上司の「お前はダメな奴だから鍛えてる」という洗脳が解けた瞬間…5度転職した著者が語る“仕事のため”でない人生 小説家・安藤祐介インタビュー

インタビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

仕事のためには生きてない

『仕事のためには生きてない』

著者
安藤 祐介 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041142646
発売日
2023/12/13
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

上司の「お前はダメな奴だから鍛えてる」という洗脳が解けた瞬間…5度転職した著者が語る“仕事のため”でない人生 小説家・安藤祐介インタビュー

[文] カドブン

安藤祐介さんの最新小説『仕事のためには生きてない』が12月13日に刊行された。デビュー以来、働く人々の悲喜こもごもを書き、多くの読者の共感を呼んできた安藤さんが、本作に込めた思いとは? 著者にお話を伺った。

上司の「お前はダメな奴だから鍛えてる」という洗脳が解けた瞬間…5度転職した...
上司の「お前はダメな奴だから鍛えてる」という洗脳が解けた瞬間…5度転職した…

■「仕事」をしている全ての人に読んでほしい
『仕事のためには生きてない』安藤祐介インタビュー

――本作は、食品会社で働く主人公が、社長が発した「スマイルコンプライアンス」という実体不明の言葉を、新たな行動規範として形にするよう命じられるところから始まります。本作の着想はどんなところから得られましたか?

 まずは普遍性のある「勤め人小説」にしたいという思いが原点でした。そのためには、業種や業界に関わらず、より多くの職場に共通するテーマは何だろうと考えるところから始めました。たとえば営業、広報、経理なども、ほぼ全ての職場に共通する仕事ではありますが、一方で業種や業界の特殊性に引っ張られる部分があります。営業ならば、売る物や取引先によって、仕事の悩みのタイプなどが全然違ってきます。
 そんな中「コンプライアンス」がテーマならば、不祥事防止やハラスメント防止など、業種や業界の特殊性に左右されない、普遍性のある「勤め人小説」が描けるのではないかと考えました。
 舞台を創業家の影響が強い食品会社にした理由も、おそらくほとんどの読者の方が、広告や普段の生活の中でそういった食品会社の製品に触れているので、イメージしやすいだろうと考えたからです。その上で、食品会社としての仕事の特殊性を抑え、「スマイルコンプライアンス」という訳の分からないプロジェクトに巻き込まれる主人公を描きながら、普遍的な「勤め人あるある」を展開していこうと。
 あともうひとつ、主人公を、職場での顔とは全く別の顔を持つ人物にしたかったんです。そこで平日の昼は勤め人、夜と休日はインディーズバンドのロックンローラーとして生きる主人公・多治見勇吉が浮かび上がってきました。
 漠然と「ロックな生き方」を夢見る勇吉が、職場では真逆のイメージである「コンプライアンス」のプロジェクトに巻き込まれていったら、二面性が際立って面白そうだなと。ロックンロールとは対極的なものとして「コンプライアンス」がテーマとして浮かんできた側面もあります。

――安藤さんは、NHKでドラマ化もされた『六畳間のピアノマン』をはじめ、これまでも様々な「勤め人」を書かれてきました。今作で特に意識されたことがあれば教えてください。

 先の回答と被る部分もありますが、とにかく今作は、いわゆる「お仕事小説」よりも「勤め人小説」にしたいという強い思いがありました。具体的に言うと、仕事の特殊性やディテールの成分を必要最低限に抑えて、多くの職場や勤め人に共通する普遍性を意識しました。
 いつも応援してくださっている書店員さんが「安藤さんの物語は、仕事の内容そのものを描いているのではなく、人を描いているところがいい」と言ってくださって、自分自身も、まさにそこが目指しているところだと思えたんです。ならば今回は、よりお仕事のディテールを抑えめにして普遍性のある勤め人の物語に振り切ろうと決めて書きました。
 多くの人に共通するであろう「勤め人あるある」をふんだんに盛り込んでいます。物語の中で読者の方に、たとえば「この登場人物のあの場面は、今の、あるいはかつての自分だ」みたいな感じで、感情移入してもらえたらいいなと思います。
 また、私事ですが、今作はデビュー15年目で挑んだ節目の作品です。これまで書いてきた物語のエッセンスを、全て注ぎ込むつもりで書きました。勤めと私生活の二面性、職場の人間模様、同期の結束、学生時代の友との絆、空、スポーツ、音楽、ボケとツッコミ、そしてビール、などなど、なりふり構わず欲張って詰め込んであります。

――おっしゃる通り、提案内容に箔をつけるためだけの資料である「論点資料(通称:デコ資料[デコレーション資料])」の作成など、「勤め人あるある」が盛りだくさんです。安藤さん自身も「勤め人」ですが、実体験なども盛り込まれているのでしょうか?

 私は大学卒業後すぐ社会人になり、5回の転職を経て、小さな職場も大きな職場も経験しながら、かれこれ25年ぐらい勤め人として生きています。どこで働いても、資料作りやその調整作業はずっと付いて回りますね。小さな職場では直属の上司がいきなり取締役や社長だったりするので、OKが出るまでは何度でもやり直しになりますし、大きな職場では関わる人数が増える分、根回しや稟議が大変になります。
 ただ、自分の実体験ばかりをベースにすると、物語を書くにあたって遠慮や照れ臭さなどが出て及び腰になってしまうので、フィクションとして、エンタメとして昇華させるよういつも心がけています。そのためには、登場人物は今までの人生で出会ったいろいろな人を混ぜて造形し、エピソードも、見てきたことや聞いたことを混ぜ合わせます。
 私はデビュー以来、主に会社を舞台にした物語を書いてきたので、昔から情報収集でいろいろな転職サイトを見たり、旧友と会って話す時も職場のことを聞いたりするのですが、多くの人が、資料調整や根回しや稟議には苦労していることをひしひしと感じます。稟議対策に振り回され、何をやっているのだろうと思いつつも、その壁を乗り越えないと仕事が前に進まないジレンマ。こういう苦労の中に、勤め人の普遍性があるのではないかと強く感じています。縛られた中でも、壁を乗り越えてよかったと思える瞬間があったり、職場の同僚や上司と笑い合える瞬間があったりするのではないでしょうか。

――主人公の勇吉は35歳です。この年齢設定について教えてください。

 ゼロからの構想段階の打合せで、担当編集者さんからのオーダーが「35歳独身男性で、仕事はそこそこ上手くいっているけれど、このままでいいのか悩んでいるような主人公。かつ短編連作ではなく長編で」といった、とても具体的な内容でした。私にどんな物語を書かせたいか、明確な思いを持ってくださっていると直感したので、すぐに腹をくくり、その場で「よし、それでいきましょう!」と即決しました。
 これまでの作品を振り返ると、主人公は20代から31、2歳ぐらいまでか、40代でした。35歳という節目にある勤め人を主人公にしたことはなかったんです。あ、35歳の芸人だったらありますが。
 物語の冒頭にも書いていますが、35歳になると健康診断の項目が増えます。そろそろ体にガタが生じ始める頃、という意味でも節目の年齢であると言えます。
 また、35歳は転職適齢期の限界みたいに言われることも多いですし、職場では「中堅」なのか「若手」なのか、世間的にも「おじさん」なのか「まだ若い」のか、接する相手によって印象が分かれると思います。勤め人としてはとても微妙な年頃だと思います。
 だからこそ、描きがいのある年齢設定だと感じました。

――役員たちが「古き良き時代」と称して、コンプライアンスを違反した当時の振る舞いを武勇伝のように語るシーンがあります。昔と今を比べてみて、どうですか?

 昔の方が良いと思うことは、今よりもいろいろな面で「大らかだった」こと、今のほうが良いと思うことは「締めるところはちゃんと締める」ことです。表裏一体になりますが、全体的に振り返ると、少しずつ良くなっていると感じています。
 労働時間や労働環境については、かなり意識が変わってきて、着実に良くなっているのではないかと感じます。効率的に休みを取ろうという雰囲気や、長時間労働は健康にも仕事の効率にもよくないという意識が年々根付いてきていると思います。
 私の場合、就職氷河期まっただ中の20代で職場を5回も転々としましたが、特に最初の職場は、控えめに言って地獄でした。
 職場へ歩いて通える場所への引っ越しをすすめられ、ほいほいと従ったのが運の尽き。朝も夜もなく働き通し、4月から3ヵ月間、1日も休みなしでした。一応、週1日の定休日が設定されていましたが、必ず何かと口実をつけて出勤させられるんです。
 1日に19時間から20時間、月に30日または31日、フル出勤で働いていました。当時は残業時間など計算している余裕もありませんでしたが、後々ざっくり計算してみたところ、勤務時間は毎月500時間以上、残業時間は300時間以上。冗談抜きで「よく死なずに生還できたなあ」と思います。当然、残業手当などは出ませんので、時給換算すると300円台です。
 大学卒業前に62kgあった体重が52kgまで激減。歩きながら寝落ちするという臨死体験もしました。下りエスカレーターのパントマイムみたいに、一歩進むごとに体が沈んでいくんです。「これはまずい」と思った矢先、とうとう朝目覚めると起き上がれなくなって、這うようにして職場へ「休みます」と電話したら「政治家の入院みてえなこと言ってんじゃねえぞ、このタコスケが(原文ママ)!」と怒鳴られました。

――それは……言葉を失いますね……。

 常々、お前はダメなやつだから他ではどこに行っても通用しない、だから鍛えてやっているんだ、などと洗脳されていたのですが、倒れた時に投げつけられたひと言で洗脳が「パッ」と解けて、間もなく退職願を出しました。
 労働環境も凄惨なものでした。コスト意識を身に付けろという大義名分により、コピー用紙は自腹で購入。印刷する時には自前の紙をコピー機のトレーに入れて印刷していました。自分のお金で新しく購入したデスクトップパソコンも、なぜか職場に運び込まれて共用の備品と化していました。給料よりも家賃や備品代、電柱にぶつけてしまった社長の車の弁償費などがかさみ、学生時代のわずかな貯金も切り崩し、赤字で退職しました……。
 ブラック企業とかパワハラとかいうレベルではなく、基本的人権すら失い、健康で文化的な最低限度の生活が全くできていませんでした。まさに「仕事のためだけに生きていた」状態です。
 この私の事例は例外中の例外で、極端ではありますが、とにかくああいう働き方は二度としたくないし、誰にもしてほしくないと思います。武勇伝になんてできたものではありません。平成の前半に世間知らずだった元若者が経験した黒歴史、決してあってはならないこととして語り継ぎたいですね。
 自分はこんなに大変な思いをしたのだから、同じ思いを味わえ、みたいなことは言いたくもないし、言われたくもないです。作中ではデフォルメ化して昔の露悪的な武勇伝を語る人々などを描いていますが、現実世界では体感としてそういう人は年々減ってきているように思います。
 それに、ハラスメントの類も相当少なくなったように感じます。良い流れだと思います。一方で、職場の中でも個人情報への配慮などが進むにつれ、お互いのことに深く立ち入らないよう気を遣い過ぎる反動もあり、本音を言い合えない副作用も出てきているような気がします。
 また、「コンプラ疲れ」のような副作用もかなりあるのではないかと思います。べからず集のルールや、細かくて山のようなチェック作業などのために、過剰な労力がかかるケースも多いのではないでしょうか。そんな中、作中にも重要な要素として出てきますが、当たり前過ぎて幼稚だと思われるような根本的な心がけが、実は意外と大切なのではないかと感じます。

――勇吉は悩み、苦悩しながらも、自分なりの働く意味を見つけていきます。ご執筆の上で、安藤さんが最も苦労されたシーンについて教えてください。

 書くのに苦労したのは、コンプライアンス部門の仕事内容を最小限入れ込むさじ加減と、「勤め人小説」としての普遍性のバランスです。いくら仕事の特殊性を抑えて普遍性に重きを置くとはいえ、仕事内容の描写があまりにも薄いと、背景画がボロボロの人物画みたいになり、興冷めな物語になってしまいます。そこを適度にバランス良く入れるために、いろいろな文献を読んだり、コンプライアンス部門で仕事をされている方にお話を聞いたりしながら書きました。
 また、主人公の勇吉や、彼の大切な人が辛い思いをする場面を書くのは、苦しかったですね。この点は今作に限らずいつものことですが、主人公や主要登場人物を追い込んで、そこからの反撃が物語を躍動させていくのだと思いながら、書いています。

――逆に、書いていて筆が乗るシーンはありましたか?

 書いていて乗ってくるのは、通勤電車や職場での始業前、昼休み、給湯室、終業時、仕事の後のささやかな宴での人間模様など、仕事の本筋から少し外れたところで発生する「勤め人あるある」の場面です。書きながら、読者の方々に「こういう人、いますよね」「こういうこと、よくありますよね」と呼び掛けるような気持ちになって、楽しかったです。
 もうひとつは、バンドのシーンです。ここは、あまり乗り過ぎると延々と書いてしまうので、書き過ぎないように気を付けました。
 あとは何より、物語の中で人と人との縁について書く時が、一番楽しいですね。私は仕事が遅くて要領も悪く、その一方で、自分で言うのもおこがましいですが、我ながら嫌になるぐらい真面目に頑張るタイプです。スマートさのかけらもなく、気力と忍耐力でなんとか仕事を終わらせます。かなりきつい業務に配置されることも多かったのですが、いつも周りの人には恵まれてきました。失敗したら、みっともなくても「やってしまいました……!」と騒げば同僚や上司に助けてもらえますし、弱音や愚痴をこぼし合いながらも、なんとか切り抜けられています。だから、厳しい仕事でも、周りの人にさえ恵まれていればどうにかやっていけると、信じられるようになりました。本の帯のコピーにもある「職場も世の中も捨てたもんじゃない」は、私自身が経験してきた人と人との縁の力でもあります。

――最後に、本作の一番の読みどころを教えてください。どのような人に読んでほしいですか?

 読みどころは、随所に埋め込んである「勤め人あるある」と、タイトル『仕事のためには生きてない』に込めた意味です。読み進めていくうちに、このタイトルに込めた意味を少しずつ分かっていただけるのではないかと思います。読後は「職場も世の中も捨てたもんじゃない」と感じてもらえたら嬉しいです。
 どのような方に読んでほしいかといいますと、ズバリ、勤め人の方、それから、かつて勤め人だった方やこれから勤め人になる方です。
 それに、仕事をしている全ての方に読んでほしいです。仕事とは、労働の対価としてお金をもらうことだけではないと思います。家事、子育て、地域活動など、全て大切な仕事だと思うので。
 ここまで広げてしまうと、欲張り過ぎですかね(笑)。
 でも、勤め人のみならず、あらゆる仕事をしている人に共通する何かを感じていただける物語だと自負しています。ぜひご一読ください!

――ありがとうございました。

KADOKAWA カドブン
2023年12月14日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク