『よっちぼっち 家族四人の四つの人生』
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二人の子供の姿を見守り慈しむ手話のある暮らし
[レビュアー] 稲泉連(ノンフィクションライター)
なんと温かで、心に響く「ことば」の数々なのだろう。ろうの写真家である著者の世界を見つめる眼差しに、読みながら何度もそう思った。
「聞こえる両親」を持つ著者の妻は、「聞こえない両親」を持つろう者である。日本手話で会話する二人に育てられる幼い子供たちは、「聞こえない両親」を持つコーダ(CODA:Children of Deaf Adults)だ。
〈異なる身体〉を持つ四人の暮らし――その四年間の日々を綴った写真エッセイである本書について、著者は〈ひとりぼっちのぼくが、もっとも近くにいるひとりぼっちに向けて交わしたことばを、どうにか残そうとしゃかりきになった痕跡〉と書く。
人は誰もが孤独を抱えている。そんな「ひとりぼっち」の者同士が、日本手話や日本語という「ことば」を通して、どのように豊かなつながりを生み出してきたか。手話のある暮らしを描く本書のタイトルには、そんな思いが込められている。
著者は二人の子供の姿を見守りながら、日本手話と発話される日本語の狭間で揺れる彼らが、少しずつ成長していく過程を慈しんでいく。
〈光や風をまねる手の語りであやす幸福があった/ともに見つめあいながら、/表情のうつりかわりをことばとして聴く幸福があった〉
写真家として、父親として、ろう者として――。日常の様々な場面を切り取って深められる思索はどこまでも柔らかだ。
手話とは〈世界で起きている現象を、器としての自分に宿らせて再現する〉言語だと、著者は語る。そんななか、それぞれに「個」である者たちが、二つの「ことば」によって〈ふさわしい接し方〉を身に付けていくとき、家族をとりまく世界の調和の度合いが深まり、関係性の可能性が広がっていく。「ことば」によって世界の見え方は変わる。すると、「当たり前」が解され、人と人の新たなつながりが豊かに立ち現れる。そんないくつもの瞬間に、繰り返し胸を打たれた。