効率とかコスパとかに抗ってみた東京在住の 40 代母親の選択 家庭科 の成績「1」から始めた“小屋作り”がドキドキする

レビュー

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自由の丘に、小屋をつくる

『自由の丘に、小屋をつくる』

著者
川内 有緒 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103552512
発売日
2023/10/18
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

子どもたちに伝えたいこと

[レビュアー] 島田潤一郎(編集者)


著者が6年がかりでセルフビルドした小屋

 1972年東京都生まれ。米国企業、日本のシンクタンク、仏のユネスコ本部などに勤務し、国際協力分野で12年間働き、2010年以降は東京を拠点にノンフィクション作家として活動する川内有緒さん(51)。

 Yahoo!ニュース│本屋大賞 ノンフィクション本大賞を受賞した『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』のほか、『バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』『空をゆく巨人』といった作品もある川内さんは、興味を持ったテーマに猪突猛進するバイタリティがある一方、ひとり娘の成長に一喜一憂する普通の母親でもある。

 そんな川内さんが、42歳で母親になり「この子に残せるのは、“何かを自分で作り出せる実感”だけかも」と考え、取り組んだのが小さな小屋作りだった。

 コップに水をいれるだけでこぼしてしまうほど不器用な川内さんの思いつきを、単なるDIYだと思う人もいるかもしれない。しかし、その過程を綴ったエッセイ『自由の丘に、小屋をつくる』(新潮社)には、現代社会で見失われがちな「価値」を見つめ直すピースがある。

 夫のイオ君と、幼い娘・ナナの三人による、コスパ・タイパを度外視した小屋作りは家族の何を変え、人生に何を見出したのか?

「生きる力ってなんだろう?」とセルフビルドしながら問い続けた6年間の軌跡を描いた本作の読みどころを、ひとり出版社・夏葉社の島田潤一郎さんが自分自身の体験を交えて語った書評を紹介する。

島田潤一郎・評「子どもたちに伝えたいこと」

 ひところ、子どもたちをよく児童館へ連れていった。今日は近所の児童館、翌週は線路の向こうの児童館、翌々週は自転車で三〇分の距離にある児童館、というふうに。
 そのなかのひとつに、工作室が充実した児童館があり、子どもたちはその場所をとても気に入っていた。小学校二年生の息子も、幼稚園の年長の娘も、木の匂いでいっぱいのその部屋で、夢中になって金槌で釘を打ち、木片と木片を一所懸命つなぎ合わせた。
 できあがったものを見せられても、なにがなんだかわからなかった。息子は「武器」だといい、娘も真似をして「武器」だといった。彼らはその「武器」を大切にし、いまも机の上に飾っている。
 父はその「武器」を見ると、苦々しい気持ちになる。なぜか? 父は通知表の技術の成績が「一」であったくらいに、工作が苦手だからだ。その出鱈目な「武器」を見ると、子どもらしくてかわいいな、と思うのと同時に、彼らはぼくの遺伝ゆえにこんなにも工作が下手くそなのではないか? と思ってしまうからだ。
『自由の丘に、小屋をつくる』の川内有緒さんも、中学校の家庭科が「一」であったと書いている。
 ほんとう? と本書を読み終わったいまでも思う。
 でもどうやら、ほんとうらしい。
 そんな人がゼロから小屋をつくったらしい。
 というか、『自由の丘に、小屋をつくる』はその小屋をつくるまでの詳らかな記録だ。

 川内さんは四一歳で初めて妊娠し、生まれてきた娘を見てこんなふうに思う。
「ナナには田舎がないんだよ。自然の風景も田舎の生活も知らないで育つなんて、ちょっとかわいそうじゃない?」
 そして、「ふと思い出すだけで濃い自然の香りとそよ風を感じて、気分が良くなるような心の風景」を与えたいと考え、小屋づくりを思い立つ。
 もちろん、中学校の家庭科が「一」だから、きっかけがないと、そんなふうには思わない。
 はじめは、娘にプレゼントする机だった。「娘の柔らかな手」にふさわしい机をインターネットでさがし、ふと、「自分でつくってみるのはどうだろう?」と思いついて、実際に工房に通って机をつくる。
 その勢いで、実家の床のリノベーションを手掛け、ボロボロのソファの張り替えまでやってしまう。
 読者であるぼくは、このあたりからドキドキしてくる。
「ほらほら、あなたもきっとできるよ、技術の成績が『一』なんて関係ないよ」と終始誘われているような気分なのだ。
 著者は小屋を建てる場所を決め、「2×4工法」(ツーバイフォー工法)で、本格的に小屋を建て始める。この工法は「アメリカで素人が家を作るために生まれた工法」だそうで、家造りには絶対不可欠なように思われる「柱」や「梁」も構造上必要ないという。

「いつの頃からだろう、わたしは、効率とかコスパとか、そういう類の言葉に疑問を覚え、少し距離を置きたいと思うようになった。コンサルタントとして働いていた時代にそういった単語を酷使しすぎて、パワーポイント界の呪いにかかってしまったのかも。四〇代にもなったわたしは、むしろ世の中、そして自分のなかに蔓延する効率主義や能力主義的なものに抗っていきたいとすら思っていた」
 その「抗う方法として」の小屋づくり。おそらく著者にとっては、娘のためにビスを打ったり、コンクリートを練ったりすることと、文章を書くという行為はほとんど同じなのだと思う。
 どこかにある規範や、流行や、マーケティングや、便利なものとは離れて、自分の手と足をつかって、なにかをコツコツとつくる。わからないことがあったら身の回りの人に話を聞き、彼らに助けを求める。あるいは、立ち止まって、うんうんと考えたりする。それがつまり、「生きる」ということであり、著者はその「生きる」手応えのようなものを確認し、その喜びを再確認しようとしている。さらにいえば、その手応えを娘に直に伝えようとしている。
 家そのものだけでなく、窓をつくり、トイレもつくり、そのあいだには新型コロナウイルス感染症も流行し、いつの間にか娘のナナちゃんは六歳になっている。「かっこいいわけでもおしゃれなわけでもない」、「インスタに載せてもハートは一〇個もつかない」小屋を見て、著者は「生きている」と感じる。
 ぼくはとりあえず、息子が身体を洗っているときにしゃがみ込んで根本から折ってしまった、お風呂場の蛇口を修理しよう、と思う。
 我が家の蛇口は折れてから、もう一年以上もずっと放置されている。
 読んでいると、今すぐなにかをしたくなる、稀有な本だ。

新潮社 波
2023年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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