<書評>『サハラの水 正田昭作品集』正田昭 著、川村湊 編・解説

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<書評>『サハラの水 正田昭作品集』正田昭 著、川村湊 編・解説

[レビュアー] 太田昌国(評論家)

◆想世界に飛翔した死刑囚

 第1部・創作篇と、第2部・日記篇とから成る。創作篇には、中篇「サハラの水」と8短篇、6習作が収録されている。「サハラの水」は、パリに留学していた日本人の若者がユネスコのサハラ沙漠探検隊に参加した時の物語だ。隊長車とは別のジープに乗る一行は、主人公に加えて、フランス人、英国人、現地のモール人の4人。だが英軍将校が運転していた車は、広大無辺な沙漠の中で迷子になってしまう。しかも英兵が告白するには、僅(わず)か2日分の水と食糧しか持たないままガス欠になり、迷子になったのは綿密な計算の上のことだ、というのだ。その長い告白とその後の展開には触れずにおこう。

 もっぱら想像力による沙漠行の描写がよい。1963年に書かれた作品として、時代考証も細心だ。日本を含めたファシズムの敗北から20年足らず、「アフリカの年」とまで言われた60年直後の時代状況が、明示的にではないが、さり気なく書き込まれていて、作品に安定感を与えている。

 ヒューマニストを自認する主人公だが、実はモール人に対して軽侮の感情を持つことも自己批評的に描かれている。水や食糧を公平に分配する対象だとは、素直に考えられないのだ。そのモール人の或(あ)る行為が作品の終末で象徴的に描かれるが、その意味をどう解釈するか。多義的な解釈が可能な描き方で、物語の重層性が一気に浮かび上がる。

 60年代にこんな佳作を遺(のこ)した著者は、その後どうして消えてしまったのか。その謎は、第2部「夜の記録」と題された日記を読むことで解ける。著者は、敗戦直後の犯罪史上にその名を残す「メッカ殺人事件」の犯人であり、創作はすべて死刑囚として収容されていた拘置所内で書かれており、69年に刑死したからである。

 贖罪(しょくざい)の心を文章化せずに、死の影を帯びつつ想世界に飛翔(ひしょう)した死刑囚=作家をどう見るか。編者・川村湊による解説が、死刑囚でありつつ、文学創造への思いを絶ち難く持っていた正田昭という人物の全体像を浮かび上がらせている。

(インパクト出版会・3300円)

1929~69年。「サハラの水」は群像新人賞応募作で最終候補に残った。

◆もう1冊

『宣告』加賀乙彦著(新潮文庫)。精神科医として交流した正田昭をモデルに書いた。

中日新聞 東京新聞
2023年11月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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