たとえ人生にうまくコミットできなくても…「藤式部」が罪人の娘を看破するシーンが秀逸な「平安時代ミステリ」

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

のち更に咲く

『のち更に咲く』

著者
澤田瞳子 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784103528326
発売日
2024/02/15
価格
2,200円(税込)

新作はなんと平安の世のミステリ!惜しげなく切り札を切る胸すく展開

 今は昔、藤式部が『源氏物語』を執筆していたころの平安の世である。主人公の小紅が亡父の法会へ赴く場面で、物語は幕を開ける。法会が営まれる荒れ寺にようよう着いてみれば、参列者は次兄の保昌ただひとり。それもそのはず、亡父は人殺し、おまけに公卿の闇討ちに失敗した長兄も、盗賊団の首魁だった末兄もどちらもすでに追捕使に追われて落命している。そう、誰も罪人の家族と関わりを持ちたくないのだ。そんなうら寂しい法会に、盗賊から逃れてきた若者が闖入する。若者は事なきを得るが、後日、都を跋扈する盗賊団袴垂の首魁が死んだはずの末兄ではないかとの噂が立つ。

 綿密な時代考証を下地に大胆な解釈で史実に切り込み、なおかつ細やかな人情を描くことを得意とする澤田瞳子の新作は、なんとミステリだ。十九年前に死んだはずの末兄にまつわる謎、神出鬼没の袴垂の魂胆、裏切者との宿命的な邂逅、それらが一丸となって物語をぐいぐい引っ張る。澤田にいったいどんな心境の変化があったのか? たまたまお会いした折りに尋ねてみれば、あっけらかんと「もともとミステリが好き、とにかく史実に縛られない楽しいものが書きたかった」と明かしてくれた。

 日本史のリテラシーが乏しい私に史実を検証する力はないが、『今昔物語』には藤原保昌と袴垂の逸話が出てくる。「史実に縛られない」と言いつつも、歴史的な土台はやはりしっかりしているのだ。仕掛けはまだある。『源氏物語』というフィクションから当時の世相を逆照射していく手法は、斬新とは言えないまでも、たしかに心躍る試みだ。小紅の身上は侘しいが、惜しげもなく切り札をどんどん切っていくような展開は読んでいて胸がすく。それでいて澤田作品に通底する単純明快な哲学は本作でも健在だ。生きること。なにがあろうとも正しく在ること。

 小紅はアウトサイダーだ。咎人の血族であるが故に、世の中に対して強い疎外感を抱いている。それでも彼女の選択は、いつだって狂おしいほどにやさしい。本筋を支える何気ないエピソードのなかで、藤式部が小紅の疎外感を看破する短いシーンがとりわけ秀逸だ。たとえ人生にうまくコミットメントできなくても、生きてさえいれば浮かぶ瀬もある。ふたりのさりげないやりとりは、そんなあたりまえのことを少しだけ深く読者の胸に打ち込んでくれる。直木賞受賞作『星落ちて、なお』の精神性、すなわち諦めの先にこそある救いの光芒は、本作にもしっかりと受け継がれている。

新潮社 週刊新潮
2024年3月21日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク