへ

『狭間の者たちへ』

著者
中西, 智佐乃, 1985-
出版社
新潮社
ISBN
9784103551119
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

[本の森 恋愛・青春]藤岡陽子『リラの花咲くけものみち』/中西智佐乃『狭間の者たちへ』

[レビュアー] 高頭佐和子(書店員・丸善丸の内本店勤務)

 藤岡陽子『リラの花咲くけものみち』(光文社)は、獣医を目指す少女の成長を描いた小説だ。命を扱う仕事の厳しさが、真摯に描かれている。

 主人公の聡里は、小学生の時に母を亡くした。父と義母からネグレクトに近い扱いを受け、愛犬を義母が捨ててしまうのではないかという不安から、不登校にもなってしまう。孤独から救い出してくれたのは祖母・チドリだ。自分がいなくなった後にも生きていける力を身につけてほしいという思いから、家を売って北海道の大学に進学する学費を捻出してくれた。

 聡里は、寮で同室になった同級生からいきなり無視され「気持ち悪い」という言葉を投げつけられて深く傷つく。逃げ帰りたくなってもしかたがないくらいだが、相手の心の奥にあるものを受け止め、勇気を出して新しい関係を作っていく。動物を守りたいという気持ちだけではどうすることもできない過酷な現実が獣医という仕事にはある。その描写は精密で、読んでいても辛いものだが、聡里は懸命に立ち向かう。何事にも自信のなかった少女が、いくつもの壁を乗り越えて、夢に向かって進んでいく姿が愛おしく頼もしい。彼女の幸福を願うチドリの愛情深い言葉が、静かに心を打つ。

 中西智佐乃『狭間の者たちへ』(新潮社)の表題作の主人公は、来店型保険会社の店長を務める男だ。成績は悪く、女性の上司から厳しく改善を要求されている。人望もなく、妊娠した部下に対する冷たい態度を、パート社員たちから悪く言われている。娘が生まれたばかりだが、家庭の雰囲気は悪い。妻が会社の慣習で産休育休を取らずに退職したため、家計は苦しい。育児や家事をしないことや、主人公の母の言動について、感情的な言葉と態度で日々責められている。そんな毎日をやり過ごすために、主人公は電車の中で女子高生の後ろに立ち、匂いを嗅ぐことで「元気」をもらうという行為をしている。ある日、彼女に手を伸ばそうとしたところ、作業服の男に止められる。男もまた、彼女を盗撮し個人情報を盗み見ていたのだが……。

「毎日働き、倹しく暮らしているのだから、少しくらいいいのではないか」「彼女は自分を許してくれている」そんな思考回路で、主人公はやりきれない感情を他者にぶつけ、不安と危害を加えている。自分はしんどい思いをしている、悪いのは彼女たちの方だという意識が、罪悪感を拭い去る様子が、粘り強く描かれていく。

 いったい誰が何を許すというのか? 怒りと嫌悪感に記憶が刺激されて本を閉じたくなる一方で、考えずにいられないことがある。自分のやりきれなさを、弱い相手に押し付けてもいいという歪んだ思い込みは、はたして私自身と全く無縁なのだろうか? 突き詰めていくと、どんどん苦しい気持ちになる。

新潮社 小説新潮
2023年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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