『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか - 中年以降のキャリア論 -』
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人生思い通りにはならなかったけど「おもしろかった」を目指す!40代からの生き方戦略
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』(河合 薫 著、ワニブックスPLUS新書)の著者は前著『THE HOPE 50歳はどこへ消えた? 半径3メートルの幸福論』において、「50歳は、『サラリーマン“無理ゲー”社会』をこれからどう生きるべきか」について論じていました。
対する本書は、「サラリーマン無理ゲー社会の生存戦略 40歳版」なのだそう。とはいってもキャリア本のたぐいではなく、“死の入口らしきところ”で「人生思い通りにならなかったけど、けっこうおもしろかった」と思うための本なのだとか。
人生は思い通りになるほど単純ではなく、たいていは「こんなはずじゃなかった」の連続。しかしそれでも主体的かつ具体的に動き続ければ、つらかった気持ちを覆すような“まさか”が必ず起こると著者は断言しているのです。
「40歳で何者にもなれなかった」と嘆く40代は、いわゆる「氷河期世代」です。「何者かにさせてくれるはずだった大企業」が続々と新卒採用を控え、運良く大企業の正社員になっても、待てど暮らせど“下”が入らず、ずっとずっと下っ端の仕事をやらされてきました。年々増殖した“言うだけ番長”のむちゃぶりに、耐えてきた世代でもあります。(「プロローグ」より)
だからこそ、死の入り口らしきところで「人生思い通りにならなかったけど、けっこうおもしろかった」と思えるように生き、いいことも悪いことも全部ひっくるめて人生をおもしろがってほしいーー。
そんな思いが本書の根底にあるわけです。
なお、「私が私であるため」には、強い自己をつくる以外にないと主張する著者は、強い自己を手に入れる知恵を七箇条にまとめています。
第一条 組織人をやめ、仕事人になれ!
第二条 上司に嫌われる勇気を持て!
第三条 自分の心に従う決断をせよ!
第四条 自分を諦めるな!
第五条 負けた人がいちばん強い、と心得よ!
第六条 ぼんやりと生きろ!
第七条 裏切られてもいいと開き直れ!
(「プロローグ」より)
このなかから、きょうは第六条「ぼんやりと生きろ!」に注目してみたいと思います。ぼんやり生きるとは、どういったことなのでしょうか?
自分の時間を確保する
昔は暇がとても多かったはずなのに、いつしか寸暇を惜しんで仕事をし、朝起きてから夜に寝る直前までパソコンに向かい続けるようになっていたーー。
自身についてそう振り返る著者はその理由を、「忙しい人=できる人」という価値観を捨てられなかったからなのだろうと分析しています。忙しさ自慢する人を軽蔑していたはずなのに、いつしか自分が忙しさ自慢をし、何者かになったような気分になっていたのだと。
しかし、あるときから積極的に暇を作るようになりました。
「自分の時間はちゃんと取ろう」「睡眠時間もちゃんと確保しよう」「それが自分への投資だ!」と思うようになりました。何がきっかけだったかは思い出せません。
というか、きっかけがあったかどうかもわかりません。ただただ、仕事だけやってる人生が貧弱に見え、「自分の時間をちゃんと持つ=自己投資する」ようになりました。(286ページより)
気づいたのは、「それでも日常はちゃんと回る」ということ。そこで、仕事から離れ、非日常の世界を過ごすことにしたわけです。その結果、こわばっていた心が緩んでいくことを実感したのだそうです。(285ページより)
人が人でいるために必要な「無駄な時間」
本書内で著者が話題に出しているフランクルの『夜と霧』は、第二次世界大戦中にナチスの強制収容所へ収監された経験を軸とした秀作。
ご存じのとおり、人が人として扱われない収容所と、そこから見える人間の本質を描いた作品です。しかし、著者が注目しているのは、そんな強制収容所にも「ぼんやり」があったこと。
ひとつのバラックがそのときだけ空にされ、木のベンチが並べられ、「プログラム」が作られ、「演芸会」が催されることがあったそうです。
夕方になると、囚人たちやカポー(囚人を監視する人)が集まり、彼らは少しばかり笑い、あるいは泣き、厳しく悲惨な現実を忘れました。歌の上手い囚人は拍手喝采を受け、歌に感謝したカポーが夕飯時にいつもより多めにスープをよそってくれたり、おもわぬ「報酬」を受けたといいます。
また、ある夜、人殺しカポーと呼ばれる男が詩を好んで書いていることを知ったフランクルが、「ぜひ、披露してほしい」と請うたところ、彼は詩の朗読を始めました。それは吹き出すのを堪えるのが大変だったほど滑稽な詩でしたが、フランクルが彼の力作に惜しむことなく拍手をおくったところ、強制労働中に人殺しカポーが優しくしてくれたことがあったそうです。(288〜289ページより)
著者がこうしたエピソードを紹介しているのは、「無駄は、人が他者とつながるための大切な時間」だということを伝えたかったから。
無駄な時間のなかでは、立場や属性、役割に関係なく「同じ人」としてつながる心が人にはある。無駄=音楽や舞台、スポーツといった、ことばで捉え尽くせないものだからこそ、かえって同じ時間を共有した他者とことばで語ってみたくなるということ。(288ページより)
「5年後の理想の自分」を紙に書く
「お金を稼がなきゃ!」と躍起になると心はがんじがらめになりますが、「仕事だけが人生じゃない」と考えれば、「もっとぼんやり生きてもいいのでは?」と、もうひとりの自分の声が聞こえてくるもの。
そして、「仕事」「家庭」「健康」の3つの“幸せのボール”をつなぐと、ジャグリングのように回し続ける働き方ができるようになるそうです。3つの幸せのボールが回り続けてこそ、「仕事って楽しい」と思えることができるわけです。
そこでみなさんに、今やってほしいことがあります。
ペンとメモをご用意ください。そこに理想とする「5年後の自分」「5年後の仕事」「5年後の家庭」を書き、机の前や、手帳の中など、「ふと気づく場所」に貼っておいてください。そして、メモが目に入る度に「無駄を大切にしてるか?」を自問してください。
(291ページより)
そうすれば、3つの幸せのボールが回り続けることになるということです。(290ページより)
著者がいうように、死の入口らしきところで「人生思い通りにならなかったけど、けっこうおもしろかった」と思えるように生きることは、とても大切なことであるはず。そして、「それはどんな気持ちなのか」を知りたいのであれば、本書を手に取ってみるべきかもしれません。
Source: ワニブックスPLUS新書