『主観思考』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
人間関係がグッとよくなる「主観」の伝え方・使いこなしトレーニング
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
自分のことばが相手にうまく伝わらなかったり、気持ちをことばにできず、人とのコミュニケーションに悩んでしまったりすることはよくあるもの。けれど、もしかしたらそれは「主観」を軽んじているからなのかもしれないーー。
コピーライターである『主観思考 思ったこと言ってなにがわるい』(吉谷吾郎 著、光文社)の著者はそう述べています。
必要以上に周囲の目を気にすることなく、不安や悩み、あるいは喜びやうれしさなど「自分が本当に思っていること」を、自分のことばのなかにもっと練り込んでもいいのではないかというのです。
一般的に「わたしはこう思う」と言うと「それってあなたの主観でしょ」と返されてしまいます。けれど、AIがどれだけ進化しても「わたしがどう思っているのか」は、わたしにしか導き出せません。
あとにも先にもこの世にたったひとりしかいない「わたし」の主観を大切にすることで、人とのコミュニケーションや関係性がよりよくなると考えています。(「はじめに」より)
そう考えれば、「主観だろう」と指摘されることを恐れるあまり本音を隠してしまうのはたしかに不自然。しかも、行き違いを避けるためにことばを使わずに生きていこうとしても、それは難しいことです。
そこで、ことばで悩むことを減らせばいい。主観を大切にして生きればいい。そうすれば、よりよく生きられるのではないかと著者はいうのです。
とはいえ、主観を伝えるのは難しいことでもあります。そこできょうは本書の第4章「主観の伝え方<姿勢編>」に焦点を当て、コピーライターとしての立場に基づく著者の考え方を確認してみたいと思います。
受け手のひとりとしての自分を捉える
「どうすれば人にうまく伝えられるだろう?」と考えてしまうと、答えにたどり着くまでには時間がかかってしまうもの。
そこで、まずは「私には、どんなものが伝わっているだろう?」と考えてみてはどうかと著者は提案しています。つまり、自分を受け手のひとりとして捉えてみようということ。
なぜなら、「答え」は自分のなかにあるものだから。自分はどんなものを「伝わった」と思っているのか。そのことを探り続けた先に、「人にも伝わる」ことのヒントがあるかもしれないというわけです。
大前提として、ぼくらはみんな「見る目はある」と思うのです。
つまり、「いいことばかどうか」の判断は、どんな人でもできるのです。
料理にたとえるとわかりやすいかもしれません。「おいしい」とか「まずい」って、だれでも言えますよね。
でも、「じゃあ、厨房に来てじぶんがおいしいと思う料理をつくってみなさい」と言われるとどうでしょう。そうなのです。「つくる」(書く)と「食べる」(読む)は、全然ちがいます。(167ページより)
そして、ことばも似ていると著者はいいます。「食べる人」(読む人)としてことばを見ようとするとき、「いい」か「わるい」かの判断は誰にでもできるもの。にもかかわらず、「つくる人」(書く人)になった途端に、「まずい」ものをつくってしまうというのです。
じゃあ、どうやって「つくる人」(書く人)としてのじぶんを鍛えるか?
それが、「食べる人」(読む人)としてのじぶんを鍛えることです。(167ページより)
たとえば電車に乗っているときに広告を見てみれば、そこにたくさんの「ことば」があることに気づきます。それらをひとりの生活者として見たとき、果たしてどう思ったのか。それを感じ、考えることを繰り返していくと、だんだん「ああ、自分はこういうことばにドキッとするんだ」とか、「こういうことばに興醒めするんだ」ということがわかってくるはず。
そこから、自分が「伝わった!」と実感できることばの法則を探していけばいいということです。(166ページより)
ことばのテクニックより大事なことは?
著者は「どう伝えるか」というテクニックよりも、「なにを伝えるか」のほうが重要だと主張しています。しかし、それよりももっと大事だと思っていることがあるのだとか。
それは、「誰が言うか」。
そのことばを発しているのは誰なのか。その人、あるいはその企業(法人)がどんな人であるのかということが、メッセージの質を左右するというのです。
「この、バカ!」
このセリフを、普段からいじわるで嫌いな上司に言われるのか、こころから尊敬する先生から言われるのか。おなじことばでも話者によって、受け取る人のメッセージから得られるイメージはまったく変わります。
「お前が言うな」というツッコミがありますけれども、ことばの表現を鍛えるまえに、まずは、「この人が言う(書く)のだから、まちがない」と思われるために努力をするほうが、よっぽど多くの人に信頼される書き手になれます。もっと正面から書いてしまうと、言語化力を鍛えるまえに、人格を磨け、ということです。(173〜174ページより)
本当はたいしておいしくないと思う料理について、「お金をもらっているから」という理由で美辞麗句を並べたとしても意味のないことです。
それどころか、そういうことを続けている書き手は、やがて信用を失ってしまうかもしれません。
「どうすればこの複雑な内容を端的に伝えられるだろう…?」「このことばを書いている理由はなんだったっけ…?」「このメッセージを発信したらポジティブとネガティブそれぞれどんな反応があるだろう? それに対して、なんて答えるだろう…?」そんな問いをみずからに根気づよく立てつづけて、「これなら伝わるかもしれない」と、ちょっと臆病な姿勢くらいで書いたことばがやっと伝わるものです。(174〜175ページより)
これはコピーに限らず、なにかを伝えるための文章すべてにいえることなのではないでしょうか?(171ページより)
「ことばのコミュニケーションがうまくなりたい」「物事をポジティブな視点で捉えられるようになりたい」「自分は自分でいいと思えるようになりたい」というような思いを抱えている人に、コピーライターとしてもがいてきた自身の経験が役立てたいいと著者は考えているといいます。
そうした思いを軸とした本書を参考にしてみれば、円滑なコミュニケーションを実現するためのスキルが身につくかもしれません。
Source: 光文社