論破されない技術は、これからの社会を生き抜くために欠かせない必須スキルになる!

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議論の極意

『議論の極意』

著者
紀藤正樹 [著]
出版社
SBクリエイティブ
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784815620172
発売日
2023/10/10
価格
990円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

論破されない技術は、これからの社会を生き抜くために欠かせない必須スキルになる!

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

SNSが浸透したことの影響で、私たちの言論空間は大きな変化を遂げています。端的にいえば「誰もが自由に広く発信できる時代」となったため、日本社会は「一億総“発信”社会」となっているわけです。

もちろん、万人に自分のことばを発信する機会が与えられたというのは好ましいことでもあるでしょう。しかし、誰もが自由に広く発信できる以上、今日の言論空間では「成熟した言論」も「未熟な言論」もごちゃまぜになっているわけです。

そうなると必然的に、「相手をいいくるめることに長けている人」「自信たっぷりで声の大きい人」の発言力が強くなりがち。その反面、相手の話に耳を傾けつつ、自分の意見をも述べようとしている誠実な人たちのことばは、さまざまな言論の渦にのみ込まれ、いつしかかき消されてしまったりもします。

議論の極意  どんな相手にも言い負かされない30の鉄則』(紀藤正樹 著、SB新書)の根底には、そうした「相手をいいくるめた者勝ち」「強くいった者勝ち」という言論空間が発生している現状に対する強い疑問と懸念があるのだそう。

当然のことながら、相手を言いくるめることに長けている人、強い語調で言い切る人が「正しい」とはかぎりません。そういう人たちの発言力に流されず、自分の意見をもつためには、「論理的にものを考える力」が必要です。

もとより日本人には、自分の意見を述べる、意見を交わすという行為を苦手とする人が多いように見受けられますが、論理に基づく「議論の極意」こそ、これからの社会を生き抜く必須スキルなのです。(「はじめに」より)

議論とは、自分と意見の異なる人を攻撃することではなく、相手と意見を交わし、対話を進めること。たとえ意見が違っても、対話を通じて相互理解を深め、合意形成に向かうことができるからこそ、議論には価値があるのです。

そうした考え方に基づく本書のなかから、きょうは第1章「議論とは何かーー屁理屈、詭弁に負けないために」に焦点を当ててみたいと思います。

「大きい声」が正しいとはかぎらない

会社の会議はもちろん、町内会、ママ友の集まり、家族での話し合いなどにもあてはまることですが、複数の人と話し合いをしてなにかを決めようとするときには、「声の大きな人」の意見が通りがち。

いうまでもなく、それは話し声の大きさのことだけではなく、「態度が大きい」「断定と断言が多い」「身振り手振りが大きい」「話の主語(『みんなが』『全員が』『多くの人が』など)が大きい」といったことまで含まれます。いずれにしても押しが強く、威圧的であるわけです。

そういう人がいると異なる意見を口にしづらくなるため、ろくに議論をしないまま、なんとなくいい負かされた感じになったりするもの。場の雰囲気も、声の大きな人の意見が正しいかのようになってしまうため、その人の意見が通りがちです。

たしかに「大きな声」で断言されたりすると、それが正しく聞こえてしまうかもしれません。しかし(当たり前ですが)、「意見のいい方(いうときの声や態度の大きさ)」と「意見の正しさ」は別ものです。

声の大きな人が「議論に強い」ように見えるのは、本当に筋の通ったこと、正しいことを口にしているからではなく、ただ「声が大きい」がゆえに、意見が通りやすいから。あるいは、私たちが「声の大きな人に流されがちな人たち」に囲まれているから。

声が大きいからといって「議論に強い」わけでもありません

相手の押しの強さに負けないよう、たとえ場の雰囲気が「この人が正しい」という感じになっても流されないように、この点をしっかり押さえておきましょう。(28〜29ページより)

これは精神論ではなく、議論のノウハウを身につけることで、「一見、正しく聞こえる意見」「周りが安易に同調している主張」に論理矛盾があった場合、すぐに気づけるようになろうということ。

また、たとえ相手の理屈が通っていたとしても、自分が納得できない場合には、同等に筋の通った理屈で対抗できるようになることも大切。著者はそう述べています。(26ページより)

議論が成立する「意見」=「価値観+理屈」

議論とは「意見を投げかけ合う」という形式の対話なので、議論を成立させるには、相手の意見に耳を傾け、自分もまた意見を発する必要があります。なお、ここで重要なのは、物事をとらえる視点には「事実」と「評価」があること。

「事実」とは、誰が見ても間違えようのない「現実に起こったこと」「現実に存在すること」です。たとえば、「日本の法律は同性婚を認めていない」というのは、どんな立場から見ようと事実です。

他方、「評価」とは、ある事実につき、人がそれをどうとらえているかということです。

たとえば、「日本の法律が同性婚を認めていないのはけしからん」と主張する人がいれば、「日本の法律は同性婚を認めていない」までが「事実」で、「けしからん」の部分は「評価」です。(30〜31ページより)

事実が本来変わらないものであるのに対し、「評価」は人によって変わるもの。なぜ人によって「評価」が変わるのかといえば、人はそれぞれ持っている「価値観」が異なるから。いくら親しくても、夫婦や親子であったとしても、100%同じ価値観を持っていることはありえないもの。そのため、人によって「事実」に対する「評価」は多少なりとも違ってくるのです。

上記の例でいえば、「日本の法律が同性婚を認めていないのはけしからん」というのは、「意見」と呼べるレベルに達していません。「けしからん」という評価だけでは議論が成り立たないのです。議論を成立させることができて初めて「意見」と呼べるということです。

つまり、「評価」だけでは、相手を説得できる意見とはならないということです。なぜなら、そこには「理屈」がないから。ちなみに理屈は意見の核となるものであり、意見に説得力を持たせる理由づけとなるもの。

つまり「意見」とは、ある事実を自分の「価値観」にしたがって評価し、そこに「理屈」を伴わせて人に言葉で説明できる形にしたものです。(32〜33ページより)

著者は学生時代、人に話をする際には「好き嫌い」と「良い悪い」は意識的に区別すべきだと教わったそうです。「好き嫌い」は価値観そのものなので、理由をつけても議論の深化は望めませんが、「良い悪い」という意見をいう場合には説得力のある理由を意識するようになり、思考を整理する訓練になるから。

だからこそ、まずは「けしからん」「好きだ」「嫌いだ」となる前に、「良い悪い」について考えることが大切だというのです。そうすれば、自分の意見を組み立てることができるようになるからです。(30ページより)

ご存知のように著者は長きにわたり、悪徳業者やカルト的な団体と対峙してきた弁護士。そうした経験から得た知見がふんだんに盛り込まれた本書は、他者と意見を交わして合意形成に至ることの重要性はもとより、悪徳業者やカルト団体から身を守るためのスキルを身につけるためにも大きく役立ってくれることでしょう。

Source: SB新書

メディアジーン lifehacker
2023年11月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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