『日本のコミュニケーションを診る』
- 著者
- パントー・フランチェスコ [著]
- 出版社
- 光文社
- ジャンル
- 哲学・宗教・心理学/心理(学)
- ISBN
- 9784334100667
- 発売日
- 2023/09/13
- 価格
- 946円(税込)
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イタリア人精神科医が提言。日本社会の中で人とうまくつきあうための「5つのモットー」
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
『日本のコミュニケーションを診る~遠慮・建前・気疲れ社会』(パントー・フランチェスコ 著、光文社新書)の著者は、生まれてから18歳までをシチリア島で過ごし、そののち医学部へ通うためローマへ移住したという“イタリア生まれ、イタリア育ちのイタリア人”。
子どものころから日本のゲーム、アニメ、漫画などに取り憑かれていたため、やがて「日本の文化に囲まれて精神科医として生きたい」と願うようになったそう。
そこでジェメッリ総合病院を経てイタリアの医師免許を得てから来日し、日本の医師免許を取得。筑波大学大学院博士号(医学)を取得し、慶應義塾大学病院の精神・神経科教室に入局。現在は複数の医療機関で精神科医として臨床しているのだとか。
それと同時に、異文化での生活自体への興味や好奇心も持っていた。人間の心理に働きかける文化の役割を理解したい。自分が生まれ育ったイタリアと比較して、日本で生きる人の行動、考え方は違うのか。もし違いがあるとして、人間に必要な性質は根本的に同じなのか、違うのか。こういった問いに興味をそそられていた。(「まえがき」より)
著者自身、日本に来てから、気をつかわれすぎて人間関係がギクシャクしてしまったり、自分自身が建前で振る舞うようになって他者との距離が開いてしまうことなどがあったのだといいます。
イタリアやヨーロッパにおけるコミュニケーション様式しか知らなかった立場として驚きも多く、そうした経験から得た「違和感」が“建前の心理的な意味を探求すること”へのモチベーションになったのだそうです。
また、本書では日本社会の特徴を見ていくが、「助けてほしい」「愛されたい」「認められたい」といった人間の感情は文化が違っても変わらない。私たちが人間関係に求めるものはある程度普遍的だという信念を持っている。
だから、日本に生きる人が建前に依存しすぎることで心を病んでしまうのではないかと危惧している。特定の慣習が人間の普遍的な欲求を押し殺していることに気づいてほしい、そこから抜け出してほしいという願いもある。(「まえがき」より)
気疲れ社会で気をつけるべきは他者より自分
上記のように述べる著者は、「建前」に頼った日本社会のコミュニケーションは、「病い」と呼んでいいほどの気疲れを引き起こしていると考えているようです。その「気疲れ病」は、周囲の人に気をつかいすぎて精神的な疲労がたまってしまう状態を指しているとも。そして、このことに関連して焦点を当てているのが、「心の痛み」のメカニズムです。
心の痛みは信号のような働き方をしており、私たちが精神的な限界に近づいたら、その限界を超えないように痛みを伝えてくれるわけです。しかし、私たちが自身と他者の心の痛みに対して鈍感になれば、その信号の点滅に気づけなくなります。
心の痛みを健全に感じ取るためには、常に他者より自分の精神的なニーズに配慮する必要がある。そうしない限り、精神が消耗するリスクは大きくなる。いわゆる「サービス精神」の強い人が気疲れしやすいのもこのためだ。(168ページより)
仕事としてサービス業に携わる方のみならず、普段の生活においても必要以上に気をつかう場面が日本では多いと著者はいいます。
たとえば、場を盛り上げようと立ち回ることもそのひとつ。ところが度を越えると、倦怠感を覚えたり身体的な症状が出たりすることもあるわけです。(168ページより)
よりよいコミュニケーションのための5つのモットー
だからこそ、たいしたリスクがあるわけではないのに「自分のせいで誰かに不愉快な思いをさせるのではないか」と感情に心配してしまったり(著者はこれを「迷惑ノイローゼ」と呼んでいます)、遠慮や建前、自分をキャラ化して表現の幅を狭めてしまう「キャラ文化」に翻弄されてしまったりするということ。
では、そうしたコミュニケーションの歪みを修正するためにはどうすればいいのでしょうか? この問いに対する答えとして、著者はシンプルな5つのモットーを紹介しています。
1. 他者に嫌われてもいい
他者に嫌われないようにと意識しながら行動すれば、自分自身の固有性を裏切る「キャラ」が私たちの心に定着してしまいます。たとえば「いじられキャラ」の人だって、いつでも笑いの対象になることを受け入れられるわけではないはず。
なのに、そうせざるを得なくなってしまうわけです。しかし、それでは息苦しくなって当然。相手の感情や気持ちを優先すると、自分が望んでいることや自分の幸せがわからなくなってしまうのです。(188ページより)
2. 人に落ち込んでいる姿を見せてもいい
無理して元気なふりを続ければ、自己感情との乖離が生まれてしまいます。したがって、他者に尽くすために自分の器を超えるほどの無理をしてはいけないと著者。
他者に負の感情を見せることは日本社会においてはタブーかもしれませんが、真に他者と支え合う関係を構築するには、自分の本物の感情を丸ごと共有するのは健全な行動。
他者にやさしすぎることは現実的ではなく、嘘っぽく見えたりもします。本来であれば、親密な関係でなくても他者の前で怒っていいし、悲しんでもいいということです。(189ページより)
3. 自分の意見をいってみよう
他者に嫌われたくないからと自分の意見をいわない人は、実際に考えていること、感じていることと併せて発言してみるべき。
必ずしも過去の自分、普段の自分の「キャラ」と一致しない意見であっても、表現することは重要なのです。自分の固有性を育むためにも、建前の壁を打ち破るためにも。そもそも人は変わることが自然なのだから、過去のキャラと矛盾していたとしても問題なし。いまの自分をどんどん他者に見せていいのです。(190ページより)
4. 目上の相手でも断っていい
他者を優先して自分を犠牲にすることは、美化すべきことではないと著者は断言しています。他者に対して断る努力は、自分の限界を知るためにも有効だからです。
たしかに人は他者の頼みを断りづらく、承認欲求に惑わされ、相手からの感謝の気持ちに依存してしまいがち。けれども、その代価として自分の限度を忘れて「お世話係」として燃え尽きてしまうリスクがあることを忘れてはいけないのです。(190ペ―ジより)
5. 自分のユニークさに自信を持って、自分を苦しませない行動をとってみよう
たとえ根拠がなかったとしても、自分に自信を持ってみるべき。「私は特別」というような“根拠のない自信”が、自分の本当の性格、やりたいこと、感じていることに気づく出発点となり、健全な自尊心をつくるのです。いいかえれば、自分の自尊心を削らなくても、他者と有意義な関係を持つことはできるということです。(191ページより)
著者の主張に説得力があるのは、日本人のコミュニケーションのあり方を客観的な視点でとらえ、それをフラットな解釈へと落とし込んでいるから。
当の日本人には気づきにくい部分もしてきてくれているので、コミュニケーションに関するストレスを感じている方には、大きく役立ってくれそうです。
Source: 光文社新書